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【ラジオ連動小説②】紺碧etc.『8mm』

こんばんは、灰澄です。
今回掲載させて頂いているのは、Youtubeに投稿したラジオ動画に、ゲストとして参加して頂いた、紺碧etc.さんの作品です。

ラジオは二部構成となっており、前編では、現役の看護師である紺碧さんに、「看護師の一日とキャリア、給与」、「死と向き合う職業」といったテーマについて、インタビュー形式でお話を伺いました。

後半では、この小説を題材に「喪の儀式」、「個人的な死と客体的な死」、「日常と死の儀式」といったテーマについて、文芸雑談をしております。

創作の参考に、看護師という職業についての解像度を上げるということを念頭に置いて立てた企画でしたが、「死、喪失、サバイバーズギルド」など、普遍的なテーマにも深く触れ、より面白い内容になったと思います。

既に投稿しております、もう一本の小説も、動画と連動した内容となっております。どちら作品も、企画を抜きにして本当に面白いので、是非ご一読ください。

ラジオ前編:【ラジオ#01前編】現役看護師に色々聞いてみた
      https://youtu.be/rvgy451H_Po

ラジオ後編:【ラジオ#01後編】文芸雑談「喪の儀式・日常と死」
           https://youtu.be/xrF8FfdSfZI



 大好きだった人の結婚を、同僚に唆されて始めたSNSアプリで知った。私の記憶の中の彼女よりも幾分か大人びた表情で微笑みながら、小麦色の健康的な肌をした男性の横に佇む彼女は、とても幸せそうに見えた。時間が経って酸っぱくなった缶コーヒーを、ニコチンと一緒に流し込みながら、もう私の知っている彼女じゃないんだろうな、と思った。

 結婚の投稿は一昨年の秋。ちょうど私が仕事で大きなミスをして、それからほとんど身体だけの関係になっていた彼氏に振られたくらいの時期だった。そんな人生の底辺みたいな時期に、彼女は幸せの絶頂にいたと思うと、なんだかヤケ酒の一つでもしてやりたい気持ちになってしまった。

 止せばいいのに彼女の過去の投稿を遡っていく。少しずつ若返る彼女の姿と一緒に、私の記憶も巻き戻っていく。大学生の頃は、常に恋人がいた。若さを担保にして恋人を借りるみたいに、とっかえひっかえ、色んな人と付き合っていた。単位とか将来とかよりも、恋人がいるという充足感だけが大事で、ただそれを貪るみたいに生きていた。彼女と知り合ったのもそれくらいの時期だったと思う。

 初めて彼女を見かけたのは、大学裏門近くの、いつまで経っても工事をしている雑居ビルの喫煙所だった。特別劇的な出会いというわけでもなく、その時には私も彼女も煙草を吸っていたし、大学には喫煙所がなかったから、喫煙者は大体みんなそこで知り合っていたようなものだった。

 3年間もそこを利用していて、女性を見かけるのは初めてだったから、他の喫煙者に比べれば印象に残っていたのを覚えている。それは彼女も同じだったようで、科目名すら思い出せないくらい退屈だった授業で彼女が話しかけてきたとき、喫煙所のあの子か、とすぐに思い至った。

 成り行きで彼女と昼食を一緒にした。学食の場所を知ったのもこの時だった。”彼氏”のお金でやたらと高い店で食事をすることに慣れていた私は、「ここのカレー、おいしいんだよ」と無邪気に笑う彼女を内心小馬鹿にしていた。

「マイルドセブンってさ、おいしいの?」

 どこから食べてもカレー、純度100%カレーみたいな安っぽいカレーを食べ終えて、彼女は突然訊ねてきた。まいるどせぶん、のイントネーションがどこかおかしくて、私は一瞬なんのことだか分からなくて固まってしまう。

「一本ちょうだい」

 いいよ、の返答も待たずに、彼女の手にはすでに私のタバコが握られていた。

「なんか”タバコ”って感じの味。いつどこで吸っても”タバコ”って感じの味だね」

 どこか悪戯めいた声色で、さっきまで私が学食のカレーに抱いていた感想をまるで見透かしたかのように、薄汚い喫煙所の中で彼女はキラキラ笑った。

 記憶の中の笑顔は、もう何度も再生しすぎて擦り切れてしまったVHSの映像みたいになってしまっていたけれど、それでもその眩しさに胸が苦しくなって、思わず思い出の再生を止めてしまう。

 ジェットコースターみたいに現実世界に戻ってきて、フラフラと路上に座り込む。そういえば今日は、忙しくて何も食べてないんだった。空腹とカフェインにシクシク痛むお腹をさする。近所の家から漏れてくるシャンプーの匂いと、子どもの笑い声を聴きながらふと、こんな生活じゃ長生きできないんだろうな、と思う。25歳。まだ焦るような年ではないし、いくらだってやり直しが効く。そんなことを、前にも一度思った気がする。
 
 彼女の吸うタバコがいつの間にかマイルドセブンの8㎜に変わったころ、私は真人間になろうと決めたのだった。恋人が途切れないのはモテてるんじゃなくて簡単な女だと思われているからだ、と天啓のように気が付いた私は、合コンやサークルの飲みに行くのをやめて、とにかくちゃんと恋愛をしようと思ったのだった。

 そして身体を開くのを止めた途端、めっきり男が近寄らなくなった私を、よくご飯や遊びに連れ出してくれたのも彼女だった。と言っても、ご飯は相変わらずどこでだって食べられるような普通のご飯ばっかりだったし、就活と恋人不足のストレスで喫煙量の増えた私を気遣うように、どこか商業施設よりもタバコの吸える河原だのと言った、まるでお金の無い学生みたいな場所ばかりだった。

 タバコを吸って、ご飯を食べて、タバコを吸う。めちゃくちゃなプランを思い出して、思わず笑みがこぼれた。

「やっぱマイセンだよね」

 いつどこで吸ったってタバコって感じの味、なんて言っておきながら、彼女はいつでもそう言っていた。ちょっと前まで違う銘柄を吸っていたくせに。

 胸とお腹の痛みがいくらか治まって、私はゆっくりと立ち上がった。涙で霞んでしまった視界の奥に、見慣れた青色のコンビニを見つける。とりあえず何でもいいからお腹に入れようと、商品棚をゆっくりと見て回っていると、私のスマホがブルブルと震えた。

 彼女の、新着投稿の通知だった。反射的にスマホを開いた私の目に、

「結婚しても同じ味がする」

 そんな文面と一緒に見慣れた青いパッケージが映り込む。私は再び胸に鈍い痛みが走り出すのを感じた。

 嫌に明るいコンビニで一人、色んな事実が私を襲って世界がぐるぐる回り出した。彼女にとってのマイルドセブンは、私の形見なんかじゃない。私にとっての安いご飯が、彼女の形見じゃないように。私の生活に、彼女が根付いていないのと同じように。そう必死に言い訳した。

 私だって、自分に近づいてきた男性を散々選んできた。またどうせ身体目当てだろうと見くびりもした。それと同じように、彼女の人生に、私は選ばれなかった。8㎜のマイルドセブンだけが選ばれたんだ。

 涙が溢れそうになるのを懸命に堪えて、レジで新しくタバコを購入する。
店外に出ると、乱暴に包装を破いて、一気に何本もくわえ込み、一気に火をつける。煙が目に染みて、とうとう涙が溢れ出す。

 嗚咽に混じって新品同様のタバコが灰皿に落ちていく。それでも私は負けじと火をつける。

 こんな身体に悪いもんが。こんな無駄金食らいの嗜好品が。私より上だって言うのか。私じゃ駄目だったのか。こんなもん。こんなもん。

 最後の一本から、灰がポトリと落ちて、灰皿に溶けた。

 
 それでもやっぱり、マイルドセブンは同じ味がした。

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