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95. 小学校のマラソンの思い出

みなさんこんにちは。

今回は、宿題も勉強もしなかった羽原少年がそいえば頑張ったことがあったなあということを書いていこうと思います。

それがマラソンなのですが、特段毎日自主練をしていたなあという話ではないのです笑


みなさんは小学校のマラソンって好きでしたか?

僕はそんなに好きじゃありませんでした笑

周りに比べて体力がある訳ではなかったし、運動部でバリバリ動いているという訳でもなかったからです。

冬の寒い時期になってくると、朝のホームルーム前にマラソンとして、校庭を何周回れたかみたいなのを取っていたと思いますが、その時も特段みんなより多く回っていた訳でもありませんでした。


体育の時間でもだんだんマラソン大会に向けてマラソンの授業が増えてきましたが、そこでも真ん中くらいかちょっと後ろの方を走っていたと思います。

そんな中、マラソン大会が意識される1ヶ月前頃に、僅差で走っている前の人を抜いたことがありました。

その抜いた時に、このまま抜かされたくないなって思う自分と、もう1人抜けたらどんな自分になれるんだろうと思う自分がいました。

このまま踏ん張れる自分って走り終わった後にどんな快感が待ってるんだろうと少しワクワクもしました。


呼吸も乱れてる、肩が重くて、足も引きずるように持ち上げて一歩前に出すのが精一杯、その次にはもう片方の足を伸ばすのに精一杯。

そんな中でもう一歩、後一歩進めたら、次の電信柱を超えたら僕頑張ってるなって、あ、電信柱超えれた!、じゃあ、次の電信柱まで粘った自分ってどんなに清々しいんだろうって。

友達を抜くことから、自分の次の限界をほんのちょっとチャレンジして乗り越えた時、新しい自分に出会えたなって感覚を小さな電信柱の目標から感じました。

それを感じ始めたら、次の電信柱の目標を達成したら、どんな清々しい自分になれるんだろう? 次は?

そう思うとマラソンがというより、自分の次の可能性がほんの少し見えてくることが楽しくなってきました。

その先にマラソンの時間として少しでも縮まったら、それが自分の成果なんだって感じれるようになりました。


もちろん、タイムが縮まる一方ではありませんでした。

何度も同じタイムを行き来してこんなに頑張ったのにって思うこともありましたが、その中でほんの少しずつでもタイムが縮まってくることが意識できてくるようになった時に、マラソンを走っている自分が好きになれていた気がします。


そんなこんなで特段マラソンが好きな話ではありませんでしたが、自分の可能性を少しでも広げられたのが嬉しかった記憶があります。


みなさんは自分の可能性をほんの少しでも感じられた、広げられたという経験はありますか?

そういう経験を大事にして、次の自分の新しい可能性を一緒に広げていける自分になろうと思います。


それではまたどこかで。

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