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ドールのホルン

ホルン、という楽器をあなたは知っているだろうか。まるくてカタツムリみたいな形をしており、お腹のところで抱えてやわらかく吹くと「ほーん」という音が出る金管楽器だ。そしてわたしはホルンを見ると、たいてい腸を思い出す。そう、消化器官の腸。お腹の中で絡まりもせず見事に収まっているあのくだ・・は、全部引き伸ばすと6メートルの長さにもなるらしい。ホルンもそれと同じようなもので、あんなにちんまりとまとまっているのに管の長さは全長4メートルなのだという。

中学生の頃、オーケストラ部の体験入部で試し吹きさせてもらったが、息を吹き込んでから音になって出てくるまでの時間があまりにも長く、ジリジリイライラしてしまってわたしには無理、と思った。結局その後、音の反射神経が良いトランペットを選んだのだけれど「なぜトランペット?」と聞かれて、流石に「すぐに音が出るから」とは言えずじまいになっている。

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時は流れ、大学生になったわたしはチェロを弾いていた。ホルンを諦めたあと「吹いたら(弾いたら)すぐに音が出る」ものをトランペット以外に何か……と考えた結果の出会いだった。弓に腕の重さを乗せて、うおん、と鳴らしたら、瞬時に周りの空気までおおきく震わせて、空間そのものが一つの楽器みたいになるのもいい。打てば響くようなその楽器はとても気持ち良いものだった。

所属していたのは学内のオーケストラで、そこで昼夜問わず練習に励んでいた。入団してから知ったのだが国内でもそこそこ名の通る団体だったらしく、顧問やOBOGの伝手で綺羅綺羅しい音楽家の人たちを招聘しては、オーケストラとの共演を実現させてもらっていた。

そうしたうちの一人として、Stefan Dohrというホルン奏者がやってきたことがある。人々から「ドール」と呼ばれる彼は、ベルリンフィルの有名な奏者なのだが、当時のわたしは弾くことにばかり夢中で他の演奏を聴くことを全然やってこなかったので、ただ恰幅が良くて愛嬌のあるホルン吹きのおじさまがやってきた、くらいにしか思っていなかった。

彼をソリストに立ててオーケストラが演奏するのは、モーツァルトのホルン協奏曲。まっすぐなヘ長調と伸びやかなフレーズが特徴的な、原っぱでパーティーをしているような曲で、彼のことをよく知らない人間から見ても、その曲はドールの快活な人柄にとてもぴったりだった。

しかし当時わたしはまだ低学年で、加えてモーツァルトの協奏曲は推し並べて少人数で演奏するものなので、この曲で出番を獲得することはできず、代わりに、同じ日に演奏するドヴォルザークの『新世界より』に乗せてもらえることになっていた。この曲はオーケストラだけのものなので、ドールは出演しない。

本番当日、ホルン協奏曲の演奏が始まったのを楽屋のスピーカー越しに確認したのち、そっと舞台袖に行ってみる。ステージと袖を隔てるドアの小窓越しに奏者たちの方を覗くと、すでにドールが朗々とホルンを奏でていた。中学生のときには管が絡まり合った気難しそうな楽器にしか見えなかったのに、ドールの分厚くて大きな両手に収まるといささかかわいい。

けれど分かったのはそれだけで、金色の朝顔みたいなベルから放たれているはずの音は、ドアを隔てるとなんだかよく聴こえないままだった。少しだけがっかりしたような気持ちと、どうやらすごい奏者らしい彼の演奏する姿を袖から見られたのだから良いか、と自分を納得させるような気持ちを抱えて、曲の終わりを見届けた。

休憩時間を挟み、『新世界より』の演奏をする奏者たちがゾロゾロと袖に集まってくる。わたしも楽器のかんたんな調律を終えて彼らに続いた。すると、なんと先ほど自分の出番を終えたはずのドールがホルン奏者たちに囲まれて談笑しているではないか。吃驚してホルンの同期に尋ねてみると、ダメもとでサプライズ出演を打診したところ快諾をしてくれたのだという。なるほど確かに、もっとも有名なクラシック音楽と言っても過言ではない『新世界より』は、ドールなら何十回と吹いたことがあるのだろう。

客席の拍手に迎えられてステージを歩いていく。わたしが腰掛けた、そのちょうど真後ろにドールは大股を広げてどっかと陣取った。こんなに近くに座るんですか、と慄くひとりのチェロ奏者なんか意に介さず、指揮者のタクトが宙に最初の弧を描く。ヴィオラとチェロが冒頭のメロディーを奏でる。Eから始まる四度のなだらかな跳躍が、交響曲のはじまりを告げる。

直後、ドールのホルンから突き抜けるようなEが迸った。ドッ、と後ろから背骨ごと貫かれたようになり、思わず肩甲骨をちいさく閉じる。これがホルン?魔改造されたトランペットとかじゃなくて?ホルンって、もっと「ほーん」っていう音を出すはずなのに。管の長さなんて人間の腸みたいなもので、全長4メートルもあるんだから、その間に吹きこんだ息なんてどんどんどんどん細くなっていって、ベルから鳴る音は最初に口から出そうとした音のほんの何分の一みたいな大きさになるのでとても虚しい気持ちになって、そういうわたしの思うホルンとは全く知らない音が、今まさに真後ろの大男から放たれているのだった。黄金の糸を何千本も束にして太い綱のようにした音が、絶えずチェロ奏者の背中越しに客席に向かって飛んでいくのを、本当は恍惚とした顔で見送りたい。でもステージにいる限り、それはできない。

2楽章と3楽章の合間に、横目でドールのことを見やる。ステージの袖から見ていたときよりも遥かに近くにいる今、彼の両手はずっと分厚く大きくて、ホルンははるかに小さく見えた。けれど楽器は確かにあの「管の長さが4メートルある」と言われるホルンで、それを抱えているドールもまた、6メートルのくだ・・をお腹のなかに抱えたひとりの人間なのだった。

オーケストラは、そのまま4楽章へとアタッカで突入する。唸るようなH-C。重量をもって坂を駆け上がるような、終章の始まり。そしてそのてっぺんで『新世界より』でも一番有名なあのフレーズを、ドールのホルンが朗々と歌いあげる。ホールの全ての聴衆の耳が、黄金色の音で満たされる。わたしは呼応するようにして、ホルンじゃない、弾けばすぐに音の出る楽器をfffで響かせる。なんだか祈りたいような気持ちになって、いつもよりも一層深く楽器を身体で抱え込むようにすると、お腹がくの字にやわらかく縮む。わたしの6メートル、と思う。


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