小説指南抄(30)意識化するということ

(2015年 08月 05日 「読書記録゛(どくしょきろぐ)」掲載)

意識化とは

 スポーツや武芸の修行において重要なことに「意識化」ということがある。ごく普通に行う動きをあえて意識して行うことだ。空手の型や、少林寺拳法の法形なども体の動きを意識化するためのメソッドのひとつである。
 この「意識化」は小説の執筆でも重要である。

プロット段階、執筆段階での意識化

 物語の発想の段階で、「なぜ、こんな物語や、設定を思いついたんだろう、俺」と言う点をまず意識することで、自分の心に無意識に引っかかっていた興味などが顕在化する。すると物語の想を練る時の方向が見えてきたり、調査・補完すべき知識や情報の見当がついてきて、それによってさらに想が進む。これは物語を膨らます段階で大きな助けになる。
 また、作品の執筆が始まり、物語が転がりだした後、何気なく登場させた人物や、言葉や、情景や状況も、折に触れて「意識化」すると、物語の進行につれて生きてくる。
 小説を書いていると、作家は「そうか、おまえは、ラストで主人公にこの一言を語りかけるために、あのとき俺の脳裏に浮かんできたんだな」という脇役が出てきたり、「そうか、だから、お前はあの娘の気持ちを無視したんだね」と主人公に語りかけるような経験を必ず体験する。むしろ、このような体験の積み重ねで小説は完成していく。
 作家の中には、人物造形がしっかりしていれば物語は自然に転がると豪語する方も多い。おそらく、発想から執筆に際しての「意識化」作業を「無意識」にやっているのだと思う。そこまでいけば名人クラス。小説だけで生計を立てる作家はそうなのであろう。
 武道でも、当初は意識していた動きを、有段者になると無意識に反射的にできるようになるのと同じだ。「体で覚える」と言う段階。ただ、そこに至るには、意識した練習が不可欠なのだ。

 この講座で、若い作家志望の方と話しながら、あらためて、自分が経験的に積み上げてきた「手法」や「発想法」を「言語化」することができて大いに得るところがある。これも、私自身にとっての「意識化」なのである。

(2023/11/2 追記)
 これを書いたころはサイタで小説のコーチを初めたころ。受講生の作品を拝読しながら、「こうした方がいいのにな」と思うたびに、「それはなぜなのか」を説明するために言語化していた。それが自分にとっても「そういうことか!」という気づきにつながって実に勉強になったのである。
 おかげで、派遣社員を続けながら長編小説を書き始める力をいただけた。うつで前の勤務先をやめ、治療を兼ねてバイク便ライダーをやっていたころから考えると、驚くべき進化である。当時の生徒さん達には、本当に感謝しかない。

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