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東京国立博物館の新しい仲間たち〜丸っこい埴輪や荻生徂徠など〜

朝晩の冷え込みが厳しくなってきました。近所では、桜や銀杏などの広葉樹の葉が、色づきはじめてきました。

なのに……今さらなのですが、8月に東京国立博物館トーハクで開催されていた、毎年恒例の特集企画『新収品』(令和3年度)を紹介したいと思います。平たくいえば「トーハクの新しい仲間たち」と言った感じですね。

展示されていたのは22件。これでも新たに収蔵されたものの一部だそうです。まぁ全部で40件なのかもしれませんし、100件くらいの中の22件なのかもしれません。

その22件の中で、見に行った時に、たまたま目に止まったものをいくつか紹介していこうと思います。

■最も心に刺さった、何だか分からない埴輪はにわ

形として、最も心に刺さったのが、この『鞆形埴輪残欠ともがたはにわざんけつ』です。古墳時代の、ともの形をした埴輪のかけら……という意味ですね。ともというのを、現代人のどれほどが知っていると思って、こういう名前にしてんの? と思ってしまいますが、ここで名前を変えてしまうと、系統検索がしづらくなってしまうので、あえて命名法を守っているのでしょう。まぁ今で言うと、野球選手やテニスプレーヤーが、腕に着けているリストバンド……が、ともです。矢を射る人が、腕にはめていたそうです……なんのこっちゃ? ですけどね。

鞆形埴輪残欠ともがたはにわざんけつ』伝・群馬県高崎市八幡原町出土(古墳時代・6世紀)

土偶もですが「これなに?」っていうような形って、逆に多くの人の心を惹きつけるのかもしれません。幼児が描いた絵とか(特に自分の子供が描いた、ぐちゃぐちゃの絵ですね)…わたしには良さが分かりませんがピカソの絵とか、なぜか惹かれることがありますよね。これもそんな感じです。

ちょっとアンモナイト的な……弧の描き方に、フィボナッチ的な何かも感じる気がしなくもないです(←もちろん“フィボナッチ”が何かを知らずに書きました)。

鞆形埴輪残欠ともがたはにわざんけつ』伝・群馬県高崎市八幡原町出土(古墳時代・6世紀)

またその表面に、幾何学文が描かれているのも、「え? なにこのデザイン」って、興味を惹かせますね。

鞆形埴輪残欠ともがたはにわざんけつ』伝・群馬県高崎市八幡原町出土(古墳時代・6世紀)

■“ホータン”という謎の古代仏教国の美品

「ホータン」っていう国が、いまの中国新疆ウイグル自治区の南部にあったそうです。今ではそこに住む人たちの多くが、ムスリム……つまりイスラム教徒ですが、ホータンという国は仏教国だったと言います。

その寺院の壁面に描かれた一部が、トーハクにやってきました。

『千仏図』ホータン・6〜7c
『如来坐像』ホータン・6〜7c
『如来坐像』ホータン・6〜7c(上の写真の拡大)
『千仏図』ホータン・6〜7c
『千仏図』ホータン・6〜7c(上の写真の拡大)
『千仏図』ホータン・6〜7c
『千仏図』ホータン・6〜7c(上の写真の拡大)

■中央アジアの女神像にょしんぞう

解説パネルの英字訳には「displayed at a Buddhist temple.」とあり、また像の背面は作っていないことから、仏教寺院の壁に貼り付けられていた女神像のようです。またストゥッコという、漆喰しっくいのような材料で作られています。

像を見ると、黒髪に王冠のような帽子を載せているのが分かります。また首にはネックレスをつけ、半袖の袖が少しフワッとしていますね。

黒い髪以外にも、この衣部分には赤や茶色で彩色されていたことが分かるそうです。

女神像にょしんぞう』5〜7c
女神像にょしんぞう』5〜7c(別角度から)

荻生徂徠おぎゅうそらいの子孫が寄贈した品々

よくは知らないのですが、ある世界では鳴く子も黙る“荻生徂徠おぎゅうそらい”先生。そんな先生が残された、自筆のものや、そうでないものなどを、荻生茂樹さんと姪っ子の庄子妙子さんという方が、寄贈されています。

鳴く子も黙ると前述しましたが、荻生徂徠おぎゅうそらい先生は、すごい方だというのが、よく分かるサイトを見つけました。別に荻生徂徠おぎゅうそらい先生の業績が書かれているわけじゃありません。そんなのはWikipediaを読めばいいだけです。そうではなく、実は令和3年度(2021年度)に、先ほども書いた荻生茂樹さんと庄子妙子さんは、連名で他の施設にも、荻生徂徠おぎゅうそらい先生由来の品々を、寄贈されているんです。

それが、東京大学駒場図書館です。

どれだけ凄いことなのかというのを、寄贈された側の駒場図書館の方々が、東大の教養学部報というのに記しています。まずそのタイトルが「駒場図書館に荻生徂徠の貴重資料が寄贈されました!」です。ビックリマーク付きですよ。東大の図書館スタッフが、内容が硬そうな学部報(?)に、「!」なんて使うんだなぁって思いました。それとは別に、東大のプレスリリースでも発表されています。→コチラ

おそらく同時期に、トーハクにも寄贈の話が来ていたのでしょう。そして8月の特集企画『新収品』では、そのうちの5点が、展示されていました。

作者不明『臨済義玄像』江戸時代・18〜19c 荻生茂樹氏・庄子妙子氏寄贈
臨済義玄禅師は、臨済宗を開いた唐時代の禅僧です。ちょっとGoogle検索すると分かりますが、同様のポーズの絵が、あちこちに存在することが分かります。とてもオーソドックスな題材なんです。(解説パネルには「真珠庵や養徳院に伝わる室町時代の作例と共通します」と記されています)。同じく解説パネルの受け売りですが、ただ、珍しいのが、水墨画ではなくカラーだということ。また荻生徂徠の家系に伝来されていることです。
荻生徂徠おぎゅうそらい筆『文語』宝永7年(1710)9月14日 荻生茂樹氏・庄子妙子氏寄贈
先ほどの臨済義玄禅師の絵は、たまたま目に留まって写真を撮りましたが、こちらは「おっ、荻生徂徠おぎゅうそらいが書いたんだぁ」って思って撮影しておきました。とうていわたしには、なんて書いてあるのか分かりません。下に、いちおう拡大したものを貼り付けておきます。
荻生徂徠おぎゅうそらい筆『文語』(部分)
うん……これは上手な字とは違うような気がしますね。まぁでも5代将軍の徳川綱吉に講義をしていたほどの儒学者の大先生が書いたのですから、尊いに決まってます…うんうん。解説パネルには、「京都伏見に住む貫隆父かんりゅうほの詩文集『桃源藁とうげんこう』に寄せた序文」だそうです。桃源の命名理由や、貫隆父かんりゅうほ荻生徂徠おぎゅうそらいに序文を求めた経緯などが記されているとのことです

ほかに、猿の絵など3点が展示されていましたが、わたしの視界には入ってこなかったようです。おそらく、もっと分析が進んで、来る時が来たら、改めて『荻生徂徠おぎゅうそらい特集』のような展示が行なわれるのでしょう。

■展示されていなかった新収蔵品『金剛力士立像』

特集企画『新収品(令和3年度)』で、パネル写真だけで紹介されていた大物が一つありました。それが、現在開催されている『国宝 東京国立博物館のすべて』のトリを飾った『金剛力士立像りゅうぞう』です。

この金剛力士立像は、令和4年……つまり2022年に購入したそうです。今年買って、大急ぎで修復して、年末の特別展に間に合わせたということですね。担当者は大変な苦労をされたことでしょう。

そして今回の『国宝展』で、ただ2つだけ撮影が可能だったのが、この『金剛力士立像りゅうぞう』と『見返り美人』でした。ということもあり、特に『金剛力士立像りゅうぞう』は、次にいつ見られるか分からないので、念入りに撮影しておきました。

前回の『国宝展』へ行ってきた報告のnoteには、2枚だけ載せましたが、ここでは、もう少し載せておきたいと思います。

『金剛力士立像りゅうぞう』平安時代 12c
『金剛力士立像りゅうぞう 阿形あぎょう』平安時代 12c
『金剛力士立像りゅうぞう 阿形あぎょう』平安時代 12c
『金剛力士立像りゅうぞう 吽形うんぎょう』平安時代 12c
『金剛力士立像りゅうぞう 吽形うんぎょう』平安時代 12c
『金剛力士立像りゅうぞう 吽形うんぎょう』平安時代 12c
『金剛力士立像りゅうぞう 吽形うんぎょう』平安時代 12c

ということで、以上のような展示でした。

既に同特集展示は終わっていますが、詳細を知りたい場合は、下のトーハクの公式サイトを確認してください。(『金剛力士立像りゅうぞう』については、ここには記されていません)

2022年11月23日に追記
金剛力士立像について、下記のトーハクの公式ブログにて、詳細が記されていました。


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