トーハク東洋館でググッと来た、中国の花鳥画(01)
週末の東京国立博物館は、ほかの上野公園エリアと比べれば空いていたとはいえ、ヤバいくらいに混んでいました。どれくらい混んでいたかと言えば、現在開催されている特別展「中尊寺金色堂」が90分待ちになるほどです。まぁ人気展であれば、もっと待つよという人もいるでしょうけれど……。
そんな時にでも比較的に空いている、日本以外の東アジアの展示品が充実している東洋館を巡ってきました。特にじっくりと見てきたのが、東洋館4階の8室「中国の絵画」の部屋です。現在は「花鳥の美」というテーマで、15〜16世紀以降に描かれた花や鳥の絵が展示されています。これがちょっと……これまで中国画に心揺さぶられることはなかったのですが、今回のは「おぉ〜、なんかすげぇ〜」となるような作品もあったので、noteしておきたいと思います。
■展示概要
テーマ:花鳥の美
場所:東洋館8室「中国の絵画」の部屋
期間:2024年3月19日(火) ~ 2024年4月21日(日)
この部屋の全体の解説を読むと「花と鳥は、それぞれに吉祥の意味があり、華やかな外見が目を楽しませることから、古来、絵画の主題として愛されてきた」そうです。そして16世紀に一世を風靡した宮廷画家の「呂紀画風」、その呂紀の伝統をふまえて新境地を開き、日本画壇にも影響を与えた「沈銓(南蘋)画風」、18~19世紀の瀟洒な「文人画風」の作品を展示し、明時代から近代にかけての着色花鳥画の歴史を紹介していくとしています←ほぼ解説文のコピペになってしまいました。
【15〜16世紀】《四季花鳥図軸》……呂紀画風
目にとまった作品を年代順にnoteしていくと……まずは、今回のメイン作品っぽく存在感のあった、明王朝の宮廷画家として活躍した呂紀(りょき)という人が描いた《四季花鳥図軸》があります。
呂紀って何者だろう?と調べてみました。Wikipediaには、1477年に生まれて没年は不明。上海同四明(浙江寧波)の人で、明朝の弘治年間(1488 - 1505年)に宮廷画家として活動したそうです。「装飾的画面の花鳥をよくした」とありますが、装飾的画面ってどんなものなのでしょう。中国版Wikiを見てみると、同様に「花鳥画に長けていた」としています。まぁ宮廷画家なので、花鳥画は基本だったとも思えます。
「あぁなんか中国画っぽいよねぇ」と思いました。とはいえ、もしかするとけっこう西洋画の影響を受けていたのか、それとも西洋に影響を与えていたのかわかりませんが、当時の日本の大和絵とは異なる雰囲気を醸し出していますよね。
1488年〜1505年に描かれたと推定されているので、日本で言えば、前将軍の足利義政により、慈照寺に銀閣が造営された頃(1490年)ということになります。その約20年前の1467年には雪舟等楊が明に渡っていて、1506年に没しています。ということで、今回の呂紀が中国で活躍したのは、日本ではもしかすると水墨画全盛期だったかもしれません。
↑ こことか(写真の撮り方が悪かったと思ったのですが…)全体としては水墨画のようなダイナミックさがありつつ、写実性を放棄していない感じがします。
鳥の描き方に比べて、草花が上手! 花もですが、草の描き方が、なんかもう今っぽいというか、おしゃれさを感じてしまいます。
上のカモ(?)などは上手ですけど、なんだか図譜からコピペしてきた感じが拭えません……あくまでド素人の個人的な感想です…。一方で、このプラタナスみたいな葉の描き方は、枯れていくさま、秋っぽさが秀逸だなぁと。
下の椿の花なども、そのままポロンって落ちてきそうなリアルな感じです。
最後にまた全体を見てみると……この並びって、作者の意図どおりなのかな? と、ちょっと疑問が……って言っても、右から春・夏・秋・冬の並びなので、間違いのはずではないし、左右の両端にドスンッと木を配置して安定感もありますよね。けど、右から見て春・夏・秋は、なんとなく連続性が感じられます。一方で、秋と冬については断絶されているというか、テンポがつながっていないような……。もしかすると……本当にもしかするとですが、この連作は冬から始まっているんじゃないか? (いま左端にある)冬が、もしかすると一番右側にきて、季節は冬・春・夏・秋と配置するとしっくりときそうな気が……。一週間の始まりは日曜なのか、はたまた月曜なのか? みたいなものかなと。
【1739年】《鹿鶴図屏風》……沈銓(南蘋)画風
次には時代が一気に下って、1682年生まれの沈銓(しんせん)さんの《鹿鶴図屏風 TA-641》です。この東洋館の8室には、屏風が展示されることはマレなような気がします。そのため、部屋に入って全体を見渡した瞬間に、「あ…屏風がある」って思ったものです。
この屏風が示す通り(なのか?)、沈銓さんは日本との深い由来があります。沈さんは、名は銓で、字を衡之または衡斎とし、南蘋と号しました。中国では沈銓として知られ、日本ではどちらかというと南蘋で知られるこの方、なんと暴れん坊の徳川吉宗というか、徳川幕府から招聘されて、1731年 (享保16年)に、弟子を連れて日本にやってきました。そして長崎に2年弱滞在。写生的な花鳥画の技法を伝え、直接ではないでしょうけれど、「円山応挙・伊藤若冲など江戸中期の画家に多大な影響を及ぼした」とWikipediaには記されています。
トーハクの解説パネルには、「沈銓の画風は、日本で大人気となった」としています。また「樹木や岩石にみられる独特の筆法、鮮麗な彩色を特徴とする画家」とあるんですよね。残念ながら、今のわたしが樹木や岩石を見ても、どのあたりが独特なのか分かりませんでした。
鹿を見る限りは、そんなに写実的にも思えないんですけどね……。
この波の描き方は、中国から来たものなんですかね……。思いっきり、浮世絵などで見る波のそれですよね。ちなみに、この波頭があわあわしている描き方は、俵屋宗達の後継と言われている江戸初期に活躍した俵屋宗雪も使っています。少なくとも、沈銓さんが伝えたものではなさそうです。
日本人からすると、どのあたりが「円山応挙・伊藤若冲など江戸中期の画家に多大な影響を及ぼした」点なのか知りたいところ。ただ、それを探る際に、今回の《鹿鶴図屏風》を沈銓さんの代表作として位置づけるのは、ちょっと誤りのような気もします……なんとなく。
面白いのは、この屏風が描かれたのが、沈銓さんが清に帰国した後のことだということ。そして描いたこの絵は、徳川将軍家に蔵されたということです。屏風にしたてられたのは、日本に送られてきてからのことかもしれませんね。
一番ググッときた【18世紀】王岡(おうこう)さんの《四季花鳥図巻》
描かれた時期が18世紀としか分かりませんが、18世紀の王岡(おうこう)という絵師により、一気に鳥の描き方が写実的になっています。解説パネルにも「(筆者の王岡は)花卉草虫の写生を得意としたと伝わります」という通り、花鳥のいずれも精緻なだけでなく、いきいきと描かれていました。
わたしはめったに中国画に感心や感動したりしないのですが……単に好みではないし、この絵に関してもビビッドで華やかな色彩は、遠目から見た感じでは「あぁまた中国の派手な色彩の絵が展示されているなぁ」と思いました。ただし近づいて見てみると、「これはすごい絵だな」と…。見れば見るほど、すごいなぁと…すごいなぁと……。この絵だけで10分か15分くらいは見入っていたかと思います。
雲母かなにかを混ぜた絵の具を使っているのか、特に頭頂部などは見る角度を変えるとキラキラとしていました。
解説パネルで見逃せないんが、この王岡(おうこく)さんの《四季花鳥図巻》が、江戸時代の書家、市河米庵さんの旧蔵品だったということです。
そうして改めて、巻末にしるされているなんかを見ると……なんなのか分かりませんが……なんかこの書も良くない? って思ってしまいます。ということでスキャン。
今回の展示でnoteしておきたい作品が、あと何点かあるので、2回に分けたいと思います。
ということで、今回はこのへんで
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