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水底の傷/ブルーイマジンを観て

※ 性暴力被害とそれに立ち向かう「#MeToo」運動の映画の感想です。
  具体的な言及は避けますが、心境的に読むのがしんどい方は
  無理せずブラウザバックなどでお戻りください。

水の中に、ひらいたまま血を流す傷口が見えている。

そこに見えているのに、誰もふれない。沈んでしまったものだからと、腫れ物のように避けて通り、傷の手当てをする者は誰もいない。

もどかしく、耐え難い現実に連帯の力で立ち向かう。
映画館で観た「ブルーイマジン」はそんなリアルと地続きの物語だった。

間接的に描かれる静かな絶望

本作を通して徹底されるのは、具体的なシーンを描かず、かわりに被害を受けた人の「その後」を描く姿勢だ。
背景には、実際に被害にあわれた方などへの配慮がある。監督はじめ制作陣が、観た人に苦痛や責められた印象を与えないよう、複数の視点から配慮してシーンを決定したことが、細やかな作中描写からもうかがえた。

事前インタビューからそうした作り込みは知ってはいたが、実際に観てみると、暴力などの直接的な描写は排除された一方、なごやかに映る談笑の場面にも非対称な世界が描かれていた。

「女性は笑顔で気遣いができて一人前」
「権威ある男性が下品なネタを言った時には笑わなくてはならない」
「無自覚に失礼な男性を笑って流すのが大人の作法」

生きづらくて当然だ。唾棄すべき論理だと思うと同時、現実に見た光景とも重なってしまうのが悔しかった。

誰にでも起こりえる被害と加害

この映画は、映画俳優のワークショップというある種特異なケースを扱っているが、彼女たちの身に起こったことは現実の人々と無縁でない。

職場、学校、家庭内。閉鎖的な環境で、事態が異常だと認識されずにまかり通ってしまう事は、誰にでも起こりえる。

作中で、主役の女性はハラスメント対策のポスターを眺める男性と出会う。男性である彼ははじめ警戒の対象になるが、話を聞けば彼も職場の上司にハラスメント被害にあっていた。

また、作中のシェアハウスにはフィリピン出身の女性も住んでいる。普段明るくムードメーカーな彼女だが、過去に元夫からDVを受けており、出来事を思い起こす場面では人前で見せない心の傷を苦しげに吐露していた。
愛する自国の料理の否定、強いられる日本文化への帰属。アイデンティティを奪われた彼女の傷は、簡単には癒えない。

個々の事例ならば特別に見えても、複数事例が集まれば、誰もに共通する普遍のテーマがあぶり出される。
身近な場所で起こることでもあり、相手目線を養っていかなければ、無自覚なまま加害者側にまわることすらありえると感じた。

男女の非対称性、打ち破る希望

「#MeToo」運動の文脈上にある本作では、男女の非対称性が象徴的に描かれる。

たとえば先刻のハラスメント被害を自覚した男性は、声をあげていいと学んだ後、自力で上司に「嫌でした」とNOを伝えることに成功する。上司との関係は修復できたようで、その後も職場を変えた様子はない。

一方の主人公は、週刊誌で告発したことで心ないバッシングを受ける。SNSでの誹謗中傷。はじめこそ笑って受け流していたが、変わらない現実と絶えずくる個人攻撃に「生まれなければよかったのかな」と口にしてしまう。

被害者の主人公が追い詰められるシーンの後、無言で橋の上から電車を眺める場面が挟まる。歩道橋で彼女が何を思っていたか、監督は個人の解釈に委ねたというが、ここで物語が終わるのではと最悪の想像をさせるほどに場面は重くのしかかる。

ただ、幸いにも救いの手立ては描かれる。個人の力ではどうにもならないことへ、主人公たちは手を取り合い立ち向かうことを学ぶ。
仲間の中には、先ほどのハラスメント被害を受けた男性もいた。表立って糾弾することはなかったが、告発現場となった記者会見から逃走しようとした映画プロデューサーを取り押さえることで事態の進展に貢献する。

現実の問題を男女の二項対立にせず、個人個人の立場での戦いを描く。
上映終了後の監督のサイン会では「立ち向かう男性」も描いてくれたことへ、男性観客から感謝の念が述べられていた。

映画で終わらせないために

リアルと地続きの社会問題を、観る側にも配慮しつつ描いた本作。
見終えたあとの心に希望も残ったことから、問題提起とエンタメのバランスには相当苦心したことがうかがえた。

一方で、課題も感じた。映画のつくりの話ではなく、問題提起をどう広めるかの点においてだ。

私が見た回で、観客のほとんどは男性だった。舞台挨拶での監督曰く、他の地方の上映でも男性が多かったらしい。関心を持たれるのは喜ばしいことである反面、監督は「女性にも見てほしい」との思いを口にしていた。

女性をとりまく問題なのに、女性観客が少ない。
この理由を考えていて、いくつか思い当たることがあった。

ひとつは、こうした問題に関わるのが単純に「しんどい」という点。

自分に辛い経験があればトラウマが蘇ることもあるだろうし、「声を上げないこと」への責め感も起こりえる。告発には多大な苦痛と精神的労力がいるため、声を上げない選択も責められるべきではないのだが(治癒には莫大な時間がかかるはずだ)、告発をテーマにした運動は声を上げない当事者に辛くあたるような印象がある。

映画はその点にも十分に配慮され、個々の意思も尊重されているが、それでも扱うテーマのむずかしさを感じた。

もうひとつは、心理的安全性の問題。

映画館という公共の場は、必然的に男女が入り混じる。本来関心がある層が見に来たいと思ったとしても、そこに(私含め)男性がいることが、何らかのハードルになっている可能性もある。

もちろん、男性が見に行ってダメなはずはない。社会全体に問題意識をもつ人が増えれば、暴力やハラスメントを減らすことにもつながる。

しんどさの問題にはあまり解決策が浮かばないが、安心して見れるかの問題については、特定の需要に対応するような上映もあってもいいのかもしれない、と感じた。

本当に需要があるか、実現できるかはわからないが、チケット制のオンライン上映などがもしできるのなら、見たい人は少なからずいるんじゃないだろうか。

もちろんこれは、映画界の事情を知らない外野の無責任な意見だ。
現実にやってみて失敗することもありえるので、真に受ける必要はない。

ただ、実際に映画を観たひとりの人間としては、最後の食卓を囲むシーンが感慨深く、「ぜひ多くの人に見てほしい」と感じている。

映画を観たいと思った方へ

ブルーイマジンのフィルムは現在、全国を順にまわっている最中だ。
インディー映画でもある都合、そう何度も観れるとは限らないため、興味があればぜひこの機会に観てほしい。

上映スケジュールは下記サイトにもあるが、記事公開(2024年4月10日)時点で劇場が公表しているスケジュールを以下に転記する。お近くの劇場がないか、探してみてほしい。

※ 上映スケジュールは予告なく変更される場合があります。
  くわしくは劇場や映画館のWebサイトにてご確認ください。

アップリンク京都(京都府)

2024年4月5日(金)~2024年4月18日(木)

シネ・ヌーヴォ(大阪府)

2024年4月6日(土)~2024年4月26日(金)
(公式サイト掲載分より一週間上映期間が延びています)

元町映画館(兵庫県)

2024年4月6日(土)~2024年4月19日(金)

シネマ5(大分県)

2024年4月13日(土)~2024年4月19日(金)

横浜シネマ・ジャック&ベティ(神奈川県)

2024年5月11日(土)~上映終了日未定

シネマイーラ(静岡県)

2024年5月17日(金)~2024年5月23日(木)

キネカ大森(東京都)

2024年5月17日(金)~上映終了日未定

シネマスコーレ(愛知県)

上映期間未定(スケジュール未掲載)


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