大河完結記念『気まぐれ天魔と金柑頭』


「そなた、天下は欲しくないか?」

安土の城にて我が主君、織田前右府信長様が仰ったこのお言葉から全てが始まり、また、全てが終わった。
「な、何を?」
「だから天下じゃ、天下。もしや聞こえんかったか? 金柑頭め」
お言葉は確かに耳に入っていた。何を言っているのかも一応把握は出来た。しかしそれでも飲み込むのに時間がかかった。
『天下は欲しくないか?』
上様は、某が天下を欲するかどうかをお尋ねになった。
さてこれはどういうことだろうか?
天正十年、今この時におかれては『天下に最も近い』と称されるこの織田信長様が、その家臣たる某、明智光秀に対して天下を欲するかどうかを尋ねた。
武士を名乗る者なれば、『もののふ』であれば、武勇であれ、知略であれ、治世であれ、『日の本一』を志すものが一つはあって然るべきである。それの最たるもの、この日ノ本の『もののふ』の頂点と言えるものが、即ち『天下人』である。我が主君、織田前右府信長公はまさにその器を持たれるお方だと思う。
そんなお方が『天下を欲するか』と問われた。
それはどのような意図があるのかを、しばし思案する必要がある。

一つ:明智光秀の謀反を疑っている。
南蛮人との接見の際をはじめ、某は織田前右府信長様に厳しく叱責されたことが多い。柴田殿、丹羽殿、池田殿、羽柴殿、前田殿、新参古参を含め家臣の中では特に叱責を頂いている。故に、某が耐えかねて反目するのでは? と疑われておられるのかもしれない。
二つ:『もののふ』として試されている。
羽柴殿、前田殿、織田の家臣団には実力とその働きを評価されて大名にまでなった者が多くいる。無論、根源にあるのは織田前右府信長様への忠義であるが、彼らは決して『もののふ』として貪欲さを忘れてはいない。某にもその貪欲さがあるかを試しておられるのでは? とも考えられる。
三つ:純粋にお戯れ
四十五を超えてから間違いなく『お戯れ』のお言葉が増えた。今回もその一つでは、とも思える。

さてさて、このどれか、どれかである。
三つのうち一つ。どれだ? どれがこの問いの真意だ?
いや、むしろ逆にこの三つのどれだとしても無礼に当たらない返答をするのが肝要。となると……ここは……
「織田の木瓜紋が日ノ本中に掲げられる天下なら、是非とも見てみたく思いまする」
織田家への忠義、天下への貪欲さ、あとお戯れなら仕方なし。この返答なら叱責されることはあるまい……あるまい……恐らくあるまい。
「そうではない。確かにそなたらしい答えではあるが、儂はそのようなことを聞いたわけではないぞ。全く鈍い男よの」
叱責はされなかったものの、上様は苦笑いを浮かべた。正当では無かったが、叱責されなかった分まだ良い方だろうか……
「そなたが天下を欲しいかどうかだ。そなたの言葉を借りて申すなら、桔梗紋、明智の家紋を日ノ本中に掲げさせたいとは思わんか? と問うたのだ」
「そ、それは恐れ多きこと……」
「同じ問いをサルにしたら『是非に』と言いおったぞ?」
「それは誠ですか⁉」
「嘘じゃ」
そうして上様は、呵々といたずらっぽく笑う。諸大名が『天魔』と恐れるこのお方がこんな風に笑うことを知っているのは、織田家家中の者だけだ。
「戯れが過ぎたな。そろそろ本題へ入るぞ」
いたずら好きの童のような顔から主君のそれへと速やかに顔つきを変える。仕えた時から少し老いた今この時まで、この切り替えの早さは変わらない。
「ははっ」
「光秀、そなたに密命を下したい」
密命、その言葉を聞くと肌にぴりっと緊張が走った。何を命ぜられるのか? その言葉を待つこの時間はいつも心の臓が強張る。
「ある敵を、討ち滅ぼせ」
「ある敵?」
「あぁ、明智光秀にとっては『怨敵』とも言える存在であろうな」
怨敵、そう言われても、はてさて誰か思い浮かぶ者はいたであろうか? 正直見当がつかない。しかしそう口にすれば恐らく『やはり察しが悪い男よ』と言われるであろうから、ここは黙って次の言葉を待った。

「そなたに、織田前右府信長の討伐を命ずる」

「は?」
織田前右府信長の討伐? 織田前右府信長、上様、我が主君、目の前にいるこのお方を『討伐』せよ? 何を言っておるのだろう。
この命をもっと簡単に言えばこうだ。
『謀反をせよ』
さらにさらに簡潔にするとこう
『儂を裏切れ』
敵の家臣に送る密書ならまだしも、主君自らがその家臣に対し、そのような名を下すなど古今東西聞いたことが無い。
「儂は明後日六月二日、京の本能寺にて茶会を催したのち、そこで一夜過ごすこととなっておる。手勢は僅か、そこに夜襲をかけて儂を討ち取るのがそなたの役目じゃ」
上様がさらに具体的な日取りと手はずを口にする。某は更に困惑した。
お戯れではないのか? 本気で仰っているのか? 
もしや何かの策なのか? いやしかしそれにしても……
「上様、どういうおつもりで御座いますか?」
「どういうもこういうもない。言った通りである」
「それでは、それでは上様は……この明智光秀に『討ち取られたい』と申されるのですか?」
「あぁ、そうしてみるがよい」
気付けば上様の目は、軍議を取り仕切る際の真剣な眼差しと同じものになっていた。その目を見れば分かる。上様は本気だ。本気でこの明智光秀に
『儂を討ち取れ』
そう仰っているのだ。とても正気とは思えない。儂は狼狽してしまった。
「何か……何かございましたでしょうか? お、恐れながら自ら死を乞うなど、まるで上様らしくもないお言葉。これも天下布武のための一つの策と申されるならば何卒! そのご真意をお聞かせ頂とう存じます!」
そう言って深々と頭を下げた。このまま金柑と揶揄された頭を踏みつけられても構わない。その真意が知りたい。かの織田前右府信長の真意を……
上様はしばらくの沈黙の後
「やれやれ、やはり察しが悪い男よ。最後まで言わねばならんか」
とため息をつく。そして上様はこう口にした。
「光秀よ、そなたが仮にただの農民、庶民であったとして、『天魔織田信長が天下をとった』との報せを聞いたらそなた、如何する?」
「う、上様が天下をとったら?」
農民、庶民だったら? 
おそらく……おそらく……少なくとも歯向かうことはすまい。比叡山延暦寺での一件や浅井長政のこともある。間違っても一揆などは起こすはずもない。
「何も、ただ織田の治世に身を任せるでしょう」
「そうであろうな。少なくとも歯向かうことはせず、恭順の意を示すであろうよ。
『外見では』な」
「外見では?」
「『天魔が治める世』と耳にしてそなた、恐ろしいとは思わぬか?」
天魔が治める世、『織田が治める世』ではなく『天魔が治める世』
そう言われれば確かに、確かに恐怖、畏怖がないとは言えない。民の心の中に少なからず『恐怖』が芽生えることは想像できる。
「儂は天下を目指し手段を選ばなかった。それが今や諸国で『天魔』と言われるまでになった。今最も天下に近いのはこの『天魔』よ。のう光秀、『天魔』と呼ばれるような男が天下を治める。そのようなことが許されると思うか?」
「し、しかしながら織田領の百姓や商人は皆上様を慕っておられます! 今『天魔』と呼ばれたとして、きっと時が経てばそのお心は必ずや理解されましょう」
「無理じゃな」
「それは何故ですか?」
「諸国から見れば今、各地で行われている戦は戦ではない。ある種『天魔の討伐』じゃ。それに打ち勝ち、その地を平定したとしてその地に住まう民はどう思うか、分からんか? 『領主様が天魔に殺された』と思うことは明白であろう」
それは……それは……理解出来る。しかしと否定したいところだがそう言われれば確かにそうだ。そうである。
「故に、この辺で織田信長は『いなくならなければ』ならぬ。この世からも、歴史からもな。『天魔』が天下を治めることなぞ、あってはならぬのだ」
「でしたら、家督を信忠様に引き継いでおられるのですから、清州あたりで隠居というのでも」
「駄目じゃ、儂が生きている限り、織田家、織田軍はいつまでも『天魔の軍勢』ぞ」
「では上様、上様は本当に、その……死ぬと?」
「あぁそうじゃ。この儂、天魔、織田前右府信長は明智光秀の謀反を受けて終わりじゃ」
その日、安土城から見えるいつもの夕焼けは、その日は特に紅かった。切ない程に紅かった。
「それに儂も疲れたでな」


六月一日

この明智光秀は一万三千の手勢を率いて丹羽亀山城を発った。老の山を登り山崎を廻って摂津へと進軍する。亀山から表向きの目的地の西国への道は、南の三草山を越えるのが普通とされる。しかしこの道を進む理由はやはり上様の命があってのことだ。
『そなたに、織田前右府信長の討伐を命ずる』
あの命に従うべきか。否か。未だに某は迷っていた。
上様の命とは言え、謀反は謀反だ。
『天魔が天下を治めることなぞ、あってはならぬ』
これを上様の言葉だとは誰も信じるまい。まして某が上様を討ったとなれば、某の言葉に耳を貸す織田家家臣なぞいるものか。
ここで一つ申し上げておくが某、死ぬことが怖いということは無い。織田家家臣の誰かに首を刎ねられることになろうが、それが上様のためなら喜んで首を差し出す。その覚悟は出来ている。
しかし『上様のために上様を討つ』というのは……それは……そんなことを命じられるとは全く思っていなかった故、そんな覚悟はしておらなんだ。
「殿、しばしよろしゅうございますか?」
「秀満、如何した?」
「某に一計がありまする」
我が家臣、明智秀満はにやりと口元を釣り上げた。
「殿、今なら天下が取れるかもしれませんぞ」
「天下……天下と申したか?」
某が驚いたのは、我が家臣から謀反を勧めるものが出たことよりも、その家臣がまるで上様のお言葉と同じようなことを口にしたことが大きい。
「柴田、羽柴、その他の織田家臣下の軍勢が諸国の手勢に釘付けになっている今、織田信長様を討ち、軍備を整えることは難しくはございません。聞くところによると信長様は、今僅かな手勢と共に本能寺におられるとのこと、本能寺で信長様を討ち、そのまま安土の信忠様を討つ。もちろんその報せが広まれば織田家家臣は皆報復に来るでしょうが、彼らは戦続きで疲弊しているはず。万全の我が軍勢で迎え撃てばすり潰す様に蹴散らせましょう」
言われてみればなるほど、今この時は某にとってこの上ない謀反の絶好の機会である。謀反を働くとなればこれに勝る好機は決してない。しかし――
上様もこれを理解して『謀反をせよ』と言っていたのではないか? 今この時が謀反の機会と分かっていて、あえて某に謀反を命じたのでは?
どういうことだ? まさか本気で、本気で某に『天下を獲れ』と仰っていたのか? いやしかし……何故この某が? 何をもって謀反を勧めたのか……
「如何すべき……か」
何が狙いだ? 何が目的だ? 何を考えておられる? 何を企てておられる? 何を試されている? 何を期待されている? 
『天魔織田前右府信長は明智光秀の謀反を受けて終わりじゃ』
ふと、そのお言葉を思い出す。
某の謀反を受けて終わり。上様はそう仰っていた。
しかし、上様は一度も『某の謀反を受けて死ぬ』とは仰っていない。
それに、某に謀反を命じたということは、それはとどのつまりこういうことだ。上様は今宵『某が謀反に来ることを知っておられる』ということだ。
それならば、そうであるならば『上様は事前に逃れはしないか?』
これから謀反を受ける本能寺に、謀反を受けるその時まで留まることはあるのか? 今、本当に本能寺に上様はおられるのか?
まさか、まさか、まさかまさかまさか――
『それに儂も疲れたでな』
最後の言葉を思い出すと某は、やっと、どうにか、何となく上様の真意が見えたような、そんな気がした。
そんなような気がして、心を決めることが出来た。

「敵は本能寺にあり」


六月二日

「殿、本当によろしかったのですか?」
「構わぬ構わぬ、一向に構わぬよ」
この儂は堺の港から『ぽるとがる』へと向かう南蛮船の上にいた。
今頃京の都は大騒ぎであろう。更に言えば『明智光秀が主君、織田信長を討った』と言う報せが、サルや勝家、長秀、恒興の元に届いている頃合いか。
「ま、もう儂には関係のないことよな」
昨日まで『織田信長』と名乗っていた儂は、妻と共にこれから南蛮の地へと旅立つ。
「今から戻られても遅くはないと思いますが……」
「儂は帰蝶と共に南蛮の地を旅したいのじゃ。しかし、織田信長のままではそのようなことも叶わぬ。故に、あの金柑頭に織田信長を討たせたのよ。遅い遅くないという話ではない」
「でも……」
「不満か? そなただけでも安土に残りたかったか?」
「いえ、その……お供することを許していただけるのは嬉しいのですが……」
昨日の夕刻に、それまで何も知らせていなかった帰蝶に『南蛮へ旅に行くぞ』と声をかけていきなり連れ出したためか、帰蝶はやはりどこか戸惑いがあるようだ。まぁ是非もない。
「儂はもう『織田信長』では無いのだ。一人の男として妻であるそなたと共に過ごしたいという儂の思い、分かってくれぬか?」
「嬉しく思いますけど……ただ……」
「ただ?」
「殿がもう『織田信長』様ではないとすると、これからは何とお呼びすればよろしいでしょうか?」
帰蝶のその問いを聞いて、儂はつい吹き出してしまった。
「ブはッ! ハッハッハッハ!」
「な、なにがおかしいのです⁉」
うむ、照れておる儂の妻のなんと可愛いことか。思えばこうして一人の女を愛でるのは、随分と久しい。
「『信長』以外であればなんとでも呼ぶがよい」
そう、織田信長ではない以上儂は何者にでもなれよう。そして何と呼ばれても構わぬと思えよう。
ただし『織田信長』『天魔』以外なら。
『人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり』
もう敦盛は儂には当てはまらぬ。五十以上を生きることも、夢幻のその先へ向かうことも出来よう。

「金柑頭から自由を貰った故な」



※大河ドラマ、『麒麟がくる』終わりましたね。

最初はそうでもないと思ってましたけど、振り返って見れば存外に楽しんで見れた良い大河ドラマでした。

それにあやかって、と言うか便乗して『白色黒蛇が以前書いた新解釈の本能寺の変』をお送りいたしました。

今回お送りしました『気まぐれ天魔と金柑頭』を含めた短編集は絶賛発売中ですので、お手に取って頂けると幸いです。


以上、お相手は白色黒蛇でした~


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