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【観劇記録】舞台『少女都市からの呼び声』THEATER MILANO-Za/初日公演 —個人的雑記—

本記事は、あくまで個人的な雑記である、と断ったうえで、正直な感想を書いていきたい。


安田章大を、「憑依型」の役者であると思ったことは、ない。

彼は憑依型であるとよく評されるのだが、役を憑依させる・役になりきる、というより、「役を引き寄せる」役者であると筆者は思っている。

役者・安田章大が主演を務める舞台について記事を書くのは本記事で三度目になるが、前回の主演作の『閃光ばなし』に関する記事でも下記のように記述した。

役者・安田章大についても記していきたい。前出のように、今回の役柄について安田氏自身、雑誌のインタビューで自由度が高いと語っていたが、その役の操縦を、彼自身を軸としてハンドリングしている印象を受けた。

安田氏自身が持つ、勇敢さであったり、懐の深さであったり、気さくな柔和さと揺るがない頑然さが共存した部分であったりが、佐竹是政という役に肉付けされ、説得力という言葉以上に、“その人”としてそこに生きている。

“役者”と呼ぶには、演技という枠を取っ払い、ひとりの人間として役を生きるエネルギーが、凄まじすぎる。
彼は、“役者”であると同時に、その心身に役を息衝かせ生きる“表現者”であり、さらにそのエネルギーは、“怪物”であるという印象すら抱くのだ。


これは、前回の記事にも記したことで、彼を怪物と呼んだ所以である。

舞台『閃光ばなし』が放つもの。役者・安田章大という、生きる疾走感。

彼は、自分自身の生命を軸として、役を引き寄せて生きる。ただなりきることとそれは、似て非なるアプローチであると感じる。
とても感覚的で本能的でとてつもなく右脳派であると同時に、彼は、役がする呼吸、声や言葉や熱量を秘めたり放出したりすることのとてつもなく緻密なバランス調整や、その見せ方や魅せ方に説得力を持たせるための咀嚼や塗装や積み重ねの左脳的な作業を、理性的に行う役者である。
だから、観客として、役者の彼を信頼することができる。そして、彼自身と役の生き様を目撃することに、こちらも誠実でありたいと思わせる。彼が出演するのならば、観客として代金を支払い、必ず初日から足を運び、五感で体感し、表現をしかと受け取り、全身全霊で消化し昇華しようと。(筆者にとってのそれは、嘘偽りのない感想をでき得る限りすぐに言語化して残すことだと思っている)
安田氏が『少女都市からの呼び声』に出演することが決まってから、唐十郎作品を観ておこうと、唐十郎主宰の劇団・唐組による紅テント芝居『透明人間』、そして金守珍主宰の劇団・新宿梁山泊による紫テント芝居『テント版 少女都市からの呼び声』を観劇した。単純な興味ももちろんあったが、観客として誠心誠意誠実でありたいと思ったからかもしれない。それは筆者自身にエネルギーがあったからではなく、芝居を観た客にそうさせるほどに安田氏の役者としてのエネルギーが凄まじいからだと記しておきたい。

2023年7月9日。

2023年4月に開業した、東急歌舞伎町タワー内の劇場「THEATER MILANO-Za」。
この劇場のオープニングシリーズ第3段として、『舞台・エヴァンゲリオン ビヨンド』(原案・構成・演出・振付:シディ・ラルビ・シェルカウイ、主演:窪田正孝)、『パラサイト』(脚本・演出家:鄭 義信、出演:古田新太)に続き上演される、『少女都市からの呼び声』(作:唐十郎、演出:金守珍、主演:安田章大)の公演初日に足を運んだ。

今回、安田氏の芝居で、あぁ彼はこう仕上げてきたのか、とハッとしたことがあった。
それは、安田氏演じる田口が、「妹がいる男には“見えない”」ことだ。
この作品の中心には、咲妃みゆ氏演じる雪子がいる。雪子は田口の妹である。「妹役がいるのならば、兄に見えることが好ましいではないか」と思うだろう。だが、ここで言いたいのは、決して、「見えるような芝居ができていない」という話ではない。一体どういうことか。
安田氏は、前々作の主演舞台『リボルバー〜誰が【ゴッホ】を撃ち抜いたんだ?〜』では画家のフィンセント・ファン・ゴッホを演じていたが、フィンセントには、大鶴佐助氏演じるテオという弟がいた。安田氏のフィンセントはきちんと、「弟がいる男」に見えた。弟役が舞台上にいるからではなく、“フィンセント・ファン・ゴッホ”という人間は弟を持つ兄である側面を持つ人間なのだと、特別意識せずとも感じられた。
前作の主演舞台『閃光ばなし』で演じた佐竹是政は、黒木華氏演じる政子という妹がいた。安田氏の是政はきちんと、「妹がいる男」に見えた。これもまた、作品として妹役がいるから、そういう設定だから必然的に兄なのだろうという解釈としてではなく、“佐竹是政”という人間は妹を持つ兄である側面を持つ人間なのだと、政子がその場にいなかったとしても、是政という男を眺めるだけでも雰囲気で感じられた。
言葉や仕草で明確にわからせようと示されるわけではない、人間としての空気である。普段、学校や職場や人付き合いの場で他人に対して、「女兄弟いそうだな」とか「末っ子っぽいね」とか、「あの人、一人っ子だろうな」とか、そういうことを感じたことはおそらく多くの人は経験があるだろう。その感覚である。
彼は、生きる人間が醸し出す、言葉にせずとも感じる雰囲気を纏うことができる。もはや演技かどうかもわからないほどに、さも自然に。だが田口という男は、女兄弟がいる男の雰囲気がないのである。だから感心したのだ。
なぜなら雪子は、“この世に存在できなかった”妹である。田口の一部でもある。田口の夢の中では、妹として、「にいさん」と彼を呼んで、笑ったり怒ったりしていても。
今回、彼は、あえて、“妹がいるように見えない男”の雰囲気を纏っていたのではないか。

これは感想のひとつだが、田口という役を引き寄せた安田氏の芝居を目撃するために、多くの人に劇場に足を運んでいただきたいと思う。

筆者が好きな田口のシーンは、人は歳を取り老いていくことを雪子に語る場面である。安田氏だからこその柔和さとしなやかさが声に滲んでおり、それでいて凛々しく強く諭すような意志のある瞳にグッとくる。


雪子役の咲妃みゆ氏についても記しておきたい。
テント版の雪子が、スナックのママのような、肝が据わった根性がある生々しいリアリティある印象だったことが意外であったが、咲妃みゆ氏による雪子は、“どこか儚く浮世離れしていて、妖艶でいて無垢”という、もともと思い描いていた人物像に近かった。
鈴を転がすような声がとても魅力的で、澄んだ歌声はブレがない。
気になったのは、終盤の有沢とビンコとのやりとりのシーン。ここはもっと鬼気迫る迫力があればなと個人的には感じたが、振り切り過ぎないことを選択したのかもしれない。


細川岳氏演じる有沢と、小野ゆり子氏演じるビンコ。
二人については、失礼ながらどうしてもテント版の大鶴義丹氏と佐藤水香氏と比較してしまった。安田章大と六平直政、咲妃みゆと水嶋カンナについては、巧さ云々ではなくそれぞれがそれぞれの田口と雪子、そしてその関係性を作り上げていると感じられるのだが、有沢とビンコに関しては、テント版の役者の圧倒的な巧さや婚約者としての空気感が恋しさのように思い出されてしまった。
有沢のもうすぐ独身ではなくなる男特有の得も言われぬ僅かな憂鬱感や、ビンコの女性的な執念や慕情、そして婚約者である二人だけの空気感がもっと欲しいと個人的には感じた。


また、今回、筆者が、「安田章大の芝居を観る」ことと併せてTHEATER MILANO-Zaでの『少女都市からの呼び声』に期待していたことがある。それは、テント版とは異なる規模、スケールでの、演出や魅せ方やその迫力である。
セットや音響や照明などにかける費用も、作り上げるうえで関わる人員も、劇場の設備や大きさも、テント版とは大きく違う。
テント芝居はその独特の人の密接感や濃密な空気感、より手作りであるからこその刹那的で猥雑な手触りが魅力であると感じるが、THEATER MILANO-Zaのオープニングシリーズとして堂々上演されるからこそ、規模が変わるからこそ、商業やエンターテインメントとしてのスケールが大きいからこその、“使えるものを存分にふんだんに使ってやる”『少女都市からの呼び声』が、どう五感に迫ってくるのかを楽しみにしていた。

結論から言うと、そのスケールや演出に関しては勝手に個人的な期待をし過ぎてしまったのかもしれない、と感じた。
小道具や衣装は綺麗だし、もちろんしっかりと大規模なセットになっている、しかし、スケールが大きくなり作品としてパワーアップした、という印象は初日はさほど強くは受けなかった。また、テント版と引き続いて出演するいわゆるアンサンブルの役者陣の芝居や動きに関して、THEATER MILANO-Za版だからこそという新たな気概より、テント版の延長という印象を受けたことが正直なところである。メインキャストは豪華にしその初挑戦の役者陣が挑みつつ、その他の要素はそのまま持ってきたという感じがあった。これは良い悪いということではなく、この戯曲がテント版で既に完成されているものということだと感じる。
こう感じたことについては、パンフレットの若手座談会の最初、『このスピード感、あり?!』という部分を読んで、「あぁ、この進め方だからこういう印象の仕上がりになったのだな」と腑に落ちたりした。「長年上演されてきたこの戯曲の芝居を一度すべて壊して再構築していき、THEATER MILANO-Za版の役者陣と演出により爆発的な化学反応が起こった結果、観られるもの」を個人的には期待したのだが、新たな役者陣が既に出来た空間についていくことがスタートでありゴールだったのなら、それは生まれない。ただ繰り返すが、このことは良い悪いという話ではない。

良いなと思ったのは、開幕するとまず存在する大きな地球、それが、子宮となり、胎児の影が見えた演出。この劇場の規模感ならではであったし、作品を象徴するような視覚的表現であった。

また、作品の導入のための台詞がわかりやすくなっていることも感じた。田口が手術台に寝ており、有沢とビンコが話し、田口が旅立つまでの部分が特にそうで、そう考えると有沢とビンコは観客に近い立ち位置として、あえてドロドロとした愛憎に浸り過ぎないように調整されているのかもしれない。

舞台はナマモノである。いや、それこそ、子宮で育つ胎児のように息衝き刻一刻と変化するものである。
東京公演30公演、大阪公演10公演の計40公演で、どんな変化を進化や深化や新化を見せるかわからない。
筆者もまた観劇する予定であるが、その時にはここに書いたこととまったく異なる感想を持っているかもしれない。
ただわかることは、自ら足を運び五感で感じなければなにも生まれないということだけ。
だから、呼び声に誘われ、またあの聳え立つ塔へと向かう。そんな気持ちでいる。


■Information

『少女都市からの呼び声』

【東京公演 THEATER MILANO-Za(東急歌舞伎町タワー6階)】
2023年7月9日(日)〜8月6日(日)

【大阪公演 東大阪市文化創造館 Dream House 大ホール】
2023年8月15日(火)〜8月22日(火)

【料金】
全席指定席・税込
S席 12,000円  A席 9,500円

【キャスト】
安田章大、咲妃みゆ、三宅弘城、桑原裕子、小野ゆり子、細川岳
松田洋治、渡会久美子、藤田佳昭、出口稚子、板倉武志、米良まさひろ、
宮澤寿、柴野航輝、荒澤守、山﨑真太、紅日毬子、染谷知里、諸治蘭、本間美彩、河西茉祐 
金守珍、肥後克広、六平直政、風間杜夫

【脚本】
唐十郎
【演出】
金守珍

【企画・製作】
Bunkamura

【公式HP】
https://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/23_shojotoshi/

ラムネの瓶が積み上げられたオテナの塔が、
東急歌舞伎町タワーと重なる。

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