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ショートショート 「堪忍袋」

 立派なお屋敷の大きな居間、壁には大きなモニターが掛かっている。その前には、本物の雲をクッションにしたふわっふわの大きなソファーが鎮座している。
 そのソファーの真ん中に、これまた偉い偉い神様がお座りになっている。

「おーい。そろそろ始まるぞ。お前もこっちに来いよ。で、どっちに賭ける。俺はやっぱり男の方かな。」

 説明しよう。基本、神様は退屈である。
 その退屈を紛らわすために、下界の人間を相手に「堪忍袋ゲーム」をしようとしているのである。

 堪忍袋ゲームは、人間の目には映ることのない神様特性の堪忍袋をこれは、とお目をお付けになった人間2人にこっそり取り付けることからスタートし、取り付けられた方の人間は、相手の嫌なところ、我慢ならないところを見つける度に、自分の堪忍袋に溜め込んでいくことになるのだが、この堪忍袋には定量があり、この定量を超えると堪忍袋の緒が切れてしまう。
 そして、切れた瞬間、堪忍袋の持ち主だった人間は、もう一方の人間を殺すまでに狂暴化してしまうのである。相手を殺してしまった人間は、人間界のルールに則り当然その罪に問われることになるが、その前に、我に返った瞬間に、犯した過ちに驚愕し自ら命を絶つ者も多いという。

 このゲームを仕掛ける神様にとって何が面白いのかというと、堪忍袋の緒を先に切ってしまう人間がどちらなのかを予想するところなのであるが、この神様は、人(神様)が悪いというか、予想そのものというより、堪忍袋の緒が切れた後の人間同士の修羅場を楽しみにしているようなところがある。

 さて、今回、神様がお選びになったのは、子を授かったばかりの結婚2年目、新婚気分がまだ抜けていない幸せいっぱいの夫婦であった。
 まさに今、取り付けたそれぞれの堪忍袋から送られてくる映像が、モニターに2分割で写し出され始めたのである。
 因みに堪忍袋の緒が切れるまでの平均10〜15年ほどの期間を神様はこれからご覧になるのだが、地球が誕生する前から存在されており、不老不死である神様にとっては、その期間などほんの一瞬のことで、下界の人間の生活に例えるならば、3分程度の動画を一本見るようなものである。

観察(いわゆる下界で言うところの)1年目 娘0歳
妻:夜泣きが辛くて。眠い。なんか私だけが子育てしている感じなんだけど。そもそも育児   休業は母親しか取れないって思ってるんじゃない?あなたの会社にも男性の育児休業制度があること、知っているんだから。
夫:お前は、育児休業を取っているんだろう、なら、育児は100%頑張ってもらわないと。俺は仕事で忙しいんだ。まっ、少しなら手伝ってあげてもいいけどね。

観察2年目 娘1歳
夫:保育園を探す?仕事に戻る?俺の稼ぎだけじゃ無理だって?このまま退職しないの?娘には、お金よりも母親の愛情だろう。
妻:保育園探しも、役所への申請書作成とかも私ばっかり。どうなってんのよ。

観察3年目 娘2歳
妻:入園の準備もそうだったし、毎朝の保育園の準備も何もかもぜーんぶ私。
夫:保育園に提出する緊急連絡先って母親だけでよくね。連絡がつかない場合の連絡先も嫁さんの実家の電話でよくね。父親の緊急連絡先って意味あるのかよ。

観察5年目 娘4歳
夫:こっちは大事な会議中だっていうのに、突然電話してくんなよ。子どものことは全部任せるって言ってるだろう。
妻:娘が熱を出した時とかでお迎え行くのはいつも私。仕事に復帰している私にだって会議もあればお客様との大事な約束とかもあるのに。

観察7年目 娘6歳
妻:小学校は私立のことも考えてみたらって、何で私だけが考えなければならないのよ。
夫:費用のことばっかり。男のくせに給料が低い?大黒柱なんだからもっと頑張れってひどくね。

観察9年目 娘8歳
夫:ピアノの発表会の申し込み、まだやってないのかよ。母親なんだからしっかりしてくれよ。
妻:今日のPTAの会合、あれ何?くじで会長決めるなんて。会長は男の人から選んでよ。

観察10年目 娘9歳
娘「ねー、ねー、これ何て読むの。『女』にお医者さんの『医』って書いてあるけど。」
父「それはね、『じょい』さんって読むんだよ。」
娘「じゃ、『男』に『医』って書いたら何て読むの。」
父「えっ、そんな言葉はないと思うな。」
娘「なんで。」
父「・・・。」
娘「お母さん、テレビで言ってた『うちのしゅじんが』の『しゅじん』ってどう言う字なの。お家のことでいうとお父さんのことなんでしょう。」
母「そうよ。ぬしってわかるかな、あと、あるじとかおもなとかの『主』っていう字ね。それに人間の『人』を付けて『主人』。男の人の方が偉そうで、お母さんはあんまり好きな言葉じゃないけどね。」
娘「えっ、でもこの前、お母さんも電話で言ってたよ。」
母「うそ、使わないわよ、そんな嫌な言葉。えー、でもいつのこと。」
娘「何か買わされそうで困っちゃったって言ってた時だよ。ほら、『今、主人がいなくて、私は何もわかりません』って。」
母「・・・。」

 その後、神様の期待も空しく、2人とも堪忍袋を使う機会が少なくなっていった。
 ここでまた、ちょっと補足説明を。
 堪忍袋の緒が切れる前に、相手を受け入れて、憎しみの感情をお互いに捨て去ることができた場合、それまで以上に素晴らしい人生を謳歌できるという大逆転ボーナスが与えられる。これは滅多にないことなのだが、どうやらこの人間の夫婦はそのボーナスを手にしそうな気配になってきた。

「チッ。クソつまんなくなってきやがった。」
「おい、お茶。なんか腹減ったな、お前、今日はもうカレーでいいぞ、ちょっと早いが夕食にしようや。」

 ガッツーン!
 飛んできた巨大なフライパンが頭に当たり、神様はソファーから床へ崩れ落ちていった。

「黙って聞いてりゃ、調子に乗りやがって。」
「だれが『お前』だ。はっ?お茶?カレーでいいだ?。ふざけんな、食べたきゃ勝手にてめーで作りやがれってんだ。あー、情けない。少しはこの人間達を見習ったらどうだい。人間の爪の垢でも煎じて飲みやがれってんだ。」

「に、人間だと。あんな下等な生物を見習えだと。そっ、それより、お前、少しは女らし・・・。」
「おいっ、おいっ、嘘だろ、やめろ、やめてくれ。それは本当に痛そうだ。」
 霞んでいく神様の意識の中で、近づいてくる妻が持ち出した巨大な包丁が見えた。

 この神様夫婦は気づいていないが、その足下には緒が切れた堪忍袋が転がっていた。
 宇宙のさらに遠いところにある巨大なお屋敷で巨大なモニターを見ているさらに偉い大神様にしか見えない堪忍袋が。



男女共同参画社会のイメージ図

(内閣府男女共同参画局) HPから抜粋https://www.gender.go.jp/about_danjo/society/index.html