「世のため人のため症候群」
はじめに
ここ一年半の間、特定の人々にある症状が見受けられるようになった。
それは、事あるごとに「世のため」「人のため」と言う症状である。
一見すると、良いことを言っているような気がするし、言っていることは間違っていない。
しかし、人が必要以上に「世のため人のため」とか、「利他の精神」とか言うのを見ていると、違和感を禁じ得ないのだ。
この違和感の原因はいったい何なのか?
とりあえず、この不可解な一連の症状を「世のため人のため症候群」と名付けることにした。
「世のため人のため症候群」とは
まず、人は自明だと思うことは口にしない。
人に会うたび「私は人間です」と言う人はいない。
自分が人間だということはわかりきっているし、相手も当たり前だと思っているからだ。
では、逆に言うと、事あるごとに「私は世のため人のためにやっているんです」と言う人は、それが当たり前だと思っていないことになる。
実際に、私の身近で本当に人のために動いているひとは、そんなことをわざわざ口にしない。
もちろん、社会活動をする上で、自分の行動が世の中や人のためにどんな良い影響を及ぼすのか、話さなければいけない場面はある。
また、「やらない善より、やる偽善」という言葉があるように、
たとえ本心からではなく偽善であっても、やらないよりはマシ、ということもあるだろう。
なにより、「世のため人のため」と言うことや、利他行動自体は問題が無い。
むしろ、ポジティブで良い行いである。
だから、ここでは、本心で「世のため人のため」と言っているのかどうか、ということは問題にしない。
本心でなくても、自分で言った以上きちんと行動したなら良い、と私は思う。
私が「世のため人のため症候群」に抱く拭いきれない違和感は、別にあるのだ。
例えば、先日まで「子供のため」「若い人のため」「忙しい主婦のため」と熱く語っていたのに、今日になったらパタリと止んでしまう人がいる。
その代わり、自分の得になりそうな話や儲かりそうな話があれば、ころっとそちらに心変わりする。
また、「世のため人のため」にやろうとしていることが、他者のニーズを考慮していない場合も多い。
「あなたのためにこんなこと、あんなことができるんです」とプレゼンしても、言われてる側は困り顔だったりする。
相手のことを考えずに、自分の要望を押し通そうとするのだ。
さらに、症状がひどい人の場合、「私はこんなにも人様のために行動しているんです」ということを長々と話しすぎて、聞いている人の時間と労力を奪っていく。
つまり、「世のため人のため症候群」の症状が出ている人は、全然「世のため人のため」に動いてない。
「世のため人のため」と口で言っていながら、行動はこりごりのエゴイストなのである。
「世のため人のため症候群」の原因
このように、「世のため人のため症候群」の人達は、言動が激しく矛盾する。
言っていることと、やっていることが、チグハグなのだ。
では、どうしてこうなってしまうのか。
まずは、師匠に聞いてみた。
「世のため人のため症候群」の原因は承認欲求。たしかに、一理ある。
ただ、これまでお会いしてきた方々の置かれている状況を振り返ってみると、もう少し深い事情がありそうだ。
例えば、家にも社会にも居場所がない、ひどいストレス下で働いている人、人に相談できない事情を抱えている人等…
何かしらの強い不安、ストレス、孤独を感じている場合が多い。
しかし、社会活動は活発だったりする。仕事や家庭のことに加え、個人的な活動にも積極的に取り組んでいるので、一見すると充実しているように思える。
しかし、表情をよく見ると、あまり健康そうに見えないのである。
正直、最初は「世のため人のため症候群」の人の話を聞くだけでイライラしていた。
話は長いし、何をしたいのか分からない。その上「あなたも人のために何かしなさい」と言われると、マウントとられているのかと気分が悪くなった。
ところが、彼らの事情が少しずつ分かってくると、
「これはマウントというより、心のSOSではないか」と思うようになった。
「世のため人のため症候群」に陥っている人は、「自分のことはいいから」と言うことが多い。
自分はさておき、世のため人のため…。
そう語る人の表情には、生気が見られない。
言ってること、表情、行動、全てがズレているのだ。
長々と話を聞いていても仕方がないので、「結局、あなたは何がしたいんですか?」とストレートに質問をぶつけると、うーん…と言葉に詰まってしまう。
このとき、本当に困ったり、焦った顔をするのだ。
恐らく、「世のため人のため症候群」の人は、自我が迷子になっているのだろう。
自分が本当に望んでいることは何なのか、これが全く分からなくなっている。
私が人に「やりたいこと」を聞くとき、大層な回答を期待していない。
「話題のラーメン屋に行きたい」とか、「彼女ほしい」とか、「寝たい」とか、それでもいい。何なら「特にない」でもいい。
「世のために人のために」から始まる回答を、進んで求めているわけではない。
大事なのは、その人自身の心だ。
師匠はよく言う。「自分が幸せじゃないのに、人を幸せにできるはずがない。」
おっしゃる通りである。
解決策はあるのか
まずは、「自分のために」行動する。確かに、それが一番の解決方法だろう。
しかし、「世のため人のため症候群」の方は、そもそも「自分」を見失っている状態だから、急には難しい。
ならば、彼らにとって最も必要なのは、休息だ。
少しでも、今ストレスを感じている状態から離れるのが最優先事項である。
その後余裕ができたら、「自分のため」に使う時間を増やせばいい。
仕事や家事で忙しい人は、どうしても、何かするにつけて「お客さんのため」とか「家族のため」になりがちである。
元気なときは良いが、疲れているときは、「自分のため」に行動したっていい。
一番大事なのは、心身の健康だ。
ただ、「自分のため」に時間を使う方法が分からないという方もいるだろう。
そんな場合は、"モノづくり"をおすすめする。
ジャンルは何だっていい。DIY、手芸、料理、プログラミング、動画編集、陶芸、園芸等、自分に合うものを選べば良い。
まず、自分の作りたいものを作るとき、自分の頭でイメージする。
そして、イメージしたものを現実に生み出すため、自問自答しながら形にしていく。
この、0から自力で何かを作るという行為は、現実世界で自分の可能性を作っていくということ。
そして、モノづくりに励んでいる最中は、自然に自分と対話ができる。
忙しさのあまり、自我を見失ってしまった人にとって、
ポジティブに自分と向き合う時間をくれる"モノづくり"は、必ず助けになる。
おわりに
私はありがたいことに、アートという自己表現の場が確保されている。
しかし、そうでない人たちが昨今のストレス社会に揉まれ続け、知らぬ間に自我を見失うのも無理はない。
誰にだって、「世のため人のため症候群」に陥る可能性はある。
私も例外ではない。
「世のため人のため症候群」自体は悪でもなんでもなくて、一種の心のエラーである。
「世のため人のため」も素晴らしいが、まずは自分の健康が第一。
「世のため人のため症候群」の方は、まずは休息を、
そして、機会があればKAMOHIKA MURAに来てアートに触れ、クリエイティビティを取り戻してほしい。
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日比野貴之が厳選したものを扱っています。
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