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『一人』が好きなだけ

今日、一人で映画を観た。
私の周りにはカップルや友人グループばかり座っており、大きなバケツに入ったキャラメルポップコーンを一人でむしゃむしゃ頬張りながらスクリーンを見つめる女は、そこでは少し異様だったかもしれない。
上映後も皆、作品についての感想を楽しそうに語り合っていた。私は私で『めちゃくちゃ面白かったなぁ』『あのシーンすごかったなぁ』『ポップコーンって意外と腹にたまるんだなぁ』などと脳内でつぶやきながらするりと劇場を抜け出していた。

私は一人で何かをすることが好きだ。
映画やカラオケもそうだし、カフェやレストランも一人で行く。定食屋も町中華も立ち食い蕎麦屋も、なんでも。旅行だって一人で突然行く。お金が入った暁には、少し良い店で一人焼肉をすることを目標にしているほどには、一人行動を楽しんでいるつもりだ。
むしろ、一人カラオケ専門店があったり、レストランのカウンター席に仕切りがついたりと、世の中はどんどんおひとり様に優しい作りになっているとさえ思っている。

しかし、この風潮があろうとも、きっと一人遊びが嫌いな方はその良さを全く理解できないだろう。
私の友人にものすごく一人行動を嫌う人間がいる。一人カラオケはもちろん、ファストフード店にすら入れない彼はよく、行きたい店を見つけては私を相手に連れまわした。私も毎回は付き合いきれないので、一人で行ってみたらどうかと何度か提案したことがある。
「一人で行っても実際そこまで気にされてないよ。周りも一人の人、そこそこいるし」
今まで実際に一人で行ったことのある場所を伝えてみると、彼は目を丸くしながらこう言った。

「え、さびしくない?」

これを言われた時、心がざわついた。
先日、仕事相手の会社の先輩に映画に誘われ、普段は一人で見に行くと言った時にも同じことを言われたのだ。
しかもその方はだいぶ恋愛脳というか、何かとすぐ恋愛に結びつけたがる方で、その後も「一人ってかわいそう」「相手いないから?」と質問をしてきた。
これには流石にうんざりして、勢いで自分にアセクシャルの気があること、独り身を理由に一人遊びをしているというわけではないことを伝えると、思い切り「変なの!」と笑われた。
悪意があるわけじゃないし、恋愛を大事にしている方にとっては到底理解できない思考だろう。こうなるかもしれないことを予測できず、突然伝えた私も悪かった。そう頭でわかっていても、ど正面から変人呼ばわりされたショックはなかなかであった。
そんな背景もあり、友人の発言はあの日のトラウマを思い出させたのである。

勘違いしないでほしかった。私は、恋愛はできないが、人間そのものが嫌いなわけではないのだ。
もっと言えば、誰かと遊ぶのも大好きだ。仲の良い友人と行くディズニーランドも、みんなで食べる焼き肉も、仕事の打ち上げのカラオケも、決して嫌いなわけではない。

でも、誰かといると気を使いすぎてしまう。
これは生まれ持っての性格か、相手が誰であろうと変わらない。どんなに仲の良い相手であっても、つい相手の意見を優先させてしまう。親友には何度も「もちこの行きたいところ・食べたいもの・やりたいことも言ってね」と促され、なるべく自分に正直でいるようにしているのだが、うっかり自分の意見を出せなくなることもまだ多い。親にだって気を使い、外食のリクエストを問われても「どこでもいいよ」と答えてしまう。
私は人と遊ぶ時に、こだわりが皆無なのだ。誰かが『行きたい』場所は興味があるし、誰かが『食べたい』もので美味しいと感じられるからそれでいい。相手が『やりたい』ことを一緒にできたら楽しいと思える。その希望を叶えられれば、相手は絶対に良い気分になってくれるのだ。誰かと一緒にいる時、自分の欲が原因で気分を害したくない。
この想いが根底にあるため、空気を読んで相手に身を任すのだ。

ただ、人に気遣いすぎた自分を休ませてあげることも大切だとわかっている。そのためにも、私は一人でどこかに行くのだ。誰のことも気にせず、私がしたいことを存分にする。食べたいものを食べたい時に食べ、行きたい時にふらりとそこへ足を運ぶ。
このメリハリがあるから、誰かと遊ぶ日もそれはそれとして楽しむことができるのかもしれない。

中島みゆき氏の『風にならないか』という曲にこんな歌詞がある。

自由になりたくて 孤独になりたくない
放っておいてほしい 見捨てないでほしい

この曲を聴くたび、自分と同じ気持ちの人も案外少なくないのかもしれないと思う。
世間にはきっと、自分と同じように一人が好きで『独りぼっち』が嫌いな人がいる。これが分かち合える相手と一緒に遊んだり、時にはお互いの時間を尊重したりできたら、きっと生き心地が良いことだろう。

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