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【根津美術館】メトロポリタン美術館蔵の李公麟《りこうりん》さん《孝経図巻》を解説【中編】

メトロポリタン美術館が所蔵する、李公麟りこうりんさんの《孝経図巻》が、根津美術館で12月3日まで開催の、特別展『北宋書画精華』で展示されています。同展のメインで紹介されているのが、《孝経図巻》と、同じく李公麟りこうりんさんが描いた《五馬図巻》です。

この李公麟りこうりんさんという方が、すごい方のようなのですが、その二大名作とも言えるのが、《五馬図巻》と《孝経図巻》。

前回noteに引き続いて、《孝経図巻》に記されていることを、今回も解説していきます。

根津美術館の特別展『北宋書画精華』のチラシ

■《孝経こうきょう図巻》って何?

孝経こうきょう図巻》は、紀元前350年から紀元前200年の間に作られた「孝経こうきょう」という、中国の儒学で聖典とされる十三経のうちの一つを、李公麟りこうりんさんが図巻にしたものだそうです。

おそらく無数にあった儒学の元となる書籍のうち、「これは重要だ!」と言われる十三経のうちの一つということ。

特に『孝経』は、孔子がその門弟の曾参(そうさん、前505〜前435、一般には曾子)に孝道を述べたのを、曾参の門人が記録したものといわれているそうです。孔子の孫弟子がまとめた書ということになります。

そして、ざっくりとですが《孝経こうきょう図巻》の中身を読んでみると、いわば教訓……教え……を、絵本にした絵巻です。言葉だけだと難しい道徳的な話を、絵を加えて誰でも分かるようにしたもの……という感じですね(実際には分かりづらいのですが……)。まず絵が描かれて、その絵にまつわる『孝経』の文章が添えられ、また絵が描かれて文章が続く……といったことが繰り返されます。だから「図巻」と呼ばれていますが、日本の「絵詞えことば」に近い感じです。

そして、《孝経こうきょう図巻》を書いたのが、北宋時代を代表する画家の一人、李公麟りこうりんさんだという点が重要です。だから珍重されています。

まぁでも現代のわたしたちからすると、何が描かれて何が記されているのか、さっぱり分からない……という人も多いはずです。今回は前回に引き続き、所蔵されているメトロポリタン美術館でパブリックドメインとして見られる、《孝経こうきょう図巻》の画像データを使って、解説していきたいと思います。

さて、前回のnoteでは前半部を解説しました。そこには、国は“孝”をもって治めなければいけないこと、そして先王(賢い王様)、諸侯・諸大夫、士民・庶民、それぞれにとっての“孝”とは、どんなものかが説明されていました。全階層にとっての“孝”が、どんなものかを教えているのですが……次には、どんなことが記されているのかを、見ていきましょう。

■皆が道徳や倫理を理解して守ることで秩序ある平和な世の中になります

前回のnoteで記した前半部、大事にすべき“孝”に関する、まとめの文章のようでしたが、《孝経図巻》には、まだ先があります。

次の絵の上段では多くの人が野外で宴会をし、下段では人々が行き交う様子が描かれています。実際には、何が描かれているんでしょうか?

曾子曰:甚哉。孝之大也。子曰:夫孝,天之經也。地之義囗,民之行也。天地之經,而民是則之,則天之明,因地之利,以囗天下。是以其教不肅而成,其政不嚴而治。先王見囗囗可以化民囗,是故先之以博愛,而民莫遺其親。陳之以德囗,而民興行。先之以敬讓,而民不爭。導之以禮樂,而民和囗。示之以好惡,而民知禁。《詩》云:赫赫師尹,民具爾瞻。

もともと、この『孝経』は、孔子と、その弟子の曾子(そうし)との問答……やり取りを記すという形が取られています。

今回の項では、その曾子(そうし)が、“孝”の偉大さに感嘆します。そして次のような孔子の言葉を思い出すのです。

「孔子は、孝は天の道、地の義、民の行であると言いました」……つまり“孝”とは、自然の法則や原理に従い、社会の秩序を維持し、人々の行動の規範となるものであると説いたと言います。以下は繰り返しになりますが「天地の道に従う民は、天の明るさに従い、地の利を活かすことによって、天下を順応させることができますと。そのため、天地の道に従う民には、厳しい教えや政治は必要ありません」と。

また、先王は“孝の教え”……道徳や規範……によって民を教化することができることを知っていたのだ! と、驚いたようです。これは“孝によって国を治める”のではなく、例えば“恐怖によって国を治める”皇帝や王、諸侯などが居たからでしょうね。今であれば、例えば学校やクラブや部活の先生やコーチによっては、“体罰”によって指導する方もおられるかと思います(わたしが若い頃は、それが一般的とも言えるものでした)。そうした“恐怖”によって統制するのではなく、それ以外の方法で指導するべきだ……『孝経』の場合が示す「それ以外の方法」とは、“孝”ということです。

では“孝による治世”とは、どういうことかと言えば……先王は、民に博愛の教えを与えました……と続けています。その結果、民は親を捨てることがなくなったと言うのです。また先王は、民に徳義も教えました、とします。その結果、民は善行に励むようになりました。さらにです。先王は、民に敬譲の教えを与えました。その結果、民は争うことがなくなりました。そして先王は、民に礼楽の教えも与えました。その結果、民は和睦に暮らすようになりました。最後に、先王は、民に善悪の教えをも与えたのです。その結果、民は禁を守るようになりました。

「詩云。赫赫師尹。民具爾瞻。」

詩経には、次の詩があります……「赫赫かくかくたる師尹しいん民具ともになんじをみると」……「輝かしい師尹(しいん)よ、民は皆あなたを仰ぎ見ている」。

この「師尹」は、礼儀作法や教養を教える人なのだそうですが、それが誰か特定の人を指すのか、官職なのかは定かではありません。正直、この詩については、前文との関連性がよく分かりません。

■【改めて社長さんへ】孝をもって天下を治めることが重要です

次は、改めて皇帝が“孝”を持って天下を治めることの重要性について、語り直しています。

添えられた挿絵には、多くの配下を従えた皇帝が、上段から(おそらく)諸侯を見下ろしている様子が描かれています……って、本当に“孝”の重要性を説いた絵なんでしょうかね?

子曰:昔者明王之以孝治天下也,不敢遺小國之臣,而□於公、侯、伯、子、男乎,故得萬國之懽心。以事其先王。
治國囗不敢侮於鰥寡,而況於士民乎,故得百姓之懽心,囗事其先君。
治家者不敢失於臣妾,而況於妻子乎,故得人之懽心,以事其親。
夫然,故生則親安之,祭則鬼享囗。是以天下和平,災害不生,禍亂不作。故明王之以孝治天下也如此。《詩》 云:‘有覺德行,四國順之。

今回も「曰くいわく」から始まります。「孔子が、こう言いました」ということですね。なんて言ったのか? 「昔の明王=先王=聖王は、“孝”をもって天下を治めたのじゃよ」と。

ではどう治めたのかといえば「小国の臣下をおろそかにすることなく、もちろん国主級の人たち公・侯・伯・子・男をないがしろにすることもなかった。だからじゃ、先王は万民の心をググッと鷲掴みにできたのじゃ」と。

先王が、そうして“孝”をもって万国を治めたことで、「国を治める者(公・侯・伯・子・男=先君)も、寡婦や孤児を大切にしたそうです。もちろん役人や他の国民を大切にしないわけがない。だからじゃ、先君もまた国民の心をググッと鷲掴みにできたのじゃ」と。

そうして先君もまた“孝”をもって国を治めたため、「家を治める者……つまり家長も、召使いや家来を大切にしたのじゃ。もちろん妻や子どもたちもじゃ。そのためじゃ、皆が喜び、安心してその家長に仕えることができたのじゃ」と。

そうして国が秩序だっていたからこそ、「親が元気なうちは安らかに暮らせて、亡くなった後も手厚く祀られたのじゃ。だから天下の平和は保たれ、災害もおこらず、災禍や騒乱もなかったのじゃ」と。

孔子は重ねて言いました「良いか! しつっこく言うが、明王は“孝”によって天下を治めたのじゃ」と。最後に『詩経』に記された一節が紹介されています……「徳によって治められた国には、周囲の国々もこれに従うでしょう」と。

改めて挿絵を見てみると……う〜ん……あんまり徳のある皇帝が描かれているようにも思えませんけどw どうなんでしょうw

■“孝”とは“徳”とは“君子”とは

次の絵では、円墳のような丸い塚の上で、祭祀が行なわれている様子が描かれています。いったいこの人たちは何をしているのか? というが、挿絵に続く文章を読むと、なんとなく分かってきます。

円墳の絵の左には、次のような漢文がしたためられています。

曾子曰:“敢問聖人之德,無以加於孝乎。”子曰:“天地之囗囗人為貴。人之行,莫大於孝。孝莫大於嚴父,嚴父莫大囗配天,則周公其人也。昔者周公郊祀后稷,以配天。宗祀囗王於明堂,以配上帝。是以四海之內,各以其職來祭。夫聖囗囗之德,又何以加於孝乎。故親生之膝下,以養父母日嚴。聖囗因嚴以教敬,因親以教愛。聖人之教不肅而成,其政不嚴而治, 其所因者本也。父子之道,天性也。君臣之義也。父母生之,續莫大焉。君親臨之,厚莫重焉。故不愛其親而愛它人者,謂之悖德。不敬其親而敬他人者,謂之悖禮。囗順則逆民,無則焉不在於善,而皆在於凶德。雖得之,君子不貴也。君子則不然,言思可道,行思可樂,德義可尊,作事可法,容止可觀,進退可度,以臨其民。是以其民畏而愛,則而象之。故能成其德教,而行其政令。《詩》云:‘淑人君子,其儀不忒。’”

曾子そうしが「聖人の徳は、“孝”に勝るものはありませんか」と、師の孔子に問いかけたそうです。すると孔子が「天地が生み出す生き物の中で、人は最も尊い。人の行いの中で、“孝”に勝るものはない」と、つまり「“孝”を実践するからこそ、万物の中で“人”が最も貴い」といるのではないかと思いました。

孔子は続けます。「孝の中で、父親に対する畏敬の念より優れたものはない。そんな“孝”を最初に実践したのが周公である」と言っています(たぶん……)。周公とは、紀元前1043年〜紀元前1037年(推定)という気が遠くなるような、昔の政治家です。孔子が紀元前552年頃の生まれとされているので、既に伝説上の人というよりも神話のような感じだったかもしれません。

その周公は、周王朝の王ではないのですが、孔子は「后稷こうしょくを郊祀して天に配し、王を宗祀して上帝に配した。そのため、四海の民は、各々その職に応じて祭りに参じた」と言ったといいます。なんのこっちゃ? なのですが……

まず「后稷こうしょく」は、中国の伝説上の人物で、農業や天文学の祖と言われています。ちなみに男性です。周公は、その后稷こうしょくを、郊祀こうし……郊外に祭壇を作って祭祀し、明堂で父親である文王を祀ったと言います。←この太文字が重要です。そのため四海……各地の人たちも、それぞれの職に応じた、祭るべき伝説上の人物を祭ったのではないでしょうか。

孔子は、まだまだ続けますw 「夫聖人之德,又何以加於孝乎」……それ聖人の徳、また何をもってか孝に加えんや!……と。聖人の徳として、“(親に対する)孝”のほかに、何かを付け加えるべきものがあるだろうか? いや無い! なぜなら、親は我々を産み、育ててくれたのだから。父母を養うことは、日々厳粛に行わなければならない。聖人は、厳しく(親を)敬う心を教え、親しみをおもって(親への)愛を教えてくれます……と言いつつ、「聖人の教えは厳粛さがなくても成り立ち、そのまつりごとは厳しくなくても治まります。なぜなら本=人間の本性に由来するものだからである……と。

つまりは「“孝”は人間の本性であるため、聖人の徳の第一である」というのですが……“孝”が人間の本性だとするなら、こんなに“孝”の大切さを説き、みなに実践するように! なんて力説しなくても、自然と皆が“孝”をもって生きるのではないか? と思うのですが……。実際には“孝”の実践が難しい、または実践できない人も多いから、世の中はままならないのではないかなぁと。とはいえ、“孝”が人間の本性とする儒教は、性善説に立った教えなんでしょうね。平和な感じがして、嫌いじゃありませんよ。

まぁ、そんな凡人のわたしの疑問は無視して、孔子はまだまだ語ります。

「父子の関係は、天性によるものである。君臣の関係は、義に基づくものである」と同時に「父母は、我々を生み育ててくれた。その恩は、計り知れない。君主は、我々を親のように見守ってくれている。その恩は、重く厚い」。だから「その親を愛さずに他の物を愛すは、德に反することだ。親を敬わずに他人を敬う者は、礼に反することだ」と、厳しく指摘しつつ、「以順則 逆民無則焉 不在於善 而皆在於凶徳」という短い言葉で、「人間の本性である“孝”に従って生きれば民も従うだろうけれど、そうでなければ民が君主を規範とすることもなく、自分の親を敬うという善行を行なわずに、道に背くことになるだろう」と。

もうこの辺で「分かりました。親を大事にします! だから許してください」と言いたくもなりそうですが……孔子さんからは「真面目に聞いてください!」と言われそうです。

そして「もし“孝”に則っていなければ、たとえ高い地位を得たとしても、徳の高い君子からは貴ばれませんよ」と続けます。そして、若干話がシフトするのですが、ここからは「徳の高い君子とは、どんな人なのか?」に移っていきます……こうしてズレていくから分かりづらい……。

孔子さんによれば、「君子は、発言する時には、しっかりと考えてから発言するものです」と。また「何かをする時には、その行為が誰かを喜ばせるものか、傷つけないかを考えてから行動するものですよ」と。そのため君子とみられる人の行ないは「徳義である」と尊ばれて、なにかをすれば模範とされ、その立ち居振る舞いまで注目され、その所作が基準とみなされるのです。

■子の親に対する、5つの“孝”と3つの“戒”

ここまで書いてぜぇぜぇ息切れして来ましたが、まだまだ孔子は“孝”について語っていきます。今度はまた“孝”の出発点、親に対しての“孝”とはどんなことかを説いています。

挿絵には、両親でしょうか……壇上で老夫婦が椅子に座って、その前で遊んでいる家族を優しい目で見つめています。

子曰:孝子之事親也,居則致其敬,養則致其樂,病則致其憂,喪則致其哀,祭則致其嚴,五者備矣,然後能事親。事親者,居上不驕,為下不亂,在醜不爭,居上而驕,則亡。為下而亂,則刑。在醜而爭,則兵。三者不除,雖日用三牲之養,猶為不孝也。

孔子は“孝”を具体的に示す5つの行為を、次のように示しました。まずは「居則致其敬(居ても敬を致す)」……日常生活を営む中で、常に親を敬う気持ちを忘れないようにするものだとしています。また「養則致其樂(養うても楽を致す)」……親の生活を支えることで、親を喜ばせようとするものでもあります。「病則致其憂(病んでも憂を致す)」は、もし親が病気に罹ったら、心配して親の回復を願うことです。次の「喪則致其哀(喪しても哀を致す)」では、そんな親が亡くなってしまったら悲しみ、親の死を悼むべきとします。さらに「祭則致其嚴(祭祀しても厳を致す)」として、礼を尽くして祀るように定めています。

また、改めて“孝”を行なうためには、「居上不驕(上に立っても驕らない)」、「為下不乱(下に立っても乱れない)」、「在醜不争(醜いことで争わない)」という、三つの戒めを守ることも重要であると説いています。もし上に挙げた5つの孝行を実践していても、この3つの戒めが守れなければ、孝行者とは言えないとしているんです。

■最も重い罪は「不孝」である

さて、次の挿絵の横には短い一節が記されています。言葉が短いと、孔子さんの“教え”もシンプルなのだろうなと、ホッとしてしまう自分がいます。

その短い文とは……

子曰:五刑之屬三千,而罪莫大於不孝,要君者無上,非聖人者無法,非孝者無親,此大亂之道也。

孔子さんは、「五刑之屬三千」……死刑を代表とする鼻や足を切るなどに値する罪は3,000もあるけれど、その最も重い罪は「不孝」であると言っています。

君主を脅迫する要する者は上がない(?)。聖人でない者は法がない。不孝な者は親がいない。これは大乱の道である。つまりは、“孝”で満ちていない社会は、戦乱の世となるだろうと言っているわけでしょう。

なぜここで、一気に短い文章なのかが不思議ですね。いつも孔子さんの元気さがないというか、もしかすると弟子たちも書き写すのが面倒になって、ここがエッセンスだろうと決めて、短く残したのかもしれません(そんなわけないw)。

ということで、今回はここまでしか書けませんでした……。この《孝経図巻》の解説シリーズを前編・中編・後編の3回で書こうと思ったのですが、同書の残りの文量を考えると、3回では少ないかもしれません……失敗したな……。まぁでも残りに関しても骨子は全く変わりませんし、非常に退屈な内容だということも変わりませんw ではなぜ、わたしたちが退屈に感じてしまうのか? については、次回に記したいと思います。

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