見出し画像

今日が敬老の日だからというわけではないけれど。

文章を書きながら、涙が溢れてくることがよくあります。今まで、ずっと言葉にできなかった思いを、からだからひねり出すとき。その瞬間に初めて、心の奥底に抱えていた自分の気持ちを知ることができます。

今月末が締め切りのエッセイを書いていました。もっと前から知っていたのに、結局は、夏休みの子どものようにギリギリで書き出すのです。

「亡くなった方への手紙」というのがテーマなのですが、書き出すと、駄目ですね。いろんな感情が一気に溢れ出して、まだ1文も書けていないうちから、涙で見えなくなってしまいました。なんとかティッシュで押さえながら、泣きながら書いた手紙。

私のおばあちゃんは、母が高校生の頃に亡くなりました。もちろん、私はおばあちゃんに会ったことがありません。このエッセイの話を聞いたとき、ふと、会ったことがない、おばあちゃんへ手紙を書いてみたいという思いに駆られました。

そして、書き終えて分かりました。

手紙には、会ったことのないおばあちゃんへの思いではなくて、母への思いに溢れていました。泣いていたのは、亡くなってしまったおばあちゃんへの哀しみではありませんでした。


「もし私が17歳の頃に母を亡くしていたら、どうなっていただろう?」

そんなことを想像し、今まで深く考えてこなかった母への感謝と、当たり前の愛に涙が止まりませんでした。

おばあちゃんがどんな人だったのか、未だによく知りません。母の辛い過去の扉を開けてしまうような気がして、聞けないでいます。

でもやっぱり、今の私があるのは、母があるからで、母があるのは、おばあちゃんが居たからだから、やっぱり、いつか聞いてみたい。

もしも私に、子どもができたなら、孫を胸に抱いた、おばあちゃんになった母に聞いてみたい、そう勝手に思っています。

読んでくださりありがとうございます♡ SNSでシェアしてくださると励みになります٩( 'ω' )و