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年間残業692時間 & 月間走行距離217kmで富士登山競走7位になったが、少しずつ身体が壊れていった話

■はじめに

私は2022年のシーズン、おそらく一般的に見て少ないトレーニング量で、富士登山競走で7位になったほか、いくつかの山岳ランニングのレースで入賞しました。
しかし、その場凌ぎのトレーニングを続ける中で、少しずつ身体が壊れていき、現在は治癒を最優先にし、ランニングを中止しています。
トレーニング量が少なかった主な原因は、第1に労働時間が長かったこと、第2に小さな故障が何度か発生したことです。

ここでは、身体が壊れてしまった必然性を改めて整理し、トレーニング内容やリカバリーの重要性などについて改めて認識したいと思います。


⬇︎〈第75回富士登山競走(2022年大会)の振り返りについては、こちら〉⬇︎


■走行距離と残業時間

第75回富士登山競走(2022年7月29日開催)までの1年間の私の走行距離と残業時間は、次の通りでした。

1年間(2021年8月〜2022年7月)の
走行距離と残業時間

トップレベルの山岳ランナーは、月間400〜800km程度走っているようですので、私の217kmというのは相当少ない方だと思います。

月間195時間の残業をした2021年10月は、出勤しなかったのは1日間だけで、それ以外は毎日朝から晩まで(日によっては、夜明け前から夜更けまで)勤務していました。
この月と、2022年の4月と7月は、労働時間の多さが走行距離の少なさに直接的に影響しています。2021年11月は前月の激務による体調不良、2022年の1月と2月は小さな故障によりトレーニングが十分にできませんでした。
2021年8月は、前年の富士登山競走(開催中止)に向けたトレーニングで身体に負荷をかけ続けた期間の後に、シーズンオフに当てた月でした。

なお、富士登山競走が近づいた7月4日〜7月15日は12連勤だったのですが、そのうち最も多忙な日は午前6時から翌日午前3時まで勤務した後、その数時間後の午前8時30分から再び勤務を開始し、その後も毎日午後9時〜11時まで残業を要する状態が続きました。そして、遂には自律神経や免疫機能が壊れてしまい、登山競走当日までほとんどトレーニングを行わずに、体調の回復を優先しました。

残業時間が年間700時間近く、月間最大200時間近くというのは、社会一般的に見て劣悪な労働環境だと思いますが、日本社会ではもっと長時間の労働をしている人が、たくさんいるのではないかと思います。
また、毎日5〜6時間程度の睡眠時間でトレーニングを続けても身体が壊れない強者が、世の中にはいるようです。
しかしながら、上記のような労働環境の中で、レースで上位を目指すトレーニングを続けることは、私にとっては身体を破壊しながら長続きしない強さを手に入れる、まさに「捨て身」の行為でした。

■トレーニング内容

先に触れた月間195時間の残業をした月は、まともにトレーニングができませんでしたが、それ以外の残業の多い時期は、平日(月曜日〜金曜日)には明け方や夜(時には深夜)に睡眠時間を削りながらトレーニングを行っていました。

また、トレーニングの「量」が減っても「質」は落とさないように常に追求していました。すなわち、平地でジョギングをしたのは年末年始くらいで、それ以外はポイント練習か、平地では遅くても4分10〜30秒/km程度のイージーラン、山では35~50kmのロングランで、低負荷の基礎的なトレーニングをすることはありませんでした。
ちなみに、ポイント練習は、平地でのテンポ走(3分30秒〜45秒/kmのペースで10〜16km)、峠走(舗装路の長い上り坂で170bpm台を維持)、クロスカントリー走(緩やかな起伏のある未舗装路で160〜170bpm台を維持)などを行っていました。

堂平山頂までの舗装路を駆け上ることが、
富士登山競走に向けた定番メニュー

上記のように、睡眠時間を削って十分なリカバリーを摂らず、さらに基礎的なトレーニングをほとんどせずに高負荷のトレーニングばかりしていたので、身体が少しずつ壊れていったのは必然的であったと思います。特に、ピーキング期間直前の6月は、常に神経が張りつめた状態で、睡眠時間を削りながら狂ったようにトレーニングを連日していました。

しかし、これは当時からリスクとして理解していたものでした。身体を壊しながらレースでの入賞を目指すか、健康を最優先にしてトレーニングでもレースでも程々のレベルで走るか、という2択において、私は前者を選択したのでした。

■身体の状況

富士登山競走までは、過労による体調不良や、脚の痛みや違和感に見舞われたことが何度かありましたが、幸いにも全て一時的なもので済みました。
しかし、登山競走が終わった途端、長期にわたる高揚状態や緊張状態から解放されたこともあったのか、身体の不具合が次々に現れました。まずは、不整脈や動悸が生じ、脚の様々な部位に痛みが出るようになりました。トレーニングのレベルを下げても痛みは次第に強くなり、特に左脚の大腿外側(大腿筋膜張筋の周辺)の痛みは12月には明らかに故障といえるような状態になっていました。

ところが、この故障は当初は症状が軽く、完全に走れないわけでは無かったため、断続的にトレーニングを行いながら、従前にエントリーしていたレースには、せっかくの機会だからと出場さえしていました。
このような中途半端な行為が、身体の破壊を助長したのでしょう。トレーニングの量や質を下げ続けてもなお、痛みが酷くなる一方になってしまったため、今年のゴールデンウィーク以降は、ほとんどランニングを行っていません。

■反省

身体が壊れた根本的な原因は、先述のとおり、睡眠時間を削って十分なリカバリーを摂らず、さらに基礎的なトレーニングをほとんどせずに高負荷のトレーニングばかりしていたことでしょう。
適正なトレーニングは十分なリカバリーを摂ってこそ成立するというのは、もっともな話だと思います。また、多くの人が言うように、ジョギングのような低負荷のトレーニングを日常的に行い、基礎的な能力を維持することも重要だと再認識しました。

しかしながら、フルタイム(またはオーバータイム)で働く人にとって、自分のために費やせる限られた時間を使って、健全にトレーニングを継続することは、難しい課題だと思います。
理想は自身の能力を限界まで高めることですが、仕事や家庭などの状況を鑑み、どこかで折り合いをつけざるを得ないと思います。
私はこの折り合いを限界手前でつけていたと思っていましたが、実際にはわずかに限界を超えていたのかもしれません。

身体が壊れた原因に話を戻しますが、脚が故障状態にあると認識してからも、治療に専念せずに騙し騙しランニングを続けていたことも問題でした。トレーニングの量や質を大幅に落としていたとはいえ、完全に治癒するまでは中止すべきでした。今、冷静に振り返ってみると、2023年シーズンに向けてトレーニングをしなければならないという、強迫観念があったのではないかと思います。

■おわりに

上記のような反省はあるものの、当時を何度振り返ってみても、日常的な長時間労働の中では、「身体を壊しながらでもレースでの入賞を目指す」という道しか私は選択できなかったと思います。
それは、これまでの私の労働環境が大きく影響しています。私は昨年度までの13年間で残業を8,200時間以上(年間平均630時間、月間平均52.5時間)行い、特に最初の10年間は厳しい長時間労働を強いられていました。
(残業時間が月間最大255時間、月間200時間以上8回、月間100時間以上30回、月間80時間以上=過労死ライン38回、年間最大1,262時間、年間1,000時間以上4回。1か月以上連日勤務10回。体調不調以外の事由で初めて年休を1日間取得したのは7年目。など)

そして、社会人になってから、十分にトレーニングができる環境をほとんど得られないまま、人生で二度とやって来ない、若い時代の終わりが近づきつつある年齢になってきました。環境を変えるという選択をしなかった(できなかった)私には、パワーやスピードが衰え始める前に、「身体を壊しながらでもレースでの入賞を目指す」という道しか選択することができませんでした。

私は現在、来シーズンでのレース復帰に向けて治療に専念しています。
そして、次こそは、健全なトレーニングを積み重ねることで、レースでの入賞を目指したいと考えています。
そのためには、まず、環境を変えるほかないことも理解しています。

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