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平安時代の和歌による紅白歌合戦を記録した巻物 @東京国立博物館

NHKで、三浦しをんさん原作『舟を編む』をドラマ化したものが放映されていますよね。初回を見ていた時に、この味のある俳優はだれだろう? なんて思いつつ、最後まで思い出せなかったのが、RADWIMPSのヴォーカル、野田洋次郎さんです。いやぁ〜、朝のテレビ小説『エール』の時よりも、演技が格段に上手になった気がします。できれば、あのボサボサ頭を、もっとブファ〜っとボリューミーにしてくれたらいいのに……って思っているんですけどね。


■三十六歌仙を含む歌人たちが左右に分かれて歌合戦!

ということで、今回は、東京国立博物館(トーハク)に展示されていた《類聚歌合(天徳四年内裏歌合)》をnoteしておきます。

まずは「歌合」って……「類聚」って、どういう意味だろう? と思いネット辞書で調べてみると……

【歌合(わ)せ/歌合】うた‐あわせ〔‐あはせ〕
左右に分けた歌人の詠んだ歌を左右1首ずつ出して組み合わせ、判者(はんじゃ)が批評し、その優劣を競う遊戯。平安初期以来、貴族の間に流行。平安後期には歌人の実力を争う場となった。うたくらべ。

weblio辞書

【類従・類聚】《名・ス他》
同じ種類のものを集めること。その集めたもの。

Oxford Languages

ふむふむなるほど。なんとなく分かったような分からないような……。とにかく、和歌を詠んで対決する紅白歌合戦のようなイベントが、平安時代に流行っていたということですね。こうした歌合戦(歌合)の数々を、平安時代に編纂したものが『類聚歌合(二十巻本歌合)』なのだそうです。

《類聚歌合(天徳四年内裏歌合)》
伝藤原忠家筆|平安時代・12世紀|紙本墨書
田中親美氏寄贈

仁和年間から大治元年(885~1126)にかけて、こうした和歌合が約200回あり、それを20巻にまとめた類聚したのです。本当は清書本が制作される予定だったようですが、編纂主任だった源雅実さんが途中で亡くなられたため、そのまま清書されずに終わったとか。この約20人の寄合書きによる草稿本は、摂関家の近衛家に伝わりました。が……江戸時代になると散逸し、断簡としてあちこちに保管されることになります。

トーハク所蔵の《類聚歌合(天徳四年内裏歌合)》もその一つで、タイトル通り、天徳4年(960)3月に内裏で開かれた歌合の内容を書写したものです。

見てみると、冒頭だけは読みやすいです。

内裏和歌合
天徳四年三月30日於清涼殿???
 霞 鸎(うぐいす) 柳? 櫻
  暮春 首夏? ?? 郭公

なんてことが書いてあり、その後に参加した歌人の名前が「左」と「右」でチーム分けされています。

左で読めるのが……藤原朝忠卿、坂上聖城、橘好古、???、少弐命婦(しょうにのみょうぶ)、壬生忠見、源順
右が……平?盛、藤原?真、中務、藤原博古
そして判者(審判?)が左大臣! って、この頃の左大臣って誰なんでしょw?

このメンバー、三十六歌仙に選ばれている人も2−3人いて、けっこう豪華。あと、少弐命婦さんとか中務さんとか、これって女性ですよね? この時代に、御前試合で男性に混じって女性が参加していたっていうのがおもしろいなぁと。

その後は、和歌がしるされ、左右のどちらが勝ったのかなどが記録されています……が、ここから一気にくずし字になるので、わたしには何が書かれているのかさっぱり分かりません……残念…‥。

これ……いつもなら絶対にスルーしちゃうような地味展示だったのですが、たまったま……たぶん混んでいる展示室の中で、これを見ている人がいなかったので近づいていき、解説パネルをチラッと見てみたんです。そしたら! なんと! あの田中親美さんが寄贈されたものとのこと。ということで、一気に「これは貴重なものに違いない!」と、じっくりと見てみることにしました。

田中親美さんを知らない人も多いでしょう。そんな方は、こちらのnoteを確認いただければと思います。

■以下はおまけ……と言ったら筆者に失礼ですけど……

●藤原定実筆《下絵拾遺抄切 B-2430》平安時代・12世紀| 彩箋墨書

藤原定実筆《下絵拾遺抄切 B-2430》
藤原定実筆|平安時代・12世紀| 彩箋墨書
松永安左工門氏寄贈

もとは巻子本の『拾遺抄』巻第1の断簡です。銀泥で、鳥・折枝などを大きめに描いた下絵が特徴的なため、この名で呼ばれます。筆者は今日の研究で藤原定実とする説が有力で、同筆に「元永本」「筋切」などがあります。下絵と仮名の調和が美しい作品です。

解説パネルより

●藤原俊成筆《古今和歌集断(了佐切》

藤原俊成筆《古今和歌集断(了佐切)B-3416》
|平安時代・12世紀|紙本墨書

元は冊子本だった『古今和歌集』で、古筆了佐(古筆家の祖。1572~1662)が鑑定したため、この名で呼ばれます。この断簡は、巻二・春歌下の一部が書写されています。歌人として著名な藤原俊成による独特の筆遣いがよく表れています。

解説パネルより

●後奈良天皇筆《和歌懐紙》

後奈良天皇筆《和歌懐紙 B-2875》
後奈良天皇筆|室町時代・16世紀|紙本墨書
太田松子氏寄贈

後奈良天皇は後相原天皇の第2皇子で、名は知です。当時、天皇家は窮乏の極みに達し、即位もままならないほどでした。署名の方仁とは正親町天皇の名ですが、その筆致から父帝・後奈良天皇の老年の自筆であり、幼い我が子にかわって筆を執ったと考えられます。

解説パネルより

●虎関師鍊筆《七言律詩梅花第四》

虎関師鍊筆《七言律詩梅花第四》
南北朝時代•建武5年(1338)| 紙本墨書
東京・公益財団法人常盤山文庫

虎関師錬は鎌倉~南北朝時代の禅僧で、円爾の法孫にあたります。東福寺や南禅寺の住持を務め、詩文・書法に優れた五山を代表する学僧として知られます。本作は自の「梅花」9首のうちの第4首を、筆と淡墨を自在に操り、流暢な草書で書写しています。

解説パネルより

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