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映画館はオワコンか?~人間の欲望果てしなく~

 映画が誕生して約130年、その開発にトーマス・エジソンが関わっていたとおり、映画は常に技術革新とともに進化してきました。映画の上映においての技術革新は、サイレントからトーキーへ、モノクロからカラーへ、スタンダードサイズから大画面へ、モノラルからステレオへ、2Dから3Dへと革新を遂げています。もう少し丁寧に言えば大画面においてはシネマスコープからシネラマ、70mm、そしてIMAXと進化し、サウンドにおいても立体音響からサラウンド、光学から磁気録音へ、そしてドルビーサウンドに至っているのです。文学や絵画や音楽のように作者の感性と労苦にほぼ100%依存するものとは、同じ芸術の範疇としても映画はさらに技術が不可欠なのです。この点こそが現時点で映画がオワコンか? などと言う言葉で語られてしまう弱点にも繋がるのです。

 何故技術革新による優位を維持・更新する必要があったのか?と言えば、それはいわゆるテレビの存在があるからです。テレビに客を奪われまいと、テレビに出来ない事をとことん追求した結果の革新だったはずです。ところが技術革新はテレビの方にも急速に恩恵をもたらしていたのです。ビデオが市販化され、テレビの解像度もハイビジョンから4Kのレベルに、それにともない画面サイズも大きくなる一方なのです。送り出す側も電波からケーブルとなり、ついにはインターネット配信が可能となってしまいました。技術革新により成長したものの、競争相手も激しく革新してきたと言う構図なのです。と言うよりテレビの製品としてのマーケットの方が明らかに大きいわけで、優位なんて最早言えない域に達してしまいました。

 そしてもう1つ事前に明らかにしておかなければならない相違があります。およそ芸術たる創作においては、多くが天才及びそれに近い秀才が、研ぎ澄ました感性をフル動員して築き上げた基本的に個人の作品であると言う事です。対する映画は監督がいて制作者、カメラマン、脚本家、役者、その他もろもろのスタッフを含めての共同作業の形態であります。この相違の意味することは個人の範疇を大きく超えた製作費が必要であり、そしてこの事から、映画はその製作費を上回る収入を得る努力が必須となってしまいます。なにより大画面で多くの観客を対象とする興行に依存しなければならないわけです。要するに経済的ボリュームがまるで異なり、これがまたオワコン論議に結び付くわけです。

 近頃は地味な作品においてすらSFXなりCGなりを部分的に取り入れる時代です。何故かと言えば効果が大きいから使用する、費用の割に出来栄えがいいからです。そう、最初は費用節約の目的だった革新が、次々と派手になり、観客からの迫力映像への要求はエスカレートする一方なのです。それにより製作費はうなぎ登りに高騰してしまいました。と言う事は資本の回収の必要から、巨額の宣伝費を費やしてもヒットさせなければならないのです。この肥大化した経済的ボリュームは、いずれ破綻を免れる事は避けられない状況にまで追い詰められました。なにしろ近年のハリウッド大作は日本円で200~300億円の予算にまで膨張してますから。

 こうした映画制作サイドの行き詰まりと並行して、受け手側の様変わりにも目を向けなければならないでしょう。IТなんて既に古い言葉になりつつありますが、Iすなわちインフォメーションが飛び交う時代です。常に人々は最新のインフォメーションを浴びせられているわけです。映画館でエンドタイトルになった途端に、人の迷惑顧みずスマホをチェックする輩のなんと多い事でしょう。そんなに最新情報が気になるのでしょうか。そもそも2時間もスマホを見る事を禁じられる映画なんて耐えられない、そんな我慢も出来ない人が確実に増えているのです。

 だから既に違法で検挙されていますがファスト映画なんてのがもてはやされたわけです。2時間の映画を10分で見る、自ら録画した映画でも再生するのに倍速で、配信とてもスピードアップして時間を節約するのです。しかしこれらは映画を鑑賞なんて全くしていないも同然でしょう。なぜなら映画の結果をインフォメーションとして確認してるだけです。時間芸術である映像とサウンドによる余韻など一切無視、鑑賞とは到底言えません。当然に審美眼やら感性を磨くことなんて無縁でしょう、過程を味わう事より結果だけが欲しいのですから。

 念のため申し添えれば、スマホでの映画なんて鑑賞ではなく、ただ見たと言う状況証拠を作っただけ、画面のディティールの深淵を感じ取るなんて端から無理ですと、私は言い切ります。しかし手元のスマホの画面で「アベンチャーズ」を見る、億の大金を費やしたVFXの恐ろしい程の精緻な画面の隅々なんてどうでもよろしい、所詮IMAXで観たところで全部認識し味わうわけではないのだから、それて十分に満足するのが当たり前になった。と言う方が正しいのかもしれません。

 こうした観客の変異に呼応するかのように、観る場も映画館からNetFlix、Amazon Prime、Disney+などの配信に移行し、我慢出来ない人々を引き寄せています。VOD則ちVideo On Demandの名の通り、視聴者が観たいときに観たい場所で勝手に観るスタイルです。テレビの前とは限りません、電車の中でもトイレの中でも、こんな天国がどれだけ観ようと月々映画一本分の定額費用で享受できるのですから。

 こうしてみると、少なくとも「映画館」はオワコンと言えてしまうのでしょうか? コロナ禍の最中、映画館はいとも簡単にクローズされてしまいました、まるで不要不急の最たるものとして。「ニュー・シネマ・パラダイス」は既に遥か遠き追憶の彼方です。抗うにはどうすべき? 結局、前述のとおり技術革新にしか術はないでしょう。それも、バーチャルにリアル体験が可能な未来のシステムだとすれば、いとも簡単にパーソナルのシステムに置き換わってしまうでしょう。逆に、昨年オープンした米国ラスベガスの「スフィア」のような超巨大映像システムに走らざるを得ないのかもしれません。

 スタジアムにスポーツ観戦に行く、得も言われぬ高揚感がそこにはある。大画面テレビの生中継も素晴らしいけれど、圧倒多数の人々にとって体験を共有する現場には到底かなわない。よって満員の観客と一緒に映画を観ることはやはり特別な体験になり得ると信じたい。個への提供が行きつく先にマスへの共感要求が高まる、そうゆう風に人間は出来ているのです、きっと。

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