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大きいことはいいことだ

再び婦人科の話である。
大きな大学病院に行ったものの、検査ばかりで入院の日程まで話が進まなかった。なかなか予約がとれず、次の検査は2週間後だという。
私の筋腫をエコーで見ながら、先生が「子供の頭くらいあるね〜」とゆっくり言った。
大きい筋腫を表現する時の決まり文句が「子供の頭くらい」だ。一般的に大きいと言っても差し支えないサイズなのだろう。
触診したり、エコーで映像を見たり、細胞を採取した後、先生が再びのんびりと言う。

「じゃあ子宮引っ張りますね〜」

子宮が降りるとか子宮口が開くとかはわかるけど、「引っ張る」は初めて聞いた。などど思う暇もなく子宮口をギューッとつままれ、
「いだだだあはははははは!!!」
と爆笑してしまった。めちゃくちゃ痛かったが、「内臓って強制的に下に引っ張ってもいいんだ」という謎の感動があった。

母親は体中にいろんな腫瘍ができるタイプの人で、74歳になった今もしょっちゅう何かを切除している。私も経過観察中のポリープとしこりだらけなので、どうやら体質が遺伝したらしい。
彼女は私を産んだ際、子宮内の筋腫のせいで大量出血して死にかけたという。命の危険があったので、そのまま子宮を摘出した。
母親に手術の相談をしたら、「子宮取っちゃえば生理もないし癌の心配もないし楽ちんだよ!」とカジュアルにオススメされた。
子供を産む気も予定もないので、子宮を摘出することに抵抗はない。しかし、ポルチオがなくなることにだけは不安を感じる。手術後、奥に当ててもらう時の快楽を2度と味わえなくなるのはかなり寂しい。
以前読んだ小説に、姑が医者と勝手に話を進めて手術の承諾書にサインし、主人公が意識不明の間に子宮を全摘出させるというシーンがあった(その小説は、主人公にこれでもかと不幸が続く話で、そんなエピソードすら彼女の不幸のほんの一部でしかない)。
その時はひどいことするな〜くらいの気持ちで読んでいたが、いざ自分が子宮を取る取らないの選択を迫られる立場になってみると、他人に突然一生の喜びを奪われる悲しみと怒りは計り知れないだろうと身に染みて思う。
男性でいえば、寝ている間に勝手に陰茎を切られていたのと同じくらいの衝撃だ。
とは言うものの、今までさんざん使って楽しんできたし、そろそろ出家してもいいかなと思っていたので、ちょうどいいっちゃちょうどいいという気もする。
全ての検査が終わって手術の方針を決める段階になったら、ダメ元で先生にポルチオだけは残して欲しいと頼んでみるつもりだ。
あるいは、子宮摘出後に中出ししたらどうなるのかも教えてもらいたい。出家にはまだまだ時間がかかりそうだ。

手術に関して特に進展もないのに、ヤマもオチもなく書き連ねてしまった。
せめて、毎日すくすく育つ私の筋腫を見える範囲でお見せしたいと思う。
だらしない体型の中年女性の腹部が写っているので、苦手な人は戻るボタンをクリックするなり小ゲロの準備をするなりして覚悟をして欲しい。


「子供の頭くらいある」筋腫の現在の様子である。
でかすぎて毎朝自分のお腹を見るたびに笑ってしまう。ちょっと左に寄っているのもまた笑う。
自分の体にこんな謎コンテンツが誕生したことに、うっすら感謝すら感じる。
「多発性筋腫」なので、大小いろんなサイズの筋腫が子宮の内外ですくすく育っているらしい。全部繋ぎ合わせたらピノコが誕生するのではという期待もある。
手術までの間、このやっかいものと共に生きていこうと思う。

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