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透明なひと、なんていない

いつも読んでくださり、ありがとうございます。
今回はすこしだけ真面目で、センシティブな内容です。

小説などの物語と「病気や障害のある方」の描き方のはなし。
しんどければ無理せず、ページを閉じてくださいね。

透明になってしまったひとたち

物書きをはじめてしばらくたった頃から、
どうしても気になることが出てきました。

「なんで障害のある人を出すのはタブーなんだろう」

特に商業の世界では、
病気や障害をテーマに扱うのはとてもリスキーなものです。

たとえばよく知らない人が案を出した結果、
当事者の気持ちを無視した企画が生まれることもあります。
NHK・Eテレの「バリバラ」が「24時間テレビ」にかぶせる形で
反論したのが話題になりましたが、
「なんで感動を生まなきゃならないんだ」
「なんで頑張るのが前提なの」
って、そりゃ人として当然の気持ちですよね。

(もちろん24時間テレビにも重要な役割はあり、
 バリバラ出演者もすべてを否定しているわけではないようです。
 下のリンクは比較的中立の立場で書かれてるので、よければどうぞ)

物書きでもそう。たくさんの人が好き勝手に書くと、
どこかでそういう企画が生まれてしまう。
会社もライター全員を信用できないし、
書き上がったものをチェックするにも限度がある。
だったら最初から一律でセンシティブなものを封じてしまおうと、
そういう理屈で登場できなくなってしまう現実があります。

別の例で、事例をよく調べた上で書いても、
現実に生きる特定のひとに似すぎて裁判になったケースもあります。

小説の人物は実在する人間をミックスした上で生まれることも多く、
モデルがいること自体は否定しません。
ただ、あまりに似すぎて描かれたくないことを書いてしまうのも
その方の名誉やこころを傷つけてしまいます。
(少なくとも、そのまま出すのはご法度だと思います)

こうした事情で書き手はリスクを恐れて敬遠し、複雑な事情をもった人は
小説からどんどん消えているのではないか、と思います。

本当は皆、そこにいる

ここから先を書く前に、僕の立場を明らかにしておきます。

僕のまわりには事情を抱えた人たちがいっぱいいます。
少し前まで福祉の分野で働いていましたし、
親族にも、大学時代の後輩にも、手帳を見せられるまでもなく
「これは確かに大変だな」と思う方が何名かいました。

そして僕自身も、100%健康かといえばそうではありません。
いくらか丈夫になった今でも何かしらの通院は欠かせませんし、
手帳のおりるほどではないごく軽度の、
でも僕にとっては十分コンプレックスな体の特徴もそなえています。

小学校のころも、周りには「いろんな人たち」がいました。
癇癪(かんしゃく)をおこす子。顔のかたちが人とちがう子。
常識がなくて場の空気が読めず、授業中に机の上に立ったりする子。
困ったこともあったけれど、皆たがいを認めあっていましたし、
ごくふつうに存在していました。

街で電車にのれば、今でも確実に出会います。
見える障害、見えない障害。
どんな事情をもつ人も社会に生きている。
それなのに、小説の世界では人が均質に描かれてしまう。
ずっと、違和感をいだいています。

あるがままに描きたい

僕の夢のひとつは、病気や障害のある人を
当たり前の登場人物としてお話に登場させることです。

「かわいそうな人」としてではなく、
かといって「何の不自由もない人」でもなく。
重たいテーマなんていらないから、
ほかの人と一緒に普通に生きている姿を描きたい。

物語の都合でいなかったことになんて、したくないのです。

ファンタジーの世界ではむずかしいでしょう。
医療や福祉の足りない中世では、どうしてもハンデは大きくなります。
でもせめて現代が舞台の小説ぐらい、
くだらないことで一緒に笑ってる姿が書きたい。
そう思うのです。

最近、福祉の展示会に行ったり、
新しい世界を見たりしているのも夢に向けた勉強の一環です。
知らずに書くことはできないから取材のつもりで、
社会で生きている皆さんがどんな気持ちでいるのかを
体当たりで学びたいと思っています。

すぐには実を結ばないかもしれません。
いろんな方に協力を仰ぐ必要も出てくるでしょう。
でも、もしこんなこと考えてる人だとわかって、
この人と話してみたいな、
あるいは応援したいと思ってくださったなら。
よろしければ、今後も仲良くしてくださると嬉しいです。

捕捉:文中の「障害」の表記について

障害者と書く時の「障害」の漢字の解釈について、
私個人の考えを述べておきます。

本人が「害」なのではなく、
本人が社会生活や何かをする上で「障害=ハードル」をもっている、
という理解であえて使っています。

もちろん当事者の方が「害」の字を嫌って
「障がい」「障碍」と書く分には尊重すべきですが、
「障害」の二文字を置き換えることで
配慮した気になるのは自己欺瞞ではないか
、と考えているので、
あえて文中表記はそのままにしました。

不愉快に思われた方には申し訳ないのですが、
意図だけはどうかご理解ください。

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