裸玉報告数_2-1

【天王山裸玉への道】19.9.26. ('、3[___]

詰将棋の世界において、5筋裸玉は希少性ゆえの価値と魅力があります。その第一報は2004年4月のことで、5一地点における、いわゆる玉座裸玉でした。それから13年後の2017年9月には、5九の逆玉座裸玉が第二報として報告されました。コンピュータによるソフト解析を行える時代になったとはいえ、この13年という報告の時間の隔たりを考えると、5筋裸玉は存在すること自体が奇跡に思えてきます。とりわけ、5一と5九の地点はノーマルの将棋における初期配置で玉を置く特別な場所でもあるため、この2作品は素晴らしい功績として輝き続けるでしょう。

一般的な詰将棋では、主に変化同手数駒余りなし(以下、変同と呼びます)と単一駒非限定は作品の評価・価値を下げるキズであるため、作者は持駒と盤上配置を変化させることでキズを消すことが求められます。しかし、裸玉に関しては盤上配置によるキズの解消が不可能であるため、特別に許容されているようです(もちろんキズは無い方が良い)。変同と単一駒非限定、そして最終手余詰を許容基準とした、いわゆる完全作裸玉はとても少なく、それぞれの地点における報告数をカウントしたものを下図に再掲します。盤面右半分にしか数字が書かれていないのは、将棋の駒の利きはすべて左右対称であり、玉の配置を左右反転しても手順が反転するだけだからです。

裸玉報告数+

5筋の裸玉は前述した2作のみです。ここで注目すべきは天王山(5五)周辺のゼロの集合で、報告例は私の知る限りありません。その理由は、盤面の数字を見ると分かる通り、中央に近づくほど正解手順を単一にするという条件をクリアするのが困難だからです。この理屈は5段目の裸玉においても同じく言えることです。これまでの流れを汲むと、究極の目標は天王山裸玉の発見となるでしょう。

裸玉探索の基本は既知の裸玉から駒の打ち捨てを追加して遡(さかのぼ)っていく2手逆算法です。2手逆算法の論理は「似たような場所なら、同じ持駒+何か1枚で詰むはず」という考え方で、探索の負担を軽減してくれます。遡りきった図から、初手駒打ち・2手目同玉とした図も一応裸玉となりますが、親作に対する子作扱い(=途中図として含んでいるという認識)になるので、この場合は完全作としてカウントしません。実のところ、盤上で”0”と表示されている地点でも部分的には子作として存在する図もあります。例えば、1九玉の配置から初手▲2八銀・2手目▽同玉とする2八玉裸玉はあるものの、2八玉配置を親作とする図が無いので”0”表示となっているわけです。

肝心の天王山周辺には親作も子作も全く報告例が無いため、2手逆算法による発見は間違いなく茨の道となります。そもそも存在するかどうかすら分かりません……が、あると信じて探索する他はないでしょう。例えば3三や3七など、”0”表示となる境界付近で足場となる裸玉を見つけ、そこから銀捨てや角打ちを入れて5五へと辿っていくのが地道ながら近道でしょう。現在はいくつかある候補の検討をしているので進展があれば、またNOTEに書きたいと思います。

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