Chain of Happiness

2007年11月30日付 過去ブログより転載

**********

子どもの頃、祖母が私にかけてくれた言葉。

「勉強しなさい。」

当時まだ小学生だった私にとってはあまり嬉しい言葉ではなかった。たまに買ってもらったものも、文房具とか本だったな。。ねぇ。なんだか年に一度とか二度しか会わないのに、普段家や学校で言われるような言葉だもの。。(注:とはいえ。あまり家でも学校でも「勉強しなさい」って言われた記憶はないのだけど。。)

多分その当時あまり嬉しくなかったからなのだと思うのだけれど、どういうわけか祖母からかけられた「勉強しなさい。」はずっと忘れられないのだ。特に大学に入って独り暮らしをするようになってから。そして就職して働くようになってからその言葉の意味、味わいがずんずん増していくように感じている。

「一生勉強」とは言うけれど、そんな言葉が自分のものになる、というか、心底からそーだよな。。って納得できるのってやっぱりある程度齢を重ねてからなのだと思う。

「勉強しなさい。」

この言葉に祖母が込めていたであろう気持ち。
それを思うと切ないような嬉しいような。まあいずれにせよ幸せだなって思えるのだ。今は。

自分も30代終盤を迎えたからかな?甥っ子姪っ子。そして全く赤の他人の子どもたち。特に子ども好きってわけではないんだけれど、ものすごく「大事にしなきゃ」って感覚はある。自分自身のことよりもこれからの子どもたちなんだよな。って。そんな感じ。

発達心理学という学問には”世代継承”という概念があるという。”世代継承”なんて表現だとめちゃ堅苦しいんだけれど。要するに「子どもたちのためが自分自身のため」って感覚だと思う。

幸せの連鎖。

これがないと多分”世代継承”は起こらない。”世代継承”は本を読んでその理屈を学んだからといって実践できるような代物だとは思えないのだ。やっぱり幸せな子ども時代を送った大人たちに愛情を注がれ、そして幸せをなんとなく感じつつ育ち、自我が成熟していくほどに自分が受けてきた幸せを心から感じ、そして自分も心底から子どもたちのために生きようと思う、、、そんな連鎖がなきゃだめなんだろうと。

現代は何かと世知辛い。親兄弟の間で殺人沙汰が起こったり。なんだか人情が薄れているような漠然とした感覚も。結構多くの人々が感じているのではないだろうか。

ひょっとして。幸せの連鎖がどっかでぶった切られているのかな??そもそも”連鎖”なわけだから、普通に考えると未来永劫ずっと継続するように思えるのだけれど。。

私は自分は幸せだったし今も幸せ。生きている以上はそれだけで幸せなんだろうと思える。なんでなんだろ?やっぱり”連鎖”だろうな。中心はやっぱり両親なんだけれど、これまで関わりのあった人々がなければさ、今の自分は想像できないのだ。

人ってやっぱりそうやって自分以外の人々に生かされる、というか、いろんな人々のことを心に宿すために生きているのだと私は思う。

それは、生物として自分が生きるっていう科学的な事実ではなくて、自分という空間は、自分が出会ういろんな人々のことを生かすための空間で。その空間を提供するという意味があってこそ、人として生きている価値があるのだと思う。

人間は物思いにふける。程度の差、内容の多様さはあるけれど。だからこそ”意味”を求める。そして求めていると、ついつい自分の空間なんだから自分の好きなように、、、って考えにも囚われてしまう。

違うのだよね。

空間は無限で、どんなに意味を求めたって際限はない。そんな中で自分のことばっかり考えてたって、幸せは訪れないのだ。残念ながら。”世代継承”のみならず、やっぱりどこかで「幸せの継承者なんだよな」って思える瞬間が欲しいところだね。それこそ宗教者に神が降りてくる、みたいな感じでね。。理屈じゃないのだ。そーいった啓示というか奇跡みたいなものが必要。本当に心から自分がそうしたい!って思って自分の空間を自分以外の人のために提供しようと思えるには。

だからこそ人生って難しいのだな。

感性を磨けばいい?

本を読む?

精神修養に出てみるか?

鍛えてばっかりじゃ疲れるし、リラックスも必要だね。。

なんぼ考えても悩んでも目に見える結果が同じなら、欲望のままに生きちゃえ。そんな選択も可能だ。考えても考えてもきりがない。自分を律することに成功していたとしても、全く突発的な不幸に見舞われることだってあるし。考えるだけムダ?なのか??

祖母の「勉強しなさい」にはそんなこんなが全部凝縮されていたように思える。

戦争で夫と子どもを何人か亡くし、戦後も女手ひとつで大兄弟姉妹(早くに亡くなった子も合わせて10人)を育てて、、。そんな人が見た私という子どもってどんなだったんだろう?多分未来の光に満ち満ちていたのだろうと想像する。なんともいえない眩しさだ。明るい未来ってやつ。そのものだろう。

「幸せになれ!なんでもいいから神様。幸せに導いてください!お願いっ!」

そんな気持ち。どーやって表現するのだろうね?私であれば。。

祖母はそれが「勉強しなさい」だったのだと思う。

勝手な思い込み?

そうかもしれない。

でも私にはそうは思えないのだ。

世の中の真実が全部詰まっているような。そんな感じ。

やっぱさ。オレって幸せじゃんねぇ。そんな言葉かけてもらえたなんてさ。。

そして、人は死んでしまっても、こーやっていつまでも語りかけ続けてくれるのだ。。

がんばって生きて、幸せの連鎖、継承しなければね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?