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個の時代における若者のキャリア論を考察してみる

僕は普段採用支援の仕事をしているため、仕事柄様々なキャリア観を聞く機会がある。基本的には、デジタルマーケティング業界で働く人の転職支援をすることが多い。ただ、ありがたいことに友人・知人経由で、全く違う業界や、就活生からも相談を頂くことがある。

つい先日、相談に乗った就活生から衝撃的な意見をもらった。

「面接を何社も受けたが、面接官の誰もが”自分が何のために働いているのか”を答えられない。こんな人たちと働きたくない。」

すごくショックだった。これからの日本を支えていく貴重な若者に、このようなことを言わせてしまったことを、彼よりも少し早く社会に出ただけではあるが、社会人として恥ずかしく思った。ただ、これが今の日本の実情だと僕は思う。

自分にとってはショックだった今回の出来事をきっかけに、HR業界に身を置く一人のコンサルタントとして悶々と考えてきた『これからの若者のキャリア論』について考察していきたいと思う。

※かなり長文になるので、さくっと読みたい方は目次の一番下から、「考察のまとめ」に飛んで頂けますと幸いです。

日本社会におけるキャリア観が若者を中心に大きく変化している

少しだけ自分の話をすると、僕は2013年に、業界では最大手のWEB広告代理店に新卒入社をしている。当時WEB業界を新卒で選択する人に、安定志向の人は少なく、いつか自分で起業したいとギラギラしている人が多かった。僕もその一人で、急成長している市場で経験を積むことで早く自立したいと考えていた。

なぜなら、現代の日本社会において終身雇用なんて幻想だと思っていたし、自分の市場価値を上げることがむしろ安定への道だと思っていた。そして、1年前くらいまでは、自分の考えが最近の若者のキャリア観であり、先進的だとすら感じていた。

しかし、約4年間ではあるが中途採用支援の仕事をする中で、20代半ば以下の人達の考えが根本的に違うことに気づいた。(ここでいう「若者」とは、彼ら彼女らのことを取り上げる)

ベンチャー企業を選択し、1社目を2年経たずに辞め、社員3人目として人材の会社に転職した現代の若者風なキャリアの自分ですら、若者のキャリア観と大きなギャップを持っていることに気づいた。

20代半ば以下の人達のキャリア観は限りなく『個』に近い。「なんだ今更か、それなら俺もだよ」と思う30歳前後の人もいるかもしれない。僕も1年前までそうだった。しかし、決定的に違うところがある。それは、キャリア観を自分でスタートしているか、常識でスタートしているかである。僕の世代では、まだまだ一般常識がキャリア観を支配していた。古い体質の日本企業ではなくITベンチャーを選択した自分ですら、最初の3年は修業だと思い入社を決意した。そして、IT業界は今後伸びるから今後安泰だと思っていた。入社1年で辞める人は少なかったし、1年で辞める人はなぜか負け組のような見え方をされていた。何が「正解」なのか、世の中のルールを探し、その中で最短で成長できる方法を模索した。常識に染まろうとは思っていなかったが、常識の中でずる賢く生きてやろうと思っていた。だから、会社や上司の言うことをある程度素直に受け入れ実行することもできた。

しかし、彼ら若者は違う。常識より先に、自分という『個』が優先される。もちろん人によって差はあるし、特に東京の学生に多い傾向なのかもしれない(僕は地方の学生との接点が少ないため)。ただ、今はマイノリティでも、年々増えている感覚があり、今後マジョリティになると僕は思っている。彼らは中学生の頃からスマートフォンを使用しており、多様な情報に触れている。誰かに一つの選択肢を提示されても、他の方法がインターネットやSNSに溢れているため素直に選べない。選択肢を多く持っている分、簡単に常識に従うことができないのだ。自分で複数の選択肢の中から選ばないといけない。ここが大きく違う。常識に従うのではなく、常に選択の連続の中で生きてきた彼らにとって、会社のルールに素直に従うことは難しいようだ。良し悪しではない。

自分もすでに若者と違う価値観を持っていると自覚した時は少しショックだった。しかし、希望でもあった。違いを認識すれば彼らを理解し共感することができる。価値観が大きく違うことを理解したことから、僕は若者のキャリア観について深く考えるようになった。

双方のギャップを埋め協力し合うために、まずは若者に僕の考察を聞いてほしい。

僕は採用支援をする中で、若者が生き生きと働けていない現実をたくさん見てきた。僕ら世代であれば、会社や上司の言うことを比較的素直に聞けたが、若者は選択肢を持っているからこそ素直に従えず会社に馴染めないらしい。おじさん達と若者達のキャリア観がズレいてることから、双方で見当違いの議論をずっとしている。本当は双方も理解したいはず。なのに理解できず、反発し合っている。

ただ、その重荷を受けてしまうのはいつも若者だ。彼らの方が社会的立場が弱いため、おじさん達に反発されたら社会に居場所を無くしてしまう。若者は会社や上司に従うことはできないが、明確に自分の答えを持っているわけではない。情報が溢れているからこそ、選び方が分からず、迷い、苦しんでいる。

このままではいけない。若者がおじさんを理解し、おじさんが若者を理解し、双方で手を取り合って協力しないと、日本の産業は発展していかない。おじさん達ばかりで協力し、企業経営を行い、若者達ばかりで個を認め合い自由にフリーランスをしていることが、本当に多様な社会だろうか?個々の自由を認めるだけでなく、双方で手を取り合い個々の強みを活かし社会の発展に繋げてこそ、本当のダイバーシティではないだろうか?

そんなことを日々考えてきた僕が、僕なりに考察してきたことを今回書いている。双方が互いを理解してもらうきっかけになれば嬉しい。いずれは僕ら世代以上の方向けに若者を理解してもらえるような記事も書きたいが、まずは特に苦しんでいる若者に向けた記事を書きたい。

HR業界で働き、日頃若者のキャリア観を聞き、ギリギリおじさんのキャリア観を持っている僕が、なぜおじさんと若者でキャリア観にギャップがあるのか、個の時代を生きている若者はどのようなキャリアを歩んでいけば良いのかに対し、僕の考察を書いていこうと思う。これも一つの選択肢として読んでもらえるとありがたい。

最初にお伝えしておきたいが、僕は若者のキャリアは今後非常に楽しく明るいものになると信じている。中盤若干厳しい現代社会の話も記述するが、最後まで読んで頂けると嬉しい。

本題に入る前に、現代社会を客観的に理解してみる。

キャリア戦略の考察に入る前に、まず、おじさんのキャリア観における僕の考察を読んで欲しい。個のキャリア戦略を考える上では、まず現代社会を客観的に理解する必要がある。もし、「なぜ会社の上司は従来の方法にこだわり、変化を恐れるのか?」と疑問に思っている若者がいたら読んで欲しい。

初めに、現代社会の仕組みから改めて確認してみる。

あなたは自分で仕事を選び、気軽に旅行に行き、Netflixで映画を観る生活を当たり前に思っているだろうか? 僕達が当たり前としているこの暮らしは、ほんの数年の常識ということを本当に理解しているだろうか?僕は目の前の仕事に没頭していると、つい今の社会が当たり前の社会と誤認してしまう。だからこそ、まずはそこから確認したい。現代社会を深く知るには、これまでの歴史と今の仕組みを知ることから始める必要がある。

あなたは市場社会に生きている実感を持っているだろうか?少し問いたい。もし世界に10人しか存在せず、土地が100人も住めないような孤島だけだったとしよう。その社会では各々が自分の役割を全うしていれば社会が成り立つ。お米を作る人、魚を採る人、家を作る人などなど。米農家はお米1キロと魚10匹を物々交換して、お米以外の食べ物を得る。豊かではないかもしれないけれど、10人みんな生きていくことができる。

だが突然、海の向こうから知らない人がやってきて、もっと美味しいお米1キロを魚1匹で交換すると言いだす。すると、米農家は自分のお米を物々交換してくれる人がいなくなり、生きていけなくなる。生きていくために、もっと美味しいお米を作るかもっとたくさん作り価格を安くしなければならない。変化しないことは死を意味する。

市場社会とは、常に変化してより良いモノを生産しないと生きられないという社会である。その社会に生きていることをまず認識してほしい。自由に選択し豊かな暮らしをするというのは、市場社会の上で成り立っているということを認識する必要がある。

でもそれってしんどい...。できれば何も考えず楽に生きたい...。生きられない恐怖を抱えたくない...。そのためには外部からヒトモノカネ情報を遮断すれば良い。閉鎖的なコミュニティで役割を決めて自分達だけで生きていけば良い。会社の上司が変化を恐れて守りに入るのは、こういう思考プロセスということを理解してほしい。世代間の考え方によるギャップというよりは、人間の生存本能なのだと思う。若者でも同じようになる可能性は大いにある。

改めてだが、現代社会は市場社会だということを再認識することが、ここで僕が再確認しておきたかったことだ。

おじさん達のキャリア観は、江戸時代の封建社会に近い。

歴史を見てみると、現代社会の方が異様ということが分かる。江戸時代では、人々に「役割」が決まっていた。
幕府の言うことを聞いて「士農工商」という役割を全うしていれば、貧しくも安定して生きていくことができた。上の言うことを聞いていれば生きていくことに心配しなくて良い。なぜなら、日本は鎖国しており、海の向こうから安くて美味しいお米を持って来られる恐怖がなく、変化する必要がなかったからだ。それぞれが自分の役割を全うし、そこそこの暮らしを営むことができたのである。

おじさん達のキャリア観は、まさにこの封建社会に近い。戦後経済成長を遂げた日本は世界に誇る経済大国になった。それと共に会社も長年成長し続けた。事業が変化せずとも右肩上がりで業績は伸び、会社に決められた仕事を続けていれば、給料は年々上がり定年まで働くことができた。

おじさん達の生きてきた社会は、江戸時代の封建社会そのものなのである。信じられないかもしれないが、会社や上司に言われたことを全うしていれば、暮らしは豊かになっていき安定して生きれるという社会が、つい数十年前まで実際にあったのだ。少し前の日本の常識からすれば、「会社の言うことを聞け、上司の言う通りに仕事をしろ、主張する前にやることをやれ。3年は我慢して働け。」というのは何も不思議ではない。面接官が「何のために働くのか?」に答えられないのも当たり前だ。これまでは考えなくても生きていけたのだから。日本は不景気になったと言われているが、まだまだこの思想が根付いている。

なぜなら、封建社会のような価値観で働いてきた人達が、自分の父親や会社の上司だからである。社会が変わっても彼らは自分達の成功体験を捨てることができない。

さらに近年の技術革新の凄まじさも影響している。スマートフォンができAIができドローンやVRができ、常に新しいモノが生み出され、市場が急速に変化した。若者は急速な社会の変化が当たり前と思っているかもしれない。しかし、28歳の僕ですら、このような市場社会が当たり前という風に育っていない。少年期はTVが中心の生活をしており、メディアが限定されていたためアニメやゲームは学年全員が同じものを楽しんでいた。ガラケーは普及していたものの、SNSは連絡手段において活用するくらいで、まだまだ若者の情報感度は低かった。市場の変化は今よりも緩やかで、常識に従っていれば安定した暮らしができるという環境で育ってきたのである。「市場が変わらない」という前提が頭から離れないからこそ、自身の成功体験に固執し、常識をあなたに押し付けるのだ。

そんな大げさな...と思うかもしれない。そんな人は、自分の周りのおじさん達と会話してみてほしい。きっと「常識が正義」という先入観に支配されている。「大企業に就職しなさい。まずは3年働いてからものを言え。この仕事を言うとおりにやれば成長できる。俺はこれで成功したからこれをやれ。」常識は社会が変わらない前提の上に成り立つ。市場社会では、孤島で美味しいお米を作っていても、いつ海の向こうからもっと美味しく安いお米を持ってこられるか分からない。おじさん達の話す「常識」は、封建社会の妄想である。信頼できるおじさんがいるとしたら、今の常識を語らず経験を元に未来の予想を語る人である。そういうおじさんを味方につけていかなければならない。

ここで誤解されないように記述しておきたいのは、僕はおじさん達の封建的な考えを否定しているわけではない。市場社会が正義で若者が正しいと主張したいわけでもない。自分の仕事を忠実に全うしてきたことはすごいと思うし、その人達のおかげで今の自分がいると感謝もしている。僕の考察を読み、おじさん達を否定的な目で見てほしくはない。時代が変わり僕らを取り巻く環境が変われば、人の思想も変化を求められるということを述べたいだけだ。そして、おじさん達の生きてきた背景を理解した上で、歩み寄り手を取り合って欲しくあえて述べることにした。

本当の「市場社会」が日本にやってきた。

「現代社会は市場社会だ」とは言ったが、これまでの日本は市場社会のようで市場社会ではなかった。数十年前までは新卒入社した会社の言う通りに仕事をしていれば一生飯が食えた。しかし、現代社会はどうだろう?もう江戸時代のような封建社会など存在しない。海外からどんどん人は入ってくるし、インターネットにより常に世界中の情報を知ることができる。インフラはどんどん発達し、僕らは気軽に地方に旅行に行き、格安で海外にも行けるようになった。スマートフォンが開発されたことにより、いつでも情報を探せるようになった。そのおかげでAmazonのようなサービスを利用し、より安く、より良い製品を購入できるようになった。たった数年で世の中が一気に変わった。便利に思うかもしれないが、便利な社会がどのくらい怖いことか、僕たちは本当に理解しているだろうか?

これまで孤島でお米を作っていれば生きていけたのに、どんどん海の向こうから新しい人がやってきて、どんどん美味しくて安いお米を持ってくる。生きていくために、何年も研究を重ねて何とかもっと美味しいお米を作ったとしても、次の日には海の向こうから更に美味しいお米を大量に持ってくる。
現代社会とは、常に変化していかなければ生き残れない厳しい社会なのである。

そのため、おじさんの常識を聞いても、あなたが食べていける保証はない。今の常識は明日の非常識であり、常識に捉われた人ほど生きていけなくなる。あなたが自分の頭で未来を予測し、一生頭を使って、一生変革を起こさなければならない。

現代の「残酷な市場社会」を楽しめるのは若者達。

なんと恐ろしい社会になっただろうか。これまではどんなに楽だっただろうか。あなたは現代社会で働くことが怖くなっただろうか? ただ、想像してみてほしい。会社や上司の言うことを聞いて、嫌なことをたくさん受け入れて一生働く人生が良い人生だろうか? それを嫌と感じるあなたは、今を生きる人である。そして、あなた達若者が今後多くなればなるほど、従来的な会社は減ってくるはずだ。

信じられないかもしれないが、2013年新卒入社した僕の時代ですら、誰もが会社や上司の言うことは当たり前で新卒3年間は思考停止して修業するのが当たり前だと思っていた。しかし、今はどの会社もかなり多様的になっており、個のキャリア選択を重視する会社も出てきている。時代は急速に変わってきている。

今を生きるということは、市場社会という残酷な社会に、覚悟を持って立ち向かわなければならない。一生未来を予測し、常識を捨て、変化することだけが生きる術と理解し、腹をくくらなければならない。ただ、それが嫌なら、田舎に住み貧しいながらも自給自足をして穏やかな生活を営むのも手だ。それを選ぶのは僕たち自身である。

僕は、市場社会が当たり前の社会で育ち、常識を疑い自分で自由に選択する若者達が心の底からうらやましい。これからの残酷で、過酷な市場社会を生き抜けるのは、市場社会で育った若者だ。

市場社会でキャリアを積むというのは投資家と似ている。

僕が今20代半ば以下の若者であるならば伝えたいことは、会社名で働く企業を選ぶのはやめようということ。大企業に入社することがゴールだったおじさん達の真似をしてはいけない。当時は大企業に入社すれば「終身雇用」が保証され、定年退職まで豊かに暮らすことが出来たため、会社名で企業を選ぶことが正解だった。しかし、ご存知の通り終身雇用など存在しない。本当の市場社会に突入した。いつ海外からより良い製品が持ち込まれ業績を落とすかわからない。大企業に入社しても、リストラや倒産などリスクは常につきまとう。

市場社会の中では、市場は変わる前提。安定などない。「あの会社は伸びているから安心みたい、あの会社に入れば安定とゼミの先輩が言っている、ベンチャーなら裁量権が大きく成長するらしい。」と、一般論に身を任せて思考停止してしまったら、明るい未来はない。これからの若者は自分を投資するつもりで会社を選ばなければならない。そのためには、従来のように「事業領域」「事業フェーズ」「仕事内容」「労働環境・条件」「人」などの観点以外にも目を向けなければならない。多角的な視点で、市場の数年先を予想し、どの環境に身を置くことが、自分が投資家としてリターンを得るために最善なのかを考えなければならない。

今の社会がどうなっていて、未来はどのように変化していくのか。市場情報を積極的に取りに行き、未来を予想する習慣をつけなければならない。毎日のように市場がどうなっているのか本を読んだりニュースを見よう。活字が苦手な人は詳しい人の話を聞こう。そういう意味では、会社を選ぶ基準として「未来を描いている会社」は投資価値があるかもしれない。例えば、HR業界を受けている人は面接官に、「これからのHRはどうなっていくと思いますか?」「採用やマネジメントはどのように変化していくと思いますか?」「なんでそのように思いますか?」と、未来予測とその人の思う根拠を確認してみると良い。面接官が自分なりの考察を持っている会社は良い会社だと思う。市場社会に必要なのは未来の話である。

市場で勝てる自分だけの「資源」を確認しよう。

さて、市場情報を得て未来を予測するのは良いが、全ての情報を取りに行くことはできないだろう。しかし、選択するにしてもどの情報を取りに行けば良いかわからない。この場面で誤ってしまう選択は、「市場が伸びているから自分もその業界に身を置き専門スキルを身につけなければいけない」というものである。不得意なものからスタートした場合、大成するまでには、おそらく長い時間を要するだろう。25歳から絵を描くのを始めて漫画家になれるだろうか?なれるかもしれないし、なった人もいると思うが、時間が非常にかかる。時間を投資するだけの価値をあなたが感じたのであれば、その選択は間違いではない。ただ、長い時間を投資して踏み込んでいく覚悟が決まらないならば、自分の過去を見つめなおす方が良いだろう。

採用支援の仕事をしている中で、どの会社でも活躍する人の共通点を見つけた。偶発的なものに左右されず継続して成果を上げている人は、自己認知度が異常に高い。自身の良いところも悪いところも理解しており、かつ、周りに伝えて得意な部分を活かす働き方をしている。身につけたい知識やスキルを自身で選択している。反対に、なかなか成果を上げられない人や転職が決まらない人は自己認知度が低いことが多い。自身のキャリア戦略を描けていなく、その場その場の環境に合わせ仕事をしている。そうすると、苦手なことや興味のないものを極めることになり、モチベーションが維持できない。自分には何もないと自信のない人も、何も持っていないのではなく、自己理解が浅いということがほとんど。深く話を聞いてみるとたくさん強みが出てくる。

キャリア戦略とは、未来に対し自分が持っていないものを中心に克服する戦略を立てるのではなく、「未来に対し自分が持っているもの中心にどう活用して実現していくか戦略を立てること」だと僕は思う。つまり、経験値の最大化である。よく自分には何もないという人がいるが、誰しも自分にしかない価値を持っている。容姿や体形など先天的なものではないし、後天的に育った環境でもない。自分だけが積んできた経験そのものだ。

例えば、新潟という田舎で生まれた。(僕が新潟県出身)小学校から大学までバスケしかやってきていない。しいて言うなら数学が少し得意だった。バスケの良さをもっと皆に知ってほしいと思っている方。それが価値だと気付いてほしい。市場の流れを読み、数学が得意な強みを活かしてデジタルマーケティングを学んだとしよう。そうすると、恐らくあなたは新潟県のバスケチームのデジタルマーケティングを誰よりも成功させられる。新潟県民の暮らしに共感し、バスケ好きな人に共感し、デジタルマーケティング戦略を考えられるのはあなただけではないだろうか?

自分の資源を確認し、何を武器に戦っていくのか考えよう。不得意なことを身につけるのは時間効率が非常に悪い。きっと一人では見つからない。自分一人で考えてはならない。カウンセリングの常識においても、自分のことは実は自分が一番理解していないと言われている。自分の特徴は当たり前と認識しているため他者からフィードバックを得ないと認知しずらい。

どの環境でも成果を上げる優秀な方は、他者からフィードバックをもらう習慣を持っている。自身の思想やアウトプットに対し、毎日のように多方面から意見をもらい気づきを得ている人が多い。毎日のように自分がどのような特徴を持っているか周りの人に聞こう。

最初のキャリアは狭く、深く。「資源」を磨くことに専念する。

とはいえ、バスケチームを本当に大きくしていくには、経営や広報や財務やマネジメントなど、様々なことを知っておかなければならないと思う方もいるかもしれない。何でも知っていて知識の幅が広い方が価値と思うかもしれない。ただ、その心配はいらない。市場とはわかりやすく言うと物々交換の世界である。世の中が求めているものに対し、自分が何を差し出せるかである。

例えば、あなたはお米も魚も野菜も持っていたとする。ただその村には、もっと美味しいお米を持つAさん、もっと美味しい魚を持つBさん、もっと美味しい野菜を持つCさんがいる。消費者はあなたからお米と魚と野菜を買うのではなく、AさんとBさんとCさんからそれぞれ購入する。市場社会においては唯一無二であることの方が価値が高い。資産もなく自身の体一つで時間も限られている普通の人は、まずはどれか一つでもいいから何かの領域で価値ある存在にならないと、市場社会で生きていくのは難しい。

誰もが知っているAmazonも、今では様々な事業を展開しているが、初めは本のみのECサイトから事業をスタートし、その後に事業領域を拡大している。市場社会におけるキャリア戦略も一緒だと僕は思う。まずは美味しいお米屋さんという地位を確立することが大切だ。資産を得てから、美味しいお魚屋さんと領域を広げればよい。

弱みがあっても大丈夫。あなたには6700万人の仲間がいる。

資源を磨くキャリアを推奨すると、それ以外の知識やスキルが求められる場面に直面した時に何もできなくなってしまうと恐れる人がいる。そんな人にはこんな質問を投げかけたい。あなたは無人島で一人で生きているのだろうか? あなたの生きている社会には多くの人がいて、それぞれが自分の資源を持っている。シンプルに、自分が出来ないことは誰かに頼めばよい。人類はそうして発展してきた。(6,700万人という数字に深い意味はなく、単純に日本の労働人口をググった笑 ただ、今の社会では日本以外の国の人も味方になるはず。)とくに、SNSが発展した今では、気軽に求めている人とつながることすらできる。

大事なのは、強みも弱みも含めて自分を深く知ることだと僕は思う。出来ることと出来ないことが分かっていて、周りの人に伝えていれば、各々で出来ることを補い合って生きていける。「俺は頭が良くて一人で何でもできるぜ!」とイキってる人は、本当の市場社会において淘汰されていくと僕は思う。

就職活動時においても、強みと弱みを理解している方が内定が出やすいし入社後のミスマッチも少ない。僕が転職の相談に乗らせて頂くときは、必ず強みと弱みを言語化するお手伝いをする。面接時に自身のことを正確に伝えることで、強みも弱みも含めて面接官に内定の判断をしてもらう。そうすることで、その方にどのような役割を期待したらよいか受け入れ側も理解してくれるため、入社後も自分らしい働き方を実現しやすい。

市場社会は恐ろしい社会だが、見方を変え変化していく覚悟さえ持てば、自分で生き方を決め自分らしく生きることができる良い社会でもある。自分らしく生きることが生き抜く近道。自分を深く知り、仲間を見つけて、仲間と一緒に自分らしく生き抜いていってほしい。

考察のまとめ

長々と書いてしまい、気づけば1万文字近くになってしまった。僕が、今回の記事で伝えたかったことを要約すると、

1.おじさん達は緩やかな市場で働いてきたため、若者とキャリア観が異なる

おじさんのキャリア観は「常識」からスタートするのに対し、若者のキャリア観は「個」からスタートする。変化が緩やかな市場社会では、成功パターンという「常識」を見つけ、そこに向けて能力開発する方が対価を得られやすかった。しかし、変化が激しい市場社会では成功パターンがすぐに変わってしまうため、「常識」に左右されず多数ある常識から自分が何を選択するかを重視する。

2.これからの本当の市場社会では、新しいキャリア形成が求められる

技術革新が凄まじい現代では、市場は常に変化しているため、いつ従来の産業がなくなってしまうかもわからない。自分の今の経験でそのまま飯を食える保証はない。そのため、おじさんの語る従来のキャリア形成ではなく、現代社会に沿った新しいキャリア形成を考えなければならない。これからの若者は常に変化する覚悟を持ってキャリアを形成しくことが求められる。

3.若者のキャリアは自分を投資するように考える

市場が常に変化する現代では、キャリア形成も投資に近い。市場の変化を読み、どこに投資したらリターンが大きいか読んだ上でキャリアを決めていくという判断を個人がする時代だ。常に市場の変化に感度を高めなければならないし、会社内の仲間や友人との会話も未来に向けた会話をしていかなければならない。若者が信頼できるおじさんは、自分の成功パターンを教えてくれるおじさんではなく、自分の経験を元に未来予測を語るおじさんだ。

4.市場社会で生き抜くには自己認知が重要

市場社会では何でもそこそこできる「何でも屋さん」より、狭い領域で質の高いアウトプットを出せる存在の方が価値が高い。そのため、まずはその領域で価値ある存在になってから、領域を広げていこう。そのためには、自分の得意とする領域を認識しなければならない。キャリア戦略は、未来に対し自分が持っていないものを中心に克服する戦略を立てるのではなく、「未来に対し自分が持っているもの中心にどう活用して実現していくか戦略を立てること」の方が重要。自己認知を高め、自分の資源を確認し、得意領域を伸ばしていくことを意識しよう。日頃から周囲の人に自分に対するフィードバックをもらう習慣を身につけ、自己認知を高めよう。

5.強みも弱みも周囲に発信し、仲間と共に生き抜く

得意領域を伸ばしていくことを恐れなくて良い。自分にできないことがあると不安になるかもしれないが、心配しなくても良い。周りを見渡せば様々な資源を持った人がたくさんいる。彼ら彼女らと対抗して何でも身につけようとすると、何でもそこそこできる何でも屋さんになってしまう。何でも屋さんは市場社会において価値が低い。仲間を見つけて得意な部分を掛け合わせて働いていけば良い。現代はソーシャルメディアも発達し、仲間を見つけやすい時代になった。現代社会は厳しい社会ではあるが、自分で選択し自分らしい人生を歩める良い社会でもある。自分を深く知り、仲間を見つけて、仲間と一緒に自分らしく生き抜いていこう。

以上、まだまだ僕自身見つめ直すことは多いが、最近悶々と考えていた若者のキャリア論について考察してみた。今回、自分の考えを世に出すことに恐怖心もあったが、少しでも若者の力になれたらという想いと、自分自身も何かと至らない人間なので、思想の近い人と繋がれたら嬉しいと思いアップすることにした。業界や年代問わず、もっとたくさんの意見を吸収して仕事にも、これからの僕自身のキャリアの参考にもしたいと思う。
よければ、みなさんからご意見などいただけると嬉しいです!

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