見出し画像

3つの病気と向き合った27歳は、じぶんの限界を思い知った1年だった

「令和」2日目となる5月2日に、28歳の誕生日を迎えます。
ちょうど公私ともに変化を迎えており、わたしにとってこんなに節目らしい節目はありません。

noteは長らくROM専だったのでちょっぴり緊張しています。
前提として、あまり仕事のことは書きません。

広報PRうんぬんの「ボケ」は引き続きはてなブログでかましていく予定です。最近は停滞気味だけど。
ここでは人生や感情のログを残していきます。

ということで、今日は27歳を象徴する出来事となった健康のはなしを。

27歳直前、「睡眠障害」を治療する予定だった

2017年末から2018年あたまの26歳終わりかけ。わたしはひっそりとした悩みを抱えていました。居眠りです。

自覚症状は子供の頃からありました。

中学、高校、大学。
先生には「真面目なのにほんとにいつも寝てるよね」とよく言われていたし、友達や恋人、家族にも「話しかけた次の瞬間に寝てる…」と驚かれることはしょっちゅうでした。

テレビ番組や映画もほぼ必ず途中で寝るし、本は読み始めたら10分で意識が飛ぶ。
そのくらいだったらまだ良かったんですが、社会人生活でも、総会や講演会などという場は起きていられず、「さすがにやばい」と思うように

意を決して睡眠クリニックの門を叩き、先生に全て話したところ、睡眠障害の可能性が高いと指摘されました。

先生曰く原因は2つ。
ひとつはストレス。これは文字の通りなので詳細は省きますが、もうひとつは骨格でした。

どうやらわたしは顎が小さいのに舌が長いようで、仰向けに寝ると顎が舌を支えきれず舌が呼吸起動を塞いでしまう→睡眠中に体内の酸素が不足→睡眠の質が低下→ナルコレプシー(居眠り病、日中に発作的に急激な眠気に襲われる過眠症のひとつ)発症、となるのだと。

睡眠時の酸素量を計りましょう、となり、人差し指と胸部の心拍数からそれを調べる機械を渡され自宅で検査した結果、ほぼ睡眠障害で間違いないだろうとなりました。

治療(オリジナルのマウスピースをつくるらしい)に入るには検査入院が必要と言われ、いつ仕事休もうかなーなんて考えてた矢先に、2つ目の病気を迎えることとなります。

27歳早々、「適応障害」になり10ヶ月仕事を休んだ

2018年5月。27歳を迎えてほどなくした頃、わたしは大好きなお仕事仲間のみなさんに大大大好きな馬肉を囲んで誕生日を祝ってもらいました。

画像1

今年もみんなと素敵な仕事をいっぱいするぞー!と意気込んでいました。

でも、それと同じくして、身体に少しずつあまりよろしくない変化が起こっていることも感じていました。

とにかく頭が痛い。
首から肩がガチガチに凝り固まってる。
しかも毎晩寝付けない。

前述したナルコレプシーに加え、明け方4時半くらいまで目が冴えていることが日常茶飯事な、過眠症と不眠症のダブルパンチ。頭痛も目覚めとセットで毎朝必ずやってくるようになりました。

おまけに引くほど食欲がなくなり、あれだけ食べること大好きだったわたしが、ウィダーインゼリーたった1個を1日かけて飲むのですらしんどい時期も。

そうなると栄養不足で生理不順が起き、貧血も進み、目眩や耳鳴りが増え…と体が完成に負のサイクル入り
誰かに会うたびに「顔色悪すぎ」と言われる日々でした。

そんな自分が情けないし、800人くらいの会社で社外広報は自分1人だったので誰かに甘えるという選択肢が浮かばず、限界まで我慢してしまったんですよね。

出勤できる日が少しずつ減り、会社にいても涙が止まらない。
自分で自分に押しつぶされかけていたとき、相方のおそらさんが「心療内科に行ったほうがいいよ」と、救いの言葉を投げかけてくれました。

おそらさん自身もこんなnoteを書いていて、彼女からは日々”なめらかに生きる”ヒントをもらっています。

ということで、まず1ヶ月休職しました。
上司があらゆる部署に「しばらくプレスリリース等の広報施策はストップします」と連絡してくれて、心強いなという気持ちと申し訳ないなという気持ちがせめぎ合っていたのを覚えています。

でも、広報関係で契約していたツール等の請求業務は止められない。私以外に対応できる人がいない。ということで翌月には復帰。

ところが、やっぱり思うように仕事が出来ず、医師からちゃんと休みなさいと言われ、いろんな人に仕事を引き継いでもらいその翌月からまた休職。

ゆっくり休めると思いきや、自己嫌悪と焦りであっという間に期限を迎え(前職の休職期間は累計3ヶ月だった)、10月頭に休職期間満了につき自然退職するに至りました。

そこから半年ほどは、ライフワークでもある #PRLTの運営でなんとか社会人としての自我を保ちながら「元気になること」に専念しました。やっと。

体重は12キロ減り(写真のピーク時からだと18キロくらいw)別人のようになったし、未だに頭痛は頻繁しています。でもご飯は食べだしたら割と食べれるようになり、顔色もほぼ元通り。

画像2

(左が2017年3月、右が2018年12月。食欲不振とビーモンスターで結果にコミット!)

整体や病院に通いながら、周りのサポートを受けながら、3月11日からフリーランスとして仕事復帰しました。ちょうど体調崩してから10ヶ月後となります。温かい声をかけてくださったみなさん、ほんとうにありがとうございました。

さて、仕事だ。

とスタートを切り出したところなのですが、実はいま、また新しい病気と出逢いました。

27歳最後に「月経困難症」と言われた

こんなダメダメだった1年間を1番側で支えてくれた彼とも2月に事実婚をし、入籍の準備に入ったあたりで、また謎の体調不良が起こりました。

よくわからないけど、下腹部がずーっと痛い。
そして下腹部が痛むと背中も痛み出す。
ちゃっかり恒例の頭痛も併発(しかもなかなかきつめ)。

こんな状態が3日ほど続き、食あたりかな?とか思ってたら生理がきました。なんだ、生理か。良かったー。

いや待てよ、こんなに辛かったのに”良かった”なのか…?

もとから生理痛がだんだん重くなってきた自覚はありました。
それに今回は生理4日目以降でも腹痛が消えず、明らかにいつもと違う。

そんな中タイムリーに、ハヤカワ五味さん、しおたんさんといった方々が生理や子宮内膜症について発信されていたのはめちゃめちゃ大きかったです。もしかして私も子宮内膜症なのかな?すぐ病院行こう、となりました。インフルエンサーってすごい。

わたしの場合は子宮にトラブルがあったのではなく、ホルモンバランスが乱れているとのことでした。ここ最近末端冷え性が激化して、でも汗っかきなのもホルモンのせいみたい。軽めのホルモン剤を飲み始めて様子を見ることとなりました。

「わたし」に筋を通す

睡眠障害、適応障害、月経困難症。

どれもストレスや経年悪化という目に見えずらい発生原因・経緯によるものだし、緊急度が高かったり生死に関わったりするものではなかったので、症状をググって「私もこの病気なのかな?」とモヤモヤし続けていました。

だから病院に行って、先生から「病名」を告げられるとほっとしました。記号の持つ力ってやつですね。得体の知れないものじゃなくなったら、治そうって思考に自然となるものです。

それと同時に後悔もしました。もっと早く病院へ行けば良かったな、と。(気軽に行き過ぎるのはダメですよ)

当たり前ですが、軽い症状のうちであれば治療費も治療期間も全然違います。睡眠障害は完全自費なのでウン万円かかるとこだったし、適応障害に関してはいきなり休職して周囲に迷惑かけることもなかったかもしれない。女性特有の病気は、これからの人生を左右しかねません。

(睡眠障害は努力でだいぶ改善されました)

あらゆる角度から肉体的・精神的な限界を知った27歳。体が資本だという言葉が痛いほど身に沁みました。

でも、じぶんの限界を知ったからこそ自分自身をコントロールしやすくなった(少なくともコントロールしないと、と意識するようになった)し、責任感で押しつぶされる前に「今はしんどい」と言えるようになってきた気がします。少しずつですが。

自分で自分のご機嫌が取れるようになってきてからが、1人前の女性として歩む日々ですね。「令和」のわたしは、わたしに筋を通せるレディでありたい。いちばん"良好な関係構築"をしなくちゃいけないのは自分自身だ。

さいごに。人によって症状は様々ですが、これらの経験がだれかの悩みに寄り添えたら幸いです。話を聞いてあげる、おすすめの病院や漢方を教えるくらいのことは出来るので、もし1人で抱え込んでいたらメッセしてくださいな。

いざゆけ令和!



あなたのサポートがわたしのパワーになります:)