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天文学史5『先史ヨーロッパ/古代ギリシア/古代ローマの天文学』

中1の時のやつの続き


  また、古代には西アジアなどに比べて文化レベルが低かった古代ヨーロッパだが、農業や土器、布の生産が始まった新石器時代や金属の使用が始まった青銅器時代には既に、高いレベルの天文学の知識を持っていた事が判明している。

例を列挙するとイギリス北部スコットランド地方で発見された紀元前8千年頃の世界最古の高度な暦であるウォーレンウィールドの暦、前4900年から4700年頃に作られたドイツ東部ザクセン地方の冬至と夏至に合わせて配置された円形の囲いであるゴセック・サークル、そしてその付近に前1600年頃に埋められたプレアデス星団や月の動きを示す青銅と金で出来た天文盤、ネブラ・ディスク、前1900年頃に建設され前700年頃まで住民により用いられた北マケドニアの月と太陽を観測する天文台だったコキノ遺跡、太陽と月の模様が刻まれ太陰太陽暦を表したポワティエ近郊、シュパイアー近郊、ニュルンベルク近郊、ベルリンなど各地で発見される黄金の帽子などがある。

  古代ギリシア人は天文学を数学の一分野として扱っており、前4世紀頃に円錐の体積の公式などで有名なクニドスのエウドクソスや、その弟子であるカリポスなどによって、惑星の運動を説明するための幾何学的な三次元、つまり立体的なモデルが形成された。

彼らが作成した宇宙のモデルでは地球を中心に様々な星が回っている天動説のようなともので、同時代のプラトンやアリストテレスなど現代哲学の基礎となるギリシア哲学者達は、天体現象に対し様々な説を唱え、基本的には数学的にモデルを開発するというよりかは、天体現象の理由を上手く説明するという事を試みた。

例えばプラトンは自身の著書で唯一、自然について論じた「ティマイオス」にて、宇宙は惑星を載せた円達によって区切られた球体であり、アニマ・ムンディ、つまり宇宙全体が一つの魂になっている宇宙霊魂という宇宙そのものに支配されているという説を唱え、アリストテレスはエウドクソスの天動説のモデルを採用し、地球の周りを複雑な形で他の惑星が回るとし、これは近世まで広く信じられる事となる。

その後の紀元前2世紀頃、サモスのアリスタルコスという人物は太陽が馬鹿でかい事に気づき、宇宙の中心は地球ではなく太陽であるとする地動説を提唱、しかし当時はアリストテレスらの影響力が絶大でそれほど受け入れらなかった。

アリスタルコスと同時代にはアレクサンドロス大王の友人が大王死後に立てたプトレマイオス朝エジプトの首都アレクサンドリアにあった、研究機関の館長で、素数を見つけるエラトステネスの篩でアリストテレスに次ぐ二番目としてベータと称された、有名な学者エラトステネスが、当時使われていた地図にロドス島を中心に緯度と経度を導入、空の星を描いた世界初の天球儀を作成、夏至の正午の太陽高度を参考に地球の大きさを詳細に計測した。

 また、同じ頃には楕円・放物線・双曲線の概念を確立したペルガのアポロニオスにより、惑星の離心円、つまり段々離れていく軌道や、地球の周りを回る天体が描く円の軌道の円周上を中心で、その天体が回る、つまり小さく円を描くように回転しながら公転するという、従円と周転円を唱えた。

その少し後にはヒッパルコスという人物が現れ、48の星座を決定、恒星を明るさ別に六つ等級に分け、惑星が首を振るように揺れる歳差によって生じる春分点の移動を発見し、地図の測量に天体の位置を用い始め、天体観測用の機械アストロラーベやアンティキティラ島の機械を発明したと見られ、彼によりギリシア天文学は大きく進歩した。

ちなみにアンティキティラ島の機械は太陽、月、惑星達の動きを計算するために前2世紀頃に作られたと思われる複雑な歯車を使用した装置で、古くから貿易の要所だったキティラ島とクレタ島の間のアンティキティラ島にあった沈没船の中から発見され、その作りが近代の機械仕掛けにも匹敵するレベルだった事から最も世界的に有名な遺物の一つなった。

 そこから暫く経った2世紀頃にはローマ領になったエジプトでクラウディオス・プトレマイオスという学者が、「アルマゲスト」という著書では地球の周りを他の星が回る天動説を元に様々な天文現象を秩序立てて説明し、「簡便表」でアルマゲストの説明を実際の計算に使えるように纏め上げ、「惑星仮説」という著書では具体的な数値を上げながら天体の動きをほぼ説明、間違った天動説に途轍もない信憑性を与えた。「ゲオグラフィア」という著書では地球が球体であるという考えに基づき、測量の理論や球体である地球を平面の地図にどう表すかなどや、周長や各地の緯度経度が記録され、この緯度経度の記録では東西を表す経度の方が結構、間違えて長くなっており、後に中国など東洋の国々の情報が追加された際も、大きくずれ、アメリカ周辺に配置され、後の時代、プトレマイオスを読んだ中世の人々はヨーロッパやアフリカから大西洋を突っ切れば中国や日本などにも行けると思っており、中世後期、すでに高度な航海技術を手に入れていたスペインがコロンブス艦隊を派遣、本来地図上存在しない部分にアメリカ大陸を発見しその後、アメリカ大陸は中南米をスペインとポルトガルとオランダ、北米をフランスとイギリス、そして反対側からアジアを超えてやってきたロシアが植民地化し、その植民地が合併や独立を行なって現在に至る。

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