六日のあやめ

 いわゆる「10万円給付」にしても、アビガンの承認にしても、なぜこんなに遅いのかとイライラしている人が多いと思う。

 新型コロナウィルスによる死者や重症者が毎日増え続け、爆発的な感染拡大の可能性も残されているいま、とりわけワクチンや治療薬は一日も早く使えるようにしてもらいたい。しかしアビガンなど治療薬の承認には数か月、ワクチンはたとえ開発されてもわが国で接種できるようになるまで一年以上かかるという。

 「六日のあやめ」というたとえがある。五月五日の端午の節句に飾るあやめを六日に持ってきても役に立たないのと同じように、多くの犠牲者を出したあとで治療薬やワクチンが使えるようになっても手遅れだ。

 治療薬のアビガンにしてもワクチンにしても、欧米では早期に承認され使用できる仕組みになっているのに、わが国ではとても時間がかかる。万が一にも副作用で被害が生じないよう、「石橋を叩いて渡る」慎重さを求めるのは理解できる。まして万が一の場合、その責任を追及される官庁としては早期承認に及び腰にならざるをえないだろう。

 しかし、いずれにしてもそれは平時の仕組みである。わが国では幸いにして長い間、戦争や感染爆発の脅威にさらされてこなかった。そのため統計的な根拠に基づく合理主義や、リスクの高いところへ集中的に資源を投入するリスクアプローチより、万が一の失敗も許さない完璧主義を優先することでやってこれた。それが今日のような迅速性と効率性が要求される緊急時には、重い足かせとなっている。

 とはいえ、いくら多くの命を救えるとわかっていても、自分の責任が追及されるかもしれないと思えばだれでも尻込みする。そこで必要なのは手続きの仕組みだけでなく、責任負担の仕組みも見直すことだろう。合理的な根拠の提示や手続きの透明化などを条件に、過大な責任を負わなくてもすむ仕組みを取り入れるよう、いまこそ政治的なリーダーシップを発揮してもらいたい。

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「個人」の視点から組織、社会などについて感じたことを記しています。