風案02-04-04

無責任な「かわいそう」って結構ヒドいんよ

日本はよく天災に見舞われる国です。毎年のようにやってくる台風やそれによる洪水、ゲリラ豪雨、地震に津波、火山の噴火、竜巻などがありますし、またそれに付随する停電や土砂崩れ、橋梁崩壊によるライフラインの切断と言った二次的なものもたくさんあります。

天災の中でも記憶に新しいのは2011年3月11日の東日本大震災でしょうか。筆者はその経験者で、当時住んでいたマンションが倒壊するかというレベルで揺れて(確か震度6強)「あー阪神・淡路の時より揺れてんなーこれ、リアルに死ぬかもしれん」と他人事のように部屋で一人つぶやいていたのを思い出します。揺れがおさまったことを確認してテレビをつけてみれば、東北地方を中心として津波が海岸沿いに押し寄せ、街が飲みこまれていく映像が映し出されていました。

奇跡的に、阪神・淡路大震災でも東日本大震災でも軽い被害で済んだ自分はそこでふと思いました。「家や家族、親戚、友人を失うなどして自分より不幸な目に合った人なんていくらでもいる。だから、天災でも人災でも人が不幸に見舞われるニュースをテレビで報道していて『かわいそう』などと軽く言うのは間違っている」と。

被害を免れた他の地域に住んでいる人からすれば「こっちに(地震が)来なくて、あぁ良かった」と思う程度でしょう。思っている分にはまだいいんですが、当時の復興大臣のコメントのように「東北の方で良かった。首都圏に近かったりすると莫大な被害があった」というのが「かわいそう」を言い換えて公に言ったようなもので、被害に見舞われた地域側からすれば反感を買うのに充分だっただろうと考えられます。

いわば自分はプラスマイナスゼロで誰かがマイナスになった状態のことを、相対的に自分の方がまだマシだぞ、と言ってるようなものです。プラスマイナスゼロにいる側とすれば自分が安全地帯にいる安心感や、自分よりもまだ下がいるという優越感があるのでしょう。

自分に置き換えて考えてみれば分かりやすいかもしれません。例えば、自分の親・兄弟姉妹・親戚・親友等を不慮の事故で亡くしたりして全国的に報道され、知らない誰かが訳知り顔で「かわいそう」と言っていることを知ったら、「お前に何が分かんのじゃ」と反発するでしょう。何も事情を知らない他人が自分と比較して、その余裕から「かわいそう」などと勝手に憐れに思うのは少なからず不愉快な心理だと考えられます。

結局のところ、同じ立場に立たなければ本当の気持ちなんて分かるはずがないのです。それを知らずに言う無責任な「かわいそう」はいたずらに対象者の反発を招くだけなので、沈黙する以外にないでしょう。そもそも、こんなことをいちいち考えさせる天災は来んなボケ!というのが筆者の本音です。

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