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【詩】哀歌(エレジー)

哀歌〈エレジー)

やっとひとりになれた夜 おれは波止場の見える安ホテルの一室で 
情交の名残りでもあるかのようにシーツに落ちていた あの時の
一本の縮れた女の陰毛を思い出していた

湖水を染める晩秋の夕焼けはとっくに終焉し
もうじき窓には無影灯のように青白い
女の貧相な乳房が姿を見せるだろう

おれが女をはじめて抱いたのは いや 抱かされたのは どうでもいいような研修会のあとの五階建ての薄汚れたこのホテルだった 初めてだったと女は嘘をつき おれは三人目だと見栄をはった おれたちがもう一度抱き合おうとしたとき 空気を叩くような乾いた音がし 窓に目をやると 北へ向かうヘリコプターの腹が見えた 女は裸のまま窓に近づき 米軍ね、というと 左の手でピストルをつくって 発砲した 機体は お辞儀をするように前に傾き 赤と緑の航空灯を美しく点滅させながら 窓に映った女の乳房を斜めに横切り みずうみへゆっくりと消えていった
墜落したわ
女はおれの方を向いて得意げに云った
おれは心地よい叙情を感じ
ベッドで胡座をかき煙草に火を付けた

わけもなく無性に苛々するわ 死にそうよ
女は裸でおれにまたがっているとき しばしばそんな類のセリフを発しながら 手ピストルでおれをバンとやるのだった おれも 何もかもばからしいといっておおげさに事切れてみせた

救い難かった

互いに誰でもよかったからきっと結ばれたのだ だから子宝にも恵まれずとも平気だった だけど その代わりといっちゃなんだが お互いに年下の愛人を ひとりづつ 平等に所有し お互い見て見ぬ振りをするという 夫婦のモラルを貫いた

愛し合っていなかった 互いに必要でもなかった
だから 憎みあわず 最後まで添い通した
偕老同穴のごとく虚無の深海でひっそりと

あの動員された研修会がいけなかったのである
三文判のような教条
空砲にしか思えぬ闘争スローガン
国名を持たない国家の神棚から棚卸された活動指針 
「まるで宗教儀式ね」
たまたまとなりに座ったあの女がポツリと言ったとき
おれの耳は尖り
珊瑚色した声の舌に清められた
おれはこの女の苦そうな唾液にまみれたいと思った
だから即座に 迷信よりメシは と誘った
ニヒリストカップル
お似合いのふたりが産声をあげた麗しき瞬間である

女の哀しい乳房はとうとう現れなかったが
あの時のように鳰のうみに夜霧がかかりはじめた

二人で寄り添う影となって 波止場を歩いていると ジャン・ギャバンの運転する哀愁をおびたボロトラックのヘッドライトが たしかに 見えたような気がして あっという間におれたちは波止場もろとも 蒼白い霧の底に沈んだ おれと女の眼差しは出口を求めるように 実に自然に
別の迷信に入る儀式を執行したこの安ホテルの五階の
点っていない窓の灯りに向かっていたんだった

いま、おれは一人でこの暗い湖水をながめ、いったい何を手向けようとしているのか あの古歌がいやにやるせなくおれの胸をしめつけてくる

 別れにしわれ古里のにほの海に影を並べしひとぞこひしき


 * 鳰のうみ(におのうみ)は、琵琶湖の別称
 * 古歌の出典は「浜松中納言物語」


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