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そんな“寝言”を信じろと?

 30年以上テレビの報道部門に在籍した者として、「記事だけでなく、日常生活でも嘘やねつ造はしない」「自らを律する」ことは当たり前のことになっている。それは別部門に異動した今も同じだ。

 なぜなら。

 これらをないがしろにすることは視聴者を裏切ることと同義であり、人サマの不正・不義を声高に言い立てる資格がなくなるからだ。そしてそれは「バレなければいい」というものではない。報道人としての「矜持」だと思っている。
 
 「おやおや」と思ったのは、長野の立てこもり事件で現場に立ち入ったとして書類送検された朝日新聞の写真記者(カメラマン)の“釈明”だ。

 これを報じた朝日の記事がこちら。

 記事は「社内調査に対し、記者は『撮影取材の中で、別の場所が現場だと思い、立てこもりの現場とは知らずに立ち入った。とどまったのは休憩のためだった』と説明している」と報じた。

 誰がこの釈明を信じるのだろう?

 あれだけ緊迫した状況が続き、規制も厳重だったであろう現場で「勘違いをして」「休憩のために10分間滞在した」など、まったくあり得ないこと。

 記者やカメラマンとして現場に行くことが多かった私なので「警察を出し抜いてでも一歩でも現場に近づきたい」「あわよくば立てこもっている犯人の姿を1カットでも撮りたい」というこの朝日カメラマンの気持ちはよくわかる。それがマスコミ人の本能だ。

 わずか10分間で見つかってつまみ出されたことはトホホの極み。そんな稚拙な企みなら、始めからやってはいけない。

 どうして「取材に熱心なあまりにやりすぎました。すみません」と言えないのだろう?こんなミエミエの嘘を吐くことによる報道機関への信頼の毀損の方がよっぽど重大だぞ。

 会社もなってない。

 「そんなコメントを出せるわけないだろ。俺たちが恥ずかしいぞ」と“指導”しなかったのか?

 別会社ではあるが、同業者としてこちらが恥ずかしいぞ。
(23/6/24)


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