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【生活と読書】5/20-5/26

5月20日(土)
休日だけど子どもの土曜授業があるので平日の延長線。
子どもの帰宅後、ピャっと家を出て北九州方面へ。
福岡都市圏に住んでいる人のほとんどが、「福岡」と「北九州」は違う地域だと認識をしていると思う。わたしもその一人。
(ちなみに「福岡」と「博多」も違う場所を指すし、「天神」と「博多」は全く違う)
小倉へ行くために新幹線に乗ったので、うちの子も「遠くへ行く」と感じたかもしれない。

北九州遠征の目的は、YOASOBIのライブ参戦。
の前に、旦過市場で海鮮丼を食べ、小倉城を見学した。
小倉城、中に入るのは初めてで、なかなか興味深い施設だった。子どもは流鏑馬ゲームに夢中になり、何度も繰り返しやっていた。

旦過市場のマグロ専門鮮魚店で食べた海鮮丼
子どもが食べていた鉄火巻きが美味しそうだったけれど、瞬殺で食べ尽くされてしまった

YOASOBIのライブももちろん楽しくて、アリーナの後方でステージはほぼ見えなかったけれど、大人も子どもも歌ったり踊ったり笑ったり。
「マスク任意」「声出しOK」でコロナ禍前に戻ってきたなーって感じ。今回は「撮影OK」だったため、ガチなカメラを構えている人もチラホラ見かけた。


5月22日(月)
在宅勤務の日。
お昼は夫と散歩がてら近所のラーメン屋さんへ。歩いた分のカロリーを摂取してしまった。
そして今日から何度目かの「平日お酒を飲まない」キャンペーンを実施中。
ほぼ毎日、大好きなビールを1缶ぐらい飲んでるんだけど、翌日のむくみや怠さを思うと飲まない方がいいのはわかってるんだよね。
歳のせいか「毎日飲まなくてもいいか」という気持ちになったので、このチャンスを活かしたい。そんな気持ち。


5月23日(火)
仕事で北九州方面へ。
仕事で行く時は社用車なので、時間がかかる。新幹線だったら20分なのに、車だと1時間半かかっちゃう。つらい。


5月24日(水)
在社、終日ミーティング。
年下の同僚に『35歳からの反抗期入門』を持っていく。

遅すぎる反抗期を発症した2019年、私(著者の碇)が35歳の時に始めたブログをもとに、文章を修正&ガリガリ加筆しまくったものをまとめたZINE(自主制作本)です。ネットじゃなく紙の本だからこそ書けることがあるなと思いながら、個人的な話を追記しました。

公式ショップ「温度」より抜粋

「反抗期」と聞くと身構えてしまいがちだけど、自分が自分らしく過ごすためにはどうすればいいのか、という試行錯誤の記録だと思った。だから35歳が遠くになってしまったわたしにも響いたし、考えさせられた。


5月25日(金)
母から「妹の手術に備え1ヶ月ほど家を空けるので、時々父のところに顔を出してほしい」と連絡が入った。時々、実家に寄らねば。

車での移動中、たまたま流れていたラジオで西加奈子さんの『くもをさがす』が紹介されていた。
今、わたしは妹にこの本を「読んでみて」と渡すことができない。1年後なのか数年後なのかわからないけれど、いつの日か病気が寛解した時に「読んでみたら?」と声をかけられるかもしれない。
西さんはカナダでの治療について「かわいそうな患者と思われてなかった」「闘病という言葉を使いたくない」などと書かれていた。
わたし自身、妹のことは大変だと思うけれど、かわいそうとは感じていない。(こう思っていることが母に知れると「冷たい娘」と非難される……)
ステージと治療内容を聞いても「きっと大丈夫、寛解する」と思っている。
でも、『くもをさがす』を今は渡せない。
うまく表現できない、この気持ち。


5月26日(金)
2月に2泊3日で入院した時に読了した『きれいな言葉より素直な叫び』(新井見枝香/講談社)をパラリ読み返す。
入院中の読書で、たくさん付箋をつけたにも関わらず、感情を言葉にすることができなくって3ヶ月が経ってしまった。

恥は自ら開いた時点で、暴かれる恥とは質が変わってしまう。それに加え、人からこういう風に見られたい、という自意識からは、とうてい逃れられそうにない。これがエッセイの限界なのか。
 私はいつだって、自分の都合のいいようにしか話をしない。自分に都合が悪いことなど、本当はなにひとつ、書けていないのだろう。

『きれいな言葉より素直な叫び』47-48ページより

誰かの人生や生活の断片に触れ、「わたしはどうしたいの?」と自問自答する日々。最近の読書はそういうことの繰り返し。たぶんそういうお年頃。


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