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寿司屋の神様

小僧の神様、という短編がある。
志賀直哉の傑作。



番頭のどこそこのお寿司が美味しかったという話を立ち聞きした小僧の仙吉は、お使いの途中にその寿司屋に行き、僅かな小遣いで寿司を食べようとする。しかしお金が足りず、打ちのめされていたところを若い貴族院議員のAが目撃して、後日そこへ連れて行き金を払って食べさせてやる。Aは自分が施したことを「変に淋しい」気がする、小僧は自分の願いを叶えてくれたAを神様に違いないと思う。
そして…というところで急に作者が出てきて、“この後小僧が寿司を奢ってくれたAの住所を調べて行くと稲荷の祠があって驚く、というような続きを書こうと思ったけど、それは小僧に残酷だからやめる“と急にこの短編を終わらせる。

永らくAの心境や志賀直哉の最後の意図に色々な解釈がある、素晴らしく魅力的な短編。

読むだけで寿司が食べたくなる。

コロナになって友達と何処そこに気軽にご飯を食べに行けなくなって、また子育ても大変になったのもあって、かつて勇んで予約したような東カレ的寿司屋にはもう行かなくなった。
かわりに懐にスッと入ってきたのが町寿司で、これが素晴らしくご褒美として機能している。

隙のない芸術のような鮨。凝縮した値段の味がする。

町寿司はいい。

ガラスの入った引戸をガラッと入ると、左に小さいレジ(帳場とはあえて言わない)、その横に8人くらいの座れるカウンターがあり、右手にはテーブルが四人がけのふた席ほどがならんでいる。
地元のやや年配の人達がカウンターとテーブルそれぞれで、寿司を食べると言うより、お酒を飲むために寿司をつまんでいる。お酒も高級なものではない、緑茶割りか、わざわざ銘柄を選ばせない冷酒とメニューにある日本酒か。
値段も手頃。値段のわからないメニューはない。

鮪と烏賊、小肌は最初のうちに頼む。

大体、いっぱい目は瓶ビールで、なにかつまみにしてもらった刺身かなにかを食べ、二杯目にお酒と塩辛かなにかのつまみを追加して、三杯目にやっとにぎりを頼み出すという感じ。杯を重ねて緑茶割りかなにか。

お酒は好きなので、どんどん飲みながら、一通り好きなお寿司を放り込み、お会計。

できたら、寿司屋に行く前にお風呂に入ってさっぱりし、時間帯はまだ日の沈まないうちがいいな。

彼は悲しい時、苦しい時に必ず「あの客」を想った。それは想うだけである慰めになった。彼は何時かはまた「あの客」が思わぬ恵みを持って自分の前に現れて来る事を信じていた。-『小僧の神様』

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