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映画日記『日の丸~寺山修司40年目の挑発~』ドキュメンタリーという市街劇?

『日の丸~寺山修司40年目の挑発~』という映画を観た。ロシアがウクライナに侵攻して戦争している今、日本人に国旗である日の丸について問いかけることは、大きな意味があるのだろう、と思って、観に行ったのだが、実際の撮影は戦争が始まる前に終わっていたと、映画の冒頭でわかり、ちょっと肩透かしを食った。

平日のアップリンク吉祥寺。客席はガラガラだった。10人くらいしかいなかった気がする。私も60代だが、どう見ても私よりも年上の人達ばかりだった。確か監督は、ずいぶん若い人のはずだが、この映画は、監督の同年配の若い人には、まったくアピールしていないということだろうか? でも、平日だしな。監督は、どんな人を観客に想定していたのだろうか?


今回は、予告編をパソコン画面で再生して、静止画像をスマホで撮って、画像として、文章の中につかってみた。著作権とか肖像権とか問題があるのかわからないが、全部無断使用で、ちょっと遊んでみる。てっぺんの日の丸の写真は、本編にも出演している写真家で日の丸のある風景を撮り続けている金子怜史さんの作品。

TBSドキュメンタリー史上最大の問題作


やはり映画館でテレビ・ドキュメンタリーは観るものではない、と思った。
元来がテレビ用に撮ったものだから、画面が貧弱なのだ。特に1967年の白黒番組からの引用は、映画のスクリーンに拡大すると相当にピントがぼける。こういうのは、今の技術で、もっとどうにかならないのか、と思った。

高校生が作ったような、初々しい映画ではあった。タイトルの40年目というのが、わからなかった。帰宅してから調べたら、没後40年だった。寺山修司が死んで40年も経つのか……。そういえば去年の秋に『さらば箱舟』を見た時も、没後、40年に驚いたような気がする。2、3か月前のことだが、もう覚えていないのだ。

1967年に寺山修司が作った「日の丸」というドキュメンタリーが、放送直後から物議をかもしたのだそうだ。なんで問題視されたのか、この映画を観てもよくわからなかったが、物議をかもしたということはわかった。

当時の新聞記事がインサートされて、そこには「偏向報道」の文字が見えた。ナレーションによると、抗議が殺到したり、偏向報道だと国会で問題視されたりしたらしい。国旗を冒涜しているという抗議もあったらしい。そのために “TBSドキュメンタリー史上最大の問題作” と呼ばれたのだそうだ。

私はその番組を見ていないのでなんとも言えない。この映画に引用された部分だけで判断すると、街頭インタビューだけで構成された番組のようだった。ナレーションでもそのように説明されている。それのどこがどう偏向報道なのか、この映画では説明していないので、やけに気になった。

美人レポーターが強引に迫る?


寺山版のレポーターの一人の高木史子さん

 
インタビューは「日の丸の赤はなんですか」とか「日の丸をどこに飾りますか」とか「祖国と家族のどっちが大事ですか」といった質問だ。2023年の現在、日本人には「祖国」というコトバが、なんだか縁遠い感じがするのだが、当時は、リアルなコトバだったのだろう。

レポーターは、名乗ることも説明することもなく、矢継ぎ早に質問だけぶつけて、カメラはその反応を撮っている。その撮影も、ほぼゲリラ撮影なような印象だ。望遠レンズを使った盗撮もあるように見えた。

レポーターであるショートカットのお姉さんは、感情を殺した不自然な態度で、それが逆にノリノリな感じに見える。年下の高校球児のような男の子を相手にしているシーンでは、キスが出来そうなくらい顔面間の距離が近い。彼女が意識しているのか意識してないのかはわからないが、性的なものまで武器にしているように見えた。


距離が近すぎる高木レポーター



寺山版のレポーターは、女性が二人だ。二人とも、美人といっていい容姿をしている。マイクを向けられた通行人は、美人じゃなかったら、立ち止まらなかったんじゃないと思う。

日本人の顔はすっかり変わってしまった?


1967年の番組は白黒だ。そして、現代の部分は、カラーだ。カラーのパートでは、眼鏡でマスクをした青年がレポーターをやっている。たぶん、この映画の監督その人だ。現代版は、だから、監督が、作、演出、出演もしていることになる。

監督の佐井大紀さん


メガネの彼は、67年の寺山版を再現するかのように、「日の丸の赤は何?」とか「外国人の友達はいますか?」とか「戦争になったらその人と戦えますか?」といった質問を繰り出している。

いわゆるアポ無しの突撃インタビューなのだが、女性相手だとおかしなもので、どこかナンパしているように見える。そう思ったら、マイクを向けられている女性たちがみんな美人に見えてきた。それとも、きれいな人、かわいい人を選んでいるのだろうか?


自民党の選挙演説の場面で街頭インタビューに答える女性


路上で街頭インタビューを受ける女性



それにしても日本人の顔は変わったなと思う。1967年の画面で見る日本人は、男も女も、年齢がさぱっぱりわからない。私には彼らが何歳なのか、見当もつかないのだ。

寺山版で街頭インタビューを受ける女性


寺山版で街頭インタビューを受ける女性


寺山版で街頭インタビューを受ける男性


それに、現在では見かけることがなくなった前歯が金歯や銀歯の人が、67年度版では普通にごろごろといる。それ以上に顔のつくりが、変わってしまったことを感じる。67年にはあんなに平板だった顔が、5、60年経過した今では、頭蓋骨の形そのものが変形してしまったのか、男も女もみんな目鼻立ちのくっきりした顔になっている。特に眼が大きくなっている印象を受けた。

僅か半世紀くらいの短期間で、こんなに顔が変わった国民は、日本人くらいなのではないだろうか?

実は、オリンピックを見るたびに、私は、日本人の選手の顔に大きな変化を感じている。昔の選手は、だいたいみんなゴリラみたいだったけど、今の選手は、男女とも、少女マンガのように、スッキリと整った顔になっている気がするのだ。もさったいとか、むさくるしいといった顔の選手を見かけることが、どんどんなくなっている。水泳の選手など、美男美女しかいないように見える。そんなことを感じているのは、私だけだろうか?

海外諷刺画風のイラスト


この映画では、途中に、何度かイラストが出てくる。背景や事情を分かりやすく説明するためのイラストだ。それは白黒のペン画のようなイラストだった。そこに朱の赤色が加わって三色になっている。

日本風ではないものの、どこか懐かしい見覚えのある画風だ。一番近いのは、海外の諷刺画だろうか。いまどき、なんで、このようなイラストにしたのだろうか? 


臼田ルリさんの映画用イラスト


家に帰ってから調べたら、臼井ルリというイラストレーターの作品だった。映画の中に出てくる寺山修司の似顔絵イラストも彼女の作品だ。ネットの範囲で見ることが出来た臼井作品と、この映画に出てくるイラストは、明らかに趣が異なっていた。

臼井ルリのイラストは、フツーに現代風なのだが、映画のイラストは、一昔前の外国の諷刺画風になっている。ということは、監督の意向で、海外の諷刺画風にしたのだろうか。

撮影の仕方がだんだん変わってくる


現代のカラーの部分も、街頭インタビューがメインかと思っていたら、途中から、訪問インタビューのように変化していく。特に、アイヌの女性のインタビューは、他の誰よりも時間をとってあった。

場所は飲食店のようなところだ。彼女が経営しているのだろうか。事前に取材申し込みをしていないと成り立たないシーンだ。街頭で唐突に質問を繰り出し、相手の反応を撮影するという手法が、完全に放棄されている。

レポーターの声は、民族とは何か、国籍とは何か、国旗とは何か、誇りとは何か、所属とは何か、といった質問を投げかけていく。その問いに、顔面をどアップで撮影されながら、コトバを選びながら答えるアイヌの現代女性は、とても真摯で、同時に窮屈そうに見えた。

答えがあるのかないのか、わからないような答え方をしているし、質問している方も、抽象的で答えづらい問いかけばかりをしている。もしかしたら、これだ!という答えを求めていないんじゃないか、と、スクリーンを観ている私は思った。

そして、そういった窮屈さから抜け出すように、アイヌの女性は、自分の子供がオーストラリアに行ったときに、現地の子供たちと、コトバも通じないのに、人種も違うのに、笑顔で遊んでいた、遊びの輪が出来ていた、というハナシをする。

そもそも「アイヌ」というコトバは、人、人間という意味なのだと語る。画面に出てこないレポーターが、なんとなく感心しているような感じが伝わってきた。国旗や民族、国境にとらわれないことが大事なんだ、といったことを引き出したかったのだろうか。

ディレクターの出演の仕方も変わってくる


それ以降、ディレクター(レポーター)の「出演」の仕方がどんどん変化していく。一貫性がないというより、多分、変化なのだと思う。当初は、街頭インタビューのレポーターとして出ていたけだったが、アイヌの女性の場面では、画面にこそ姿を現さないが、ひじょうに長い時間、ところどころ会話をしているような声の出演になっている。

その後、別の取材では、まるで対談者の一人のように、取材される人と机に向かい合って映っている場面があったりもする。


寺山版レポーターの一人・村木眞寿美さん


ドイツで、67年の寺山版でレポーター役をやった女性に取材している時には、またもとのように、ディレクターは画面に姿を現さない。アイヌの女性の時と一緒で、ここのシーンも長い。

インタビューというよりも、半分、対談のようなシーンなのだが、ディレクターは完全に声のみの出演になっている。

ここでの会話は、ディレクターが寺山版の強引なインタビュー手法について批判し、それを踏襲して自分が撮影した前半部分への反省を述べている。寺山版のもう一人のレポーター(ショートカットの女性)は、寺山版の放送後に、バッシングを受けて、恐らくはそれがきっかけで引退してしまったらしい。

現在は、連絡が完全にとれない状態になっている、といったこと触れて、出演者を追い込むような作り方は駄目だ、監督である自分が矢面に立たないといけない、などと覚悟を語っている。

そういう肝心なことを語っているにも関わらず、姿は現さずに声のみでしか出てこない。矢面に立つとは、どういうことなのか、と意地悪く疑問に思った。

このドイツ取材では、元レポーターの年配の女性の撮影方法も今までとは違っていた。これまではほとんどの取材対象が、カメラの正面か斜め前だったのだが、彼女のシーンでは、正面と、なぜか真横から撮ったカットがいくつもある。この変化はなになのだろうか?


現在のシュミット村木眞寿美さん



ドイツ在住のこの女性も、連絡が取れなくなったもう一人のレポーターのことを気にかけていたらしい。今回、映画の中で語ることによって、50年以上の年月を経て、どこか解放された印象が伝わってきた。


本当に強引な手法だったのか? コンプラと倫理観


ほんの短いカットだけど、監督が路上インタビューをして、最後に身分を明かして、音声や映像の使用許可をもらう署名のシーンも出てきた。今はそうやらないと駄目な時代なのだ。

しかし、1967年には、恐らく必要のなかった手続きだ。レポーターの強引さも、当時にしてみたら、強引でもなんでもなかったかもしれない。後から振り返ると、当事者たちも、「手法」のように強調して語っているけれど、当時にしてみたら、誰でもやっているよくあることの一つだったかもしれない、と思った。

当時のドキュメンタリーには、強烈なものがたくさんがあった。

例えば、大島渚のドキュメンタリー『忘れられた皇軍』(1963年)には、再現シーンも含めて、今のコトバで言ったらやらせのような部分が、決定的なシーンも含めて、かなりある。それに比べたら、寺山版『日の丸』の強引さは、すごくおとなしく感じる。

例えば、今村昌平の疑似ドキュメンタリー映画『人間蒸発』(1967年)は、設定自体がやらせで、しかも主演の女性の名前はたしか「ねずみ」だったと思う……。それに比べたら、寺山版『日の丸』は、まるで罪がないようには見える。

映画の「手法」の問題なのか「倫理」問題なのか、さっぱりわからなくなってきた。作り手の倫理の問題だとしても、コンプライアンスのような外部が求める免罪符のような問題にも思えてきて、さらにわからなくなってきた。
倫理観とコンプライアンスの間に、差や違いがあるのかさえ、よくわからなくなってきた。


その後、この映画は、その行方不明のレポーターを探して会いに行く、なんて展開にはならずに、「日の丸を問う」のでもなく、「寺山修司を語る」展開になっていく。

67年版の寺山の挑発に乗って、若い監督が、現代の世の中に「日の丸を問う」のではなく、寺山の挑発とはなにだったのか、というハナシになっていく。

テレビマンユニオンの萩元晴彦


この映画のディレクターは、映画の冒頭から表明していたが、寺山の熱心なファンのようだった。世代的に孫とおじいさんくらいだろうか。孫が監督で、おじいさんが寺山だ。私はたぶん、ちょうどその中間に入る世代だ。

私は、一応、寺山修司の著作を何冊か読み、映画も何本か観ている。でも、寺山修司には、はまったことがない。いつの時代も寺山修司が一定の人気があることは知っているが、寺山の何にみんなが魅かれるのか、実は、まるで理解できていないのだ。

私は寺山修司が、さっぱりわからない。付け加えると、演劇も苦手だ。
これは寺山に限らず、演劇一般が苦手なのだ。私の周りにも寺山ファンはいたが、寺山について語り合ったことはほとんどないので、私の寺山に関する知識は、全然増えないのだった。

映画に戻ろう。

若い監督は、何人かの寺山の専門家とでもいうべき人たちに、ハナシを聞きに行っている。それはインタビューというよりもレクチャーを受けているように見える。

あ、その前に、寺山と「日の丸」の番組について語る、テレビマンユニオンの萩元晴彦の映像があった。


寺山版のディレクターの一人でテレビマン・ユニオンだった萩元晴彦さん


 
萩元晴彦は、1967年の「日の丸」を寺山と一緒に作った「テレビマン・ユニオン」のディレクターだ。怪我でもしたのだろうか、その映像では、左手の親指と人差し指の間から手首にかけて包帯が巻いてあった。

映画とは一切関係ないが、その昔、お茶の水のカザルスホールのコンサートに行くと、いつも客席にいて、真っ先に立ち上がって拍手をしていた人がいた。それが萩元晴彦だった。

私にとっては滅多に行かない室内楽のコンサートなのに、カザルスホール行くたびにそのハゲ親父がいるのだ。不思議に思って調べたら、そのハゲ親父は、「テレビマンユニオン」の創設者の一人の萩元晴彦という人で、当時はカザルスホールの総合プロデューサーをやっていることを知った。

テレビマン・ユニオンというのは、テレビ番組の制作会社の大手だ。ドキュメンタリーからドラマまで、いろいろな番組を作っている。映画監督の是枝裕和も、テレビマン・ユニオンの出身だ。先日、観た『ミスタームーンライト 1966 ザ・ビートルズ武道館公演 みんなで見た夢』の監督もテレビマン・ユニオン所属の人だった。

萩元晴彦は、2001年に亡くなっているので、この映画に挿入されている映像は、それ以前のものだ。萩元は、「日の丸」と「寺山」について、「情念の反動化に対抗する」とかなんとか難しいことを語っていて、私にはよくわからなかった。

萩元も寺山も、「日の丸」というドキュメンタリー番組で、世間を揺さぶってやろうと思っていたことだけはわかった。

寺山も萩元も、質問されて出てきた答えよりも、マイクを向けられた人々の反応を撮影することで、その時の現在をあらわにしたい、みたいなことを考えていたようだった。

ドキュメンタリーの形を借りた演劇だったのか?


その次に、監督が訪れたのは、現存する二人の寺山関係者のもとだ。一人はやはりテレビマンユニオンの人で、「日の丸」の制作にも携わっていた今野勉だ。今野は現在でもテレビマン・ユニオンの人だ

テレビマン・ユニオンの今野勉さん


もう一人は、寺山の劇団天井桟敷のメンバーだった安藤という人だ。肩書を読み損ねたので、不確かだが、安藤は、演劇の人で、大学の先生みたいな感じだった。


寺山の弟子で映像作家の安藤紘平さん



この二人の人選が的確なのかは、他に適任者がいるのかどうか、私にはわからないし、若い監督がどういう理由でこの二人を選んだのかも、映画では説明されない。

今野勉は、なぜか左手の指の一本に絆創膏が巻いてあった。萩元晴彦の包帯を見たばかりなので、テレビマン・ユニオンの人は、左手に怪我をしやすいのだろうかなどと、時期も場所も違う映像なのに、こじつけたい気持ちになった。

この二人によると、1967年のドキュメンタリーで寺山がやったゲリラ的な取材は、寺山にとっては、演劇の一種だったらしい、ということだった。「日の丸」と「ドキュメンタリー」と、この二つのコトバが並ぶと、なにやらジャーナリスティックなものが喚起されるが、どうも、ジャーナリスティックな動機があったわけではないようなのだ。

寺山は、67年版「日の丸」を作った直後に実験的な劇団「天井桟敷」を結成して、演劇を活動の主軸におくようになったと言う。

寺山の演劇の手法の一つに「市街劇」と称するものがあった。これは劇場ではなく、街の中で役者が芝居をする劇のことらしい。街中で、役者が二人で始めるらしい。最初は1メートル四方の面積を舞台として、一時間後には2メートル四方に、つまり面積は4倍になり、またその1時間後には、倍の4メートル四方になるという、どんどん演劇空間が広がっていく演劇なのだ。

その芝居空間は治外法権の独立国であり、そこにトラックが入ってきたら、役者に壊されても文句は言えないのだ、みたいなイメージを語る寺山本人の映像が挿入される。

その市街劇の発想のもとになったのが、「日の丸」のゲリラ・インタビューだったらしい。

日の丸がテーマのドキュメンタリーで、日の丸について街頭インタビューしているにも関わらず、今野や安藤の解説は、演劇で何ができるのかという、演劇の可能性のハナシになっていく。そういう解説が妥当なのか、その二人の勝手な解釈なのか、よくわからなくて、映画を観ている私は、だんだん混乱してきた。

若い監督も、画面には出てこないが、うんうんと、うなずいている物わかりの良い生徒のように感じられた。演劇論映画を作っているのだろうか?

私も市街劇を頭の中でイメージしてみた。すぐに寺山の作った映画『田園に死す』のラストシーンを思い出した。家の中で母と息子がご飯を食べていたら、壁だと思っていたセットが倒れて、そこが新宿の街中だったと判明する場面だ。


https://www.youtube.com/watch?v=HJyDF1mNtsU

街中を歩いていて、市街劇に遭遇したら、楽しいだろうか? 邪魔くさいと思うだろうか? 通行人は劇に参加してもいいのだろうか? そこで誰かをぶん殴ったり、モノを壊したりしたら、やっぱり責任はとらされるのだろうか? 

なんて妄想をしていたら『日の丸~寺山修司40年目の挑発~』という映画は、その後、さしたる展開もなく、あっさりと終わってしまった。

半世紀前の日本人と現在の日本人とを比べて、国旗や国家に関する意識の違いを強調することもなく、まして、改めて世の中を揺さぶるしでもなく、なんだかおさまりのよい寺山修司論みたいになって映画が終わってしまったのだ。


寺山修司



エンドロールのあとから、再び監督が登場して、観客の私たちに向かって「日の丸」について質問するシーンが、とってつけたようにあったが、全然挑発的じゃあなくって、質問を「突き付けられている」感じがなかった。

きしくも現在、ロシアとウクライナが戦争をしている最中なのだから、道行く日本人に質問して、それを映画に追加した方が、意味深い映像が撮れたのではないか、と思った。

質問されたら私は、どう答えるだろうか?

誰か街頭で私に質問してくれないだろうか。


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