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名をかたる人

 その人とは、夕方、渋谷駅の東口で出会った。

 学生のころにはじめたアルバイト先に、卒業後も、そのまま通い続けた。「担当する業務の関係で」「社内業務も学んでから」という会社の言い分を真に受け、新卒というカードを切ることもなく、アルバイトのままで。
 1年が過ぎ、部署異動にあわせて、その会社で社員になった。生活は少し楽になった一方、その対価であるかのように、疑問と矛盾と理不尽の雪崩が押し寄せてきた。

 1年足らずで出社する気が失せ、フェードアウトするように退職。2か月ほど気ままに過ごしたあと、思い立って品川の人材派遣会社に登録。設営部門のメンバーとして、各種イベント開催日程にあわせて様々な現場に行き、リーダーの手足となって、体を動かす生活がはじまった。
 指示されたことを行い、わからなければ聞き、物を運び、手を動かす。一日の工程が完了すれば、定時前でもやり終い。残業代はもちろん支払われる。初めて飛びこんだ世界だったけれど、その気楽さは、僕の性に合っていた。

 何度か勤務するうちに、都内以外にも、埼玉、神奈川、千葉の現場に行く機会が増えた。電車での移動が多くなった僕は、読書以外に、新しい趣味を見つけた。
 それは、メールマガジンの発行。
 お金を取るわけでもなく、何かを宣伝するためでもなく、人生に有益な情報を提供するわけでもない。ただ「何かを書きたい」「それを発信したい」という、完全なる趣味。発信という形態をとったからには「誰かに読まれたい」という意識も多少はあったのだろう、とは思う。けれど、それは些細なことだった。少なくとも、はじめたときは。

 詩とも、散文とも、言葉遊びともつかない文字群を20号ほど配信したころ、少しずつ登録者が増えてきたのがわかった。読者からの返信は受け取る設定にしてあったので、配信直後や思わぬ時間に、感想や質問のメールが届くというサプライズも起こった。僕も他の誰かが配信するメールマガジンにいくつか登録し、ときには配信者に感想を送り、ささやかな交流を楽しんだりもした。パカパカと呼ばれた折りたたみ携帯を、ほとんどの人が使っていたころの話。

 ある日、新宿行きの電車に乗って携帯を開くと、メールが届いていた。件名は、メールマガジンのタイトル。その頭に「Re:」。
 「また物好きな人が感想をくれたんだな」と思いながらメールを開くと、スクロール不要の、簡潔な感想が書いてあった。

 「今日の内容、好きです」


 僕は配信にあたって「匿名を徹底する」「タブーを設けない」「文字を使った実験を行う」など、いくつかの決めごとをしていた。現実の自分の境遇はともかく、ネット上では「自分ではない誰か」になりたかった。ただ一個の「文字を紡ぎだす者」でありたかった。その思いはマガジンの配信を重ねるうちに徐々に明確になっていき、僕は自分の思い描く、偏屈で、こだわりが強く、理想を追い求める「作家」になって、マガジンを「執筆」していた。
 内容は覚えていないけれど、この短いファンレターに、僕はなんらかの返信をしたのだ、と思う。それを契機に、すべてが未知の読者との、細々とした文通がはじまった。

 文中で呼びかけることを考え、僕は質問をしてみた。

 「貴方をなんとお呼びすればいいですか」

しばらくして

 「みさきといいます」

という返事が来た。

 苗字、名前、地名、老若、男女。どのようにも解釈できる、いい名だと思った。そして僕には、その人がどういう人なのか、ということに、あまり関心がなかった。そこに表示されている文字。それがすべてという、明快で、心地いい距離感。
 互いに素性を明かしすぎず、嫌われたって日常には変化がない。極論すれば、相手が実在しているかすらも疑わしいという、初めての関係。現実の人間関係では語ることなく抱いてきた価値観や願望を、隠すことなく送信した。それはあくまで「何かを問われたときの返答」という形をとっていたけれど。

 ある日の夜、自宅で文通をしているうちに、将来への不安という話題を経て、恋愛についての相談を持ちかけられた。いま恋人はいるけれど、会える時間が少ない。あまり自分の思いをいわない相手なので、考えていることがよくわからない、と。会ったことがない人の考えることは、僕にだってわからない。そもそもこの相談をしているあなたにだって、僕は会ったことがないんだけれど。

 ほどなく、その人から「会って話しませんか」というメールが来た。「メールがまどろっこしくなってきちゃって」という本音と「無理に、とはいわないけれど」という心づかいが添えられて。
 新しい出会いの形なのかな、と思いつつ、僕はいくつかの日時と場所の候補を提案した。「では、その日、その時間、その場所で」となったのが、夕方の渋谷駅、東口。

 待ち合わせの手がかりは、その人から送られてきた服装や髪型など外見的な特徴だけ。なぜか電話番号の交換もしていなかった。
 無事、時間どおりに合流すると、ぎこちない挨拶を交わし、ガード下にある居酒屋に向かい、のれんをくぐった。使いこまれたテーブルから背もたれのない椅子をひっぱり出し、店のオススメという炒めものとウーロンハイを注文。「はじめてまして」なのか「ひさしぶり」なのか。よくわからない思いを感じながら、グラスを目の前に掲げる。

 アルコールの入った僕たちは、冗舌になった。相手の言葉を遮ることなく、けれど会話と笑い声のラリーは、途切れることなく続いていた。

 お互いに自分を人見知りだと思っている、ということ。
 年の差はわずかで、町は違うが、同郷出身であること。
 恋人とは、やはりよくわからない状態であること。
 聞かれて答えた嗜好や恋愛観に、偽りはないこと。

 いつ訪れても満席の、喧騒こそが日常な居酒屋の片隅で、僕たちはお互いが持つ情報の隙間を埋めていった。「会う前に相手のことがわかっているというのは、こんなに気楽なのか」と思った。人との距離は、ときに一瞬で縮まってしまう。未知の文通相手は、一晩で数年来の友に化けてしまった。

 最初に本名を明かし、あだ名で呼びあうことにしていたけれど、ふと僕は、その人に「ペンネーム」の由来を聞いてみた。

 「あれは……恋人が住んでるところの名前」

 「そうなんだ」

 微笑ましいな、と思った。思いはまだまだあるんだな、と。
 意趣返しのように、その人に聞かれた。

 「マガジンでは、なんであの名前なの」

 「あの読み方をする漢字って、たくさんあるでしょ? 発音は同じだけど、気分で漢字を使い分けられるな、と思って。人にはいろんな顔がある、みたいに」

 僕はこのとき、隠しごとをした。
 表向きの由来は話した通り。そこに嘘はない。けれど、この名前の最初の由来は、学生時代、かなわなかった恋の相手の苗字。その一部を取り出して、組み合わせた音なんだ、ということを。

 なんてことはない。

 僕たちは、似た者同士だったんだ。

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