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戦争が、科学技術を進化させた『戦争の物理学』試し読み

 戦争の陰にはつねに、新しい物理学がありました。本書『戦争の物理学』は兵器がどのように生み出されてきたか、またそうした兵器がどのように使われてきたかを歴史と物理学という二つの視点から紐解いた本になります。
 登場する兵器は、物理学と聞いて想像するような原子爆弾だけではありません。古代の戦争から使われてきた弓矢やクロスボウ、投石器といったものを、速度・加速度・エネルギー・運動量といった科学的なことから解説していくことで、有名な戦いや戦争を技術の発展史という観点からとらえなおします。
 多彩なエピソードとともに、物理学の学び直しもできること請け合いの一冊になります。
 本書から一部抜粋して試し読みをお届けします。

戦争の物理学 弓矢から水爆まで兵器はいかに生みだされたか
バリー・パーカー 著   藤原多伽夫 訳


ロングボウの起源と物理学

(4章「ローマ帝国の勃興と、英仏の初期の戦い」より)


 ロングボウは複数の国で個別に開発された。イギリスで初めて開発したのはウェールズ人だった。彼らはロングボウの構造を大幅に進化させたが、それは科学的に理解したうえでの改良ではなく、主に試行錯誤によって成し遂げられたものだ。
 イングランド人は、ウェールズ人が作ったロングボウの効果に早くから気づいていた。当初は待ち伏せや小さな戦闘で使われていたが、そのうち大規模な戦闘にも投入されるようになる。たとえば、1402年にはウェールズ軍がイングランド軍に対してロングボウを使い、大きな成果をあげている。イングランドにとって、この武器は相当大きな悩みの種になった一方で、好奇心の的にもなった。しばらくすると、イングランドはウェールズの射手を自軍に編入させ、その技術を学んだ。

 イングランドの最初のロングボウは一本の木材だけで作られ、弾力性と強度にとりわけ優れているイチイがたいてい使われた。ただ、イチイの木はイングランドでは比較的珍しく、手に入りにくいのが大きな問題だった。このため、ニレやトネリコが使われることもあった。
 慎重に選び抜かれた木材は、比較的長い製造工程を経て仕上げられていく。弓に使う木材にはオイルやワックスを塗って防水加工を施し、耐久性を高めた。ある程度薄くしなければならなかったうえ、射手の体型に合わせて長さを調整する必要もあった。長いものでおよそ190センチ、短いもので150センチ強といったところだ。弓の長さはその威力に直結していて、長ければ長いほど威力は増す。通常、太さは最も太い箇所で5センチほどだった。弓の弦を目一杯引くのに必要な力は36キロから54キロ、引く長さは74センチから81センチで、弦を目の位置まで引いたときが最も効果的であることがそのうち判明した。
 矢に使われた木材の種類は、ヤマナラシ、ポプラ、ニワトコ、ヤナギ、カバノキなど多岐にわたる。矢の長さは平均でおよそ90センチ。矢に羽根を付けると安定性が増すことは以前から知られていて、軸に糊付けされた羽根の長さは18~23センチが多かった。弦には主に麻が使われたが、時代を経るにつれて亜麻や絹が使われるようになった。

 ロングボウで大きな問題の一つは、技術を習得するために相当な訓練が必要なことだった。怪力の持ち主でないと弦を引き絞れないため、特に戦闘でロングボウの威力を発揮するには、かなりの訓練を受ける必要があった。このため、イングランドの少年はたいてい七歳になる頃には訓練を始めていた。訓練は多岐にわたり、村という村でロングボウの競技会が開催されて、最高の射手が兵士として選抜された。軍の射手はエリート集団の一員とみなされ、射手として従軍するのは大いなる栄誉だと考えられた。
 平均的な訓練を受けたイングランドの射手は、一分間に少なくとも12本の矢を放つことができ、およそ180メートル先の標的に命中させることができた。一分間に10本しか放てないと、下手な射手とみなされた。

 弓矢の物理学については前章で簡単に説明済みで、その大半はロングボウにも適用できるが、ここではもう少し詳しく見ていこう。物理学が関係してくるのは、弓の動きと矢の飛行である。前に説明したように、射手が弦を引くと、その仕事は位置エネルギーとして保存され、弦が解放されると、位置エネルギーが矢の運動エネルギーに変換される。厳密にいうと、位置エネルギーの一部は矢を放ったあとの弓の動き(わずかな振動)に投入されるが、エネルギー全体に占めるその割合は通常小さい。ここで重要なのは、弦を引く距離が長いほど位置エネルギーが大きくなるということだ。ロングボウは弓が長く、そのぶん弦を引く距離も長くなる。ほかの弓に比べて、ロングボウが大きな運動エネルギーを矢に与えることができるのは、このためだ。
 矢の飛距離は、以下の要因に左右される。
 
・初速度
・矢の重さ
・矢を放つ角度
・空気抵抗
・風の影響
 
 矢の初速度(v)は、弦を引き絞ったときに弓に蓄えられた位置エネルギー(F × d Fは力の大きさ、dは弦を引いた距離)と、矢の運動エネルギー(1 ⁄ 2mv² mは矢の質量)を等式で表すことによって求めることができる。放つ角度は、矢の飛行経路(軌道)や飛距離に大きく関係する。空気抵抗と風の影響を考慮に入れなければ、45度の角度で矢を放った場合に飛距離が最も大きくなるが、のちほど述べるように、空気抵抗と風の影響も重要であり、飛距離を制限する要因になる。

 矢の軌道は放物線を描く。車のヘッドライトの反射面に見られる曲線だが、空気抵抗があるために、ややゆがんだ放物線になる。空気抵抗で生じる力によって、矢は減速するが、これは矢の運動量の一部が空気に移ったために起きる現象だ。矢が受ける空気抵抗(抗力)には、摩擦抗力と形状抗力(圧力抵抗)の二種類がある。摩擦抗力は、矢が飛行中にその周りの空気を引きずるために生じる抗力だ。飛行中の矢を詳細に観察することができたなら、矢の周りに形成されたいくつかの層のうち、最も矢に近い層が最も強く引っ張られ、矢から離れるほど引っ張られる度合いが小さくなっているのがわかるだろう。摩擦抗力は、矢のそばを通り過ぎる空気の速度に比例している。

 この摩擦抗力によって矢の背後に渦ができるために生じるのが、形状抗力である。渦状の流れは矢の背後に生じた乱流であり、モーターボートが水上を高速で移動する際に後方にできる流れと同じようなものだ。矢の速度が速ければ速いほど、乱流もそれによる形状抗力も大きくなり、数学的には速度の二乗(v²)に比例する。形状抗力は矢の進行方向に対して直角に加わり、矢が横から押される格好になるため、飛行中に一定周期で振動する原因になっている。
 また、矢が放たれたときには、横方向の運動エネルギーも生じる。右利きの射手なら、矢を放ったときに弦がわずかに左方向へ動き、それによって矢が右方向へ曲がることになる。その後、今度は弦が右方向へ戻り、矢は左方向へ曲がる。こうした現象は、まだ矢が弦に接しているあいだの短時間に起きるが、矢が弓を離れたあと、この左右に動くわずかな振動が飛行中も続く。射手が左利きなら、振動も逆になる。
 振動の大きさは矢の柔軟性に左右される。矢の柔軟性が高いと、振動が極端に大きくなり、矢のスピードが落ちて標的に貫通する力も弱くなる。一方、柔軟性が低いと、矢は振動しなくなるが、命中精度が下がってしまう。このため矢を製作する際には、柔軟性が高くも低くもない、ちょうど良い堅さを探らなければならない。

 ロングボウが登場した初期の頃、その有効射程はおおむね180メートルほどだった。この距離なら、たいていの騎士がまとっていた鎖帷子を難なく貫通できた。やがて鎖帷子は鋼鉄の板を使った頑丈な鎧に取って代わられるが、ロングボウの矢は標的が90メートル以内にあれば、鋼鉄の板を貫くことも可能だった。ロングボウの最長射程は370メートルほどだ。戦闘では、最初に射手が何千本もの矢を空高く放ち、攻撃してくる騎士の頭上から矢を雨あられと降らせるのが、通例だった。その後、騎士が近づいてきたら、個々の騎士を標的にして矢を放った。

目次

序文
1 はじめに
本書の概要

2 古代の戦争と物理学の始まり
カデシュの戦い/古代の戦闘馬車/銅、ブロンズ、鉄/アッシリア人/ギリシャ人と物理学の始まり/投石機/アレクサンドロス大王/アルキメデス

3 古代の兵器の物理学
速度と加速度/力と慣性/運動量と力積/重力の影響/エネルギーと仕事率/角運動量とトルク/機械/弓矢の物理学/投石機の物理学

4  ローマ帝国の勃興と、英仏の初期の戦い
ローマ軍とその武器/英仏の初期の戦い/ロングボウの起源と物理学

5 火薬と大砲——戦争の技法と世界を変えた発見
ロジャー・ベーコン/初期の大砲/百年戦争/ウルバン砲とコンスタンティノープル包囲/イングランドとスコットランドの戦いで使われた大砲/フランス軍/シャルル八世とナポリでの勝利

6 時代を先取りした三人——レオナルド・ダ・ヴィンチ、タルタリア、ガリレオ
レオナルドと物理学/軍事にかかわるレオナルドの発明/戦争に対するレオナルドの姿勢/タルタリア/ガリレオ/弾道学の問題

7 初期の銃から、三十年戦争、ニュートンの発見まで
戦争と銃/海での戦い/ヘンリー八世/ウィリアム・ギルバート/経度の問題/三十年戦争/スウェーデンの介入/発見の新時代をもたらしたニュートン

8 産業革命の影響
フランス革命/イギリスの産業革命/ジェームズ・ワットと蒸気機関/ウィルキンソンの鉄工技術/銃の命中精度を高めたロビンズ/フリントロック/クリスティアン・ホイヘンス/軍事技術とのかかわり

9 ナポレオンの兵器と電磁気の発見
フランス革命/大法の製造法を変えたグリボーヴァル/ナポレオンの兵器/摩擦熱を研究したランフォード伯/電気と磁気の関係/電気が戦争に及ぼした影響

10 アメリカの南北戦争
雷管の開発/ミニエー弾/ライフル銃と大砲における革命/南北戦争/電信の役割/発電機(ダイナモ)/ガトリング砲/海上での戦い/スクリュープロペラの物理学/「知るか、機雷なんか」/潜水艦/気球

11 銃弾と砲弾の弾道学
砲内弾道学/反動/過渡弾道学とソニックブーム/砲外弾道学/銃弾の安定性/終末弾道学

12 航空力学と最初の飛行機
飛行機の発明につながる発見/ライト兄弟/飛行機が飛ぶ仕組み/揚力の物理学/抗力とは/飛行機の操縦/飛行機が戦争に使われた最初の事例

13 機関銃の戦争——第一次世界大戦
機関銃の開発/その他の兵器/第一次世界大戦の開戦/初期の戦闘機/海戦と海中の脅威/毒ガス/初期の戦車/アメリカの参戦

14 無線とレーダーの開発
電磁波の生成と検出/電磁スペクトル/電波/X線/光と赤外線/レーダー/レーダーの性能を高める装置

15 ソナーと潜水艦
アルキメデスの原理/潜水艦の物理学/スクリュープロペラの動力/船体の形状と潜望鏡/航法/ソナー/水雷/魚雷の仕組み/第二次世界大戦での潜水艦

16 第二次世界大戦
大戦はいかにして始まったか/戦争に備える/フランスでの戦闘とダンケルクの戦い/レーダーの強み/ブリテンの戦い/アメリカの参戦/飛行機の進歩/戦争で使われた初期のロケット/その他の兵器と小火器/コンピューターと諜報活動

17 原子爆弾
そもそもの始まり/アインシュタインの役割/イタリア人の大発見/ハーン、マイトナー、シュラスマン/一九三八年のクリスマス/連鎖反応/大統領への書簡/開戦/イギリス側の動き/ハイゼンベルクとボーア/マンハッタン計画/最初の原子炉/マンハッタン計画は続く/トリニティ実験/ドイツ側の原爆開発/日本への原爆投下を決断

18 水素爆弾、大陸間弾道ミサイル、レーザー、そして兵器の未来
水素爆弾の開発/ウラムとテラーの大発見/最初の実験「アイヴィー・マイク」/水爆の物理学/長距離ミサイル/レーザー/半導体とコンピューター/人工衛星とドローン/未来の兵器

訳者あとがき

主な参考文献

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著訳者プロフィール


バリー・パーカー
アイダホ州立大学物理学名誉教授。物理学に関する定評ある書籍を多数執筆。邦訳書に『アインシュタインの遺産』『アインシュタインの予言』『アインシュタインの情熱』(共立出版)などがある。

藤原多伽夫
翻訳家、編集者。静岡大学理学部卒業。自然科学、探検、環境、考古学など幅広い分野の翻訳と編集に携わる。訳書に『ヒマラヤ探検史』(東洋書林)、『戦争と科学者』『「日常の偶然」の確率』(原書房)などがある。

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