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BL小説「相席、お願いします!」

【サラリーマン・上司×部下・恋のはじまり】
【読み切り・短編・読書時間10分程度】

【あらすじ】
 複合機のメンテナンス営業をしている浮間匠海うきまたくみ・40歳は変わった性癖があり、いまだ独身はおろか恋人なし。
 その性癖とは「食事の所作が美しい人を見ると、性的興奮をしてしまう」ことだ。
 ある日、異動の辞令が出た先輩・洲永恒星すながこうせい・47歳の送別会で彼の目の前の席になる。
 彼が食べる姿を目の当たりした匠海はあまりの美しさにイってしまいそうになり、飲み屋のトイレに駆け込むことに……!
 後日、洲永が匠海のエリアに現われ、偶然「相席」に。
性癖以上に身体や心に変化が起きてしまう匠海。もしかして、これは彼のことが好きってこと──??

全文お読みいただけます
(あとがきが有料ゾーン)

「相席、お願いします!」


 サラリーマンの聖地なんて呼ばれる東京・新橋。飲食店には事欠かないけれど、結局気に入った店にしか寄らないことに気づいたのはごく最近だ。
 昼どきを過ぎた午後二時。オフィスに必須な複合機を扱うメーカーに勤める俺、浮間匠海うきまたくみは新橋エリアの取引先企業に設置している複合機の機械メンテナンスを行う営業マンだ。つい先日、四十歳の壁を突破して、すっかり新橋の街にも馴染んだなと自覚したばかり。中肉中背なんて言葉は好きではないけれど、食べた分だけ贅肉がうっすらと層をなす。外食が続いてしまうのはよくないことは分かっているけれど、外回りの仕事をしている以上、弁当を持ち歩くわけにもいかないし、料理が苦手な俺に作ってくれる家族もいない。独身貴族を謳歌しているなんて苦し紛れの言い訳で、独りが異様なまでに身に染みる時もある。

 特にひとりで食べるメシどき──。

「何名さまー?」

 新橋駅の目と鼻の先にある通称「おやじビル」の地下にある定食屋が鉄板の昼メシ。その店の暖簾をくぐると店員が俺に向かって呼びかけた。俺は指を一本立てて伝える。ひとりだということを。

「お昼過ぎているけれど、今日は混んで仕方ないよ。すぐに相席になるかもしれないけど、いい?」

「はい、構いません」と頷いて席に着く。ひとりで食べるのは寂しいけれど、相席はなんだか気まずい。それに俺には変わった性癖があるから、寂しいという気持ちとは裏腹に、誰かと食べることが難しいのだ。

「いらっしゃいませ、ごめんね、相席になるけどいいかしら?」

 店員の忙しそうな声は俺の耳にも届く。まだメニューも決めてないのに、さっそく相席になってしまいそうだ。

「よう、浮間じゃないか。お疲れ」

 メニューから顔を上げると相席で目の前に座ったのは職場の先輩の洲永恒星すながこうせいだ。俺より七つ上のアラフィフ。しかし決定的に俺と違うのは四十七歳とは思えない筋肉量と百八十センチを超えるスタイルの良さだ。

「え、洲永さん、どうして新橋にいるんですか……?」

 彼はつい先月、異動が発令されて品川エリアの担当になったはずだ。同じ東京営業部だから帰社する建屋は同じだけれど場所は六本木。新橋で電車を降りる意味が分からない。

「俺が新橋でメシを食っちゃ悪いのか?」
「あ、いえ……」

 歯切れの悪い返事をしているあいだに洲永さんは店員を呼び止める。

「今日の日替わりなに?」
「サバの味噌煮定食よ」

 洲永さんは「じゃあ日替わりください」と告げる。

「すみません、俺も日替わりで」

 魚料理を選んだ洲永さんに俺は緊張が走った。なぜなら彼はものすごく食べる所作が美しい。
 そして俺はそういう人の食べる姿を見ると意思とは関係なく性的興奮を覚えるという能力がある──。

 先月、洲永さんの異動が発令された日、有志で開かれた飲み会で、ずっと起動することなかったその能力が現れた。
 居酒屋の個室で十人程度がひしめくなか、目の前には洲永さんが座わっている。
 ほっけの開きに箸をつけた洲永さんは丁寧に身をはがすと細かく骨を取るような行為や無駄口も叩かずに、ひたすらほっけの身をコンスタントに口へ運ぶ。
 癖のない箸の持ち方。音を立てずに顎を動かして咀嚼する。言葉にしなくても彼の食べている表情を見ているだけでそのほっけが美味しいということが分かる。
 一連の流れを見つめていると胸が鋭い音を立てたことに俺は気づかずにはいられなかった。
 しつけが厳しかった父が洲永さんに重なる。父以外にこんなにも美しい所作で食べる男性を初めて目のあたりにした。そう気づいた瞬間、下半身に熱が集まってしまう。

(……ずっとこの症状が出ていなかったから、治ったと思っていたのに)

 初めてこの症状に見舞われたのは中学一年生のときだ。父は食事中に喋ることを許さない。母が作った料理をゆっくりと正しい所作で味わうことが感謝に繋がると、毎回、食事前に言った。もちろん俺が食べこぼしたり、喋ったりすることは許されない。常に食事中は緊張状態で、体調不良以外で食べ残すことは禁止だ。
 それが当たり前だと思っていた。しかし俺が初めて症状が出た晩は、父親が家に同僚を呼んで晩酌をしていた。ふだん寡黙に食す父だけれど、酒が入れば多少は乱れてしまうのでないかと内心期待する自分がいた。母がおつまみを彼らに配膳すると、二人とも食べ始める。すると目を見張るくらい歴然と違う所作の美しさ。一緒に食べている人と比べると、父がどれだけ食事に対して敬意を払っているのか、初めて理解した。
 俺はファザーコンプレックスかもしれない。父を敬いながらも恐れている。なぜなら食べる姿を見ると身体がおかしくなるからだ。その日を境に、父と食事すると必ず身体が感じてしまうようになった。塾や習い事、部活を言い訳になるべくひとりで食事をするように努めた。高校は寮生活ができる遠くの学校を受験をした。実家へ帰るのは正月だけ。そのうちに父は早くに亡くなってしまった。もう二度と、彼の美しい所作を見られないと思うと安堵したのもつかの間、後悔が俺を襲った。どんなセクシーな写真や動画を見ても俺は興奮できない。俺は父と同等な人物を求めてしまうのだ。
 いくら女性と食事をしても、彼女たちはいつの間にかお喋りに夢中になる。だから俺は四十になるというのに結婚はおろか恋人ができても続くことができなかった。女を抱くことができない男なんて、いつだって彼女たちを大いに傷つけてしまう。

(女性には反応しないのに、どうして洲永さんに……?)

 二度と父と食事することができないという事実が俺をこうさせるのだろうか。
 飲み会で父以外の男性に能力を発揮した身体に驚きつつも、怖さも抱いた。このまま彼の食べる姿を見ていたら、間違いなく精を吐き出してしまう。その日は洲永さんにも他の誰かにも下半身の変化に気づかれないよう、体調が悪いふりをしてお手洗いに駆けこんだ。個室でひと息ついたあと、瞼を下ろして洲永さんの口元を思い浮かべながらひとりで慰める。声が漏れないように手のひらで口を覆いながら頂点を極めると罪悪感しか残らない。
 俯いたまま席へ戻ると違う意味で青白い顔色をしている俺に洲永さんは「帰るか? 駅まで送るぞ?」と心配をしてくれた。

「ちょっと……大勢での飲み会が苦手なだけで」

 そう告げると、隣に座っていた同じ部署の女性が「浮間くん、ひとりメシが好きなんだって。営業回りのない日にランチ誘っても絶対行ってくれないんだから」と膨れた表情を作った。

「まぁ、浮間の気持ちも分からなくないが、誰かと食事する時間も料理を美味しく食べるスパイスになるぞ」

 別に誰かと食べることが嫌いなわけではない。この能力が発動するのを未然に防ぎたいからだ。

「し、静かに味わいたいんですよ……」
「別に誰かと喋りながら食べなくてもいいと思うぞ。俺も食べながら喋るのは苦手だ。じゃあ今度、俺と一緒にランチ行くか?」

 食べている姿とは打って変わって、お酒の入った洲永さんはけだるく頬杖をつきながら俺をとろんとした目つきで見つめてくる。そんな表情をされたら特殊能力を持っていなくても身体が熱くなりそうだ。

「……洲永さんは品川エリアに異動でしょ。だからもうランチ行く機会ないですよ」
「ふうん。俺とそんなにランチしたくないのかよ」

 曖昧にごまかそうと酒を胃に流し込む。すると彼は「浮間とメシ食べに行くの楽しそうだな」とくつくつと肩を小さく震わせて笑った。

 注文を終えた洲永さんはあの日と同じように頬杖をついて俺を見つめている。

「やっと一緒にランチできたな」

「……なんでわざわざ新橋まで」と俺は目を片手で覆う。食べる所作を見ているわけではないのに身体が熱い。脳内は勝手に彼の食べる姿を思い出してひとりで慰めた場面を再生し始めた。

「どうせひとりでメシ食べているんだろうなって思ったら、勝手に足が新橋に向くんだよ」
「洲永さんは品川担当のメンバーと行けばいいじゃないですか」

 指の間から彼の表情を覗くと彼の指先が近づき、俺のてのひらに触れる。この指で箸を持って、食べ物を口元へ運んでいると思うと腰の奥がずんと重くなる。

「この前の飲み会で、俺の食べる姿をじっと見てたくせに、俺とランチ行きたくないとかいうヤツのこと気にならないわけないだろ?」

 一秒、二秒、三秒……どれくらい彼の指は俺に触れていたのだろうか。自分が彼の食べる姿を見入ってたことに気づいていたなんて驚きを隠せなかった。
 彼の指先の温度、彼が俺を眺める目つき、それらがすべて絡み合って胸が異常にうるさく騒ぐ。

「そろそろ俺の食べる姿を見たいかなと思ってね。時間が許す限り、新橋へランチをしに立ち寄ってたんだ」

 触れていた彼の指は意地悪く俺の指先をたどったあと余韻を残しながら離れる。テーブルに置かれたお冷をごくりと飲んだ喉仏が上下する動きは身体の奥が熱く疼く要因になった。

「はい、日替わり二つね」

 運ばれてきたサバの味噌煮定食にさっそく箸をつける洲永さんを見ないように、俺は皿に盛りつけられた料理に穴が開くほど見つめ続けた。とにかくどうにかして興奮を沈めたい。サバの味噌煮を眺めることに集中して深呼吸をしようとするけれど、胸も苦しくて浅くしか息が入り込まず、何度も吸おうとした。しかし吐くことを忘れてしまったせいか苦しさは増すばかり。無理矢理、興奮を沈めようとしたからだろうか。いままでにない現象だ──。

「おい、どうした。気分が悪いのか? 顔が真っ白だぞ?」

 かすかに聞こえる洲永さんの苦味のなかに甘さを引き出すような低い声。まるで食後のコーヒーのように身体の隅々へ彼の声で満たされたい。
 もう、これはあの症状とは違う。送別会で初めて彼の食べる姿を見てから、俺は洲永さんのことが気になって仕方なかったのかもしれない。ひとりメシが好きだと言い張って彼の誘いを断ったけれど、俺はずっと洲永さんの食べる姿をもう一度見たかった。もう会えない父親との別れに後悔した気持ちを洲永さんに重ねていた。

「……いや、それ以上に、もっと洲永さんを知りたい」

 目を覚ますと知らない天井だった。

「え、病院?」

 腕には点滴の針が刺さっている。まだ頭痛があるが、目だけ横に動かすとそこには丸椅子に腰かけた洲永さんが心配そうに俺のことを覗き込んでいた。

「やっと目を覚ましたか」と彼はスポーツドリンクを俺に差し出す。

「俺、もしかして倒れました……?」
「そうだ。定食屋で突然、気絶するからずいぶん驚いたんだぞ。救急車呼ぼうと思ったけれど、息はあったからひとまず近くの内科におぶって診てもらった。過呼吸だって」

 大の大人を背負えるなんてどんだけ筋力があるのだろう。ましてや俺なんて痩せているわけではないのに。

「そんなに俺とメシ食べることが嫌だったか?」

 さきほどまでの自信たっぷりな表情から一変して、目を伏せながら悩むように俯く彼に俺は慌てて首を振る。

「ち、違うんです。洲永さんの食べる姿があまりにも綺麗だから、俺……つい見惚れてしまって」
「どういうことだ? 食べ方ということか?」

 大きな声では言えない性癖をどう伝えたらいいのか分からず、喉の奥でなんども言葉が引っかかる。

「……とにかくリベンジさせてください」
「ひとりでメシを食べたい浮間なのに?」

 ひとくちスポーツドリンクを喉に流し込むと、洲永さんはそのペットボトルを俺の手から奪って、横を向いて飲み始める。ふたたびしっかりと硬くせりあがる喉仏の動きを凝視してしまい顔が火照る瞬間が自分でも分かる。

「洲永さん……、また、相席、お願いします!」

 彼は口からペットボトルを放して、片方の手の甲で零れた水滴を拭う。

「あぁ、今度は業後にゆっくりと相席しようぜ」と彼は言いながら俺の額に手を当てる。「ふたりで食べるメシが美味しいってことを、俺が教えてやるから」

 まだ彼は俺の特殊な性癖を知らない。彼が美しく食べれば食べるほど、俺はあなたに求められたいと願うことになってしまうというのに。

「洲永さんこそ、覚悟してくださいね。俺をメシに誘ったことを後悔しないでくださいよ」

 彼の手のひらから奪い返して、ペットボトルに残ったスポーツドリンクを飲み干した。甘くてしょっぱいその味はまるで彼とキスでもしたかのように唇がじんと痺れた。


【相席、お願いします! おわり】

※ここから先は、小説のあとがきと浜野の近況などです~!

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883字
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最後まで記事を読んでくださってありがとうございます。 読んでくださった方の心に少しでも響いていたら幸いです。