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魂の言葉⛰️「私は自然を崇拝する側に立ちたい」吉田博。

吉田博はどんなアーティストですか?と聞かれたとしたら・・
「言葉にできないほど、すごい人」
私はまずそう答えるでしょう。

吉田博の作品を観るたびに、あの
「私は自然を崇拝する側に立ちたい」
その言葉がこだまし私の内から聞こえてくるようです。

自然の輝く一瞬を描いてくれたことの感謝・・
自分にも感じられることの喜び・・
膨大な作品を生み出し世界に新たな芸術の風を吹かせた
吉田博のエネルギーが、私の脳内を満たし
全身で感じられるのです。

吉田博は今なお、熱い人なのです。

吉田博が描く自然は「永遠の一瞬」であり、
人々に感動と癒しを与え続ける、自然と共にある大きな愛です。
それらを与えてくれる存在が「吉田博」です。

吉田博は日本の偉大なアーティストのひとりとして
これまで海外で多くの賞賛を得てきました。
日本ではそれほど有名ではありませんでしたが、
近年、吉田博美術展が行われるようになり
吉田博を知る人が増えました。

吉田博の作品の中で一番人気なのが「剱岳の朝」です。
海外ではまた違うようですが
実に多くの彼の作品の中でも、
この「剱岳の朝」が日本人に好まれるのはなぜでしょうか?

日本の名峰 剱岳について調べてみると・・ 

剱岳は古来、立山修験と呼ばれる山岳信仰の対象であり雄山神社の祭神の一柱である天手力雄神(太刀尾天神剱岳神・本地不動明王)の神体として信仰を集めてきた。wikiより

剱岳は富山県東部の立山連峰にある標高2,999mの山。
「岩と雪の殿堂」と呼ばれ、登山者の誰もが一度は登ってみたいと憧れる、言わずと知れた日本の名峰。
古くから山そのものが不動明王として崇拝されていました。
江戸時代の立山曼荼羅では、地獄の針の山として描かれ、弘法大師:空海が草鞋(わらじ)千足(三千足とも)を費やしても登頂できなかったと伝えられています。
明治40年、陸軍の陸地測量部:柴崎芳太郎(しばざき・よしたろう)が率いる測量隊が、明確な記録に残る初登頂を果たし、その際に山頂で平安時代の錫杖頭と鉄剣が発見されました。遥か昔、すでに修験者により登頂されていたことが明らかとなりました。
とやま観光ナビ

吉田博の著書 に「高山の美」があります。
彼の山への思いが書かれて、山に登り絵を描く彼の姿が
再現されるかのように表現豊かに書かれています。

その中から私が選んだフレーズのいくつかをご紹介します。

「私は画家だから従って絵の対象として山を観る。」

「山岳の美に魂を打たれつつ、その美を画布の上に再現すると言うことは、
私にとって無上の喜びなのである。」

「山は苦しむよりも楽しむ場所であらしめたい。」

「所詮登山の快味の正道は、下界で感得することのできない一種崇高な
高山美の魅力に酔うことでなくてな何であろう」

ともすると徒に冒険欲や優越感だけを満足させるためだけに登山を企てて
危難を招き勝ちな運動本位の人たちに向かって。特にこのことを力説したい。

「絶頂まで登りつくと、最早人は遠く人間界を離れて、
神の世界へでも近づいたような感覚に心を包まれる。
高山特有の霊気とでも言うべき
一種清浄な雰囲気があたりに漂っている。」

夜明け ー
空が白んでから日の出までは。意外なほど時間がかかるような気がする。
そしてやがて紅色の太陽が東の山の頂から現れる。
紅色は次第にオレンジ色の太陽に変色していく。
下界はまだ眠っている・・

-吉田博の山へ思い、愛とともに
この夜明けが
「剱岳の朝」に見事に描かれています-

私は吉田博の絵も言葉にも、崇高な自然のエネルギーが満ちている。そのように感じます。「自然を愛し山を愛した吉田博の熱であり、今も生き続けている」そう思います。









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