本音、ポエム、他何でも。。。

言いたかったけど言えなかったことを誰かが言ってくれるとする。

そこで、「よくぞ言ってくれた!」ってなる気持ちは分からないではない。

でも。。。

それって情弱に映る。

骨のあるヤツってのは、「俺の方が上手く言える!」じゃなくて、多分、「そんな当たり前のこと今さら言ったところで何か変わるのか??」と感じるはず。何故なら、彼女/彼にとっては、言うか言わないか?よりも、言った後、言われた人間がどう振る舞うか?こそが問題だから。別にその場で狼狽させたり、しばらく精神的ショックをひきずってくれたりしたところで別に何も変わらなければ意味がない。例えばとある役職から退いてくれたとしたって。。。

「叩く」というと見苦しい。

でもただ溜飲下げてるだけだって、その時点でかなりイケてないよね。。。って気づけないんじゃあ、まあ繰り返すよね。。。

実際日本で繰り返し観察される現象なんだけれど、もっとおっきな問題ってあって、、、。そういう繰り返し観察される現象について、賢い方の人ほど冷めた目で見やる。溜息つきながら。。。そうすることの根拠とは?そりゃ中身でしょ?結局賢い人からすれば、大衆がしゃべっていることなんて分かり切ったことどころか、、、不完全。。。それ見て「アホやなー」って感じようと思えばいくらでも感じていられる。

でもさー。

一億からなる人々の、そうだなー、3割とかでもさー、数%(でも百万人以上はいる)の誰から見ても賢い人のように、完全なる知識に基づいた(というと言い過ぎだけど)議論なんてできるようになるか?現実問題として。。。つまり、問題は中身ではないのよ。議論したり意見したりしていることの。態度よ。態度。基本姿勢。生きるってことに対する。

でね。

大衆の不完全な言論を見て溜息ついて済ませていられるって。。。賢い方の人間だって基本姿勢がなってない、ってことなんでは???

分からないんだもの。喋ることの中身とそこから読み取るべき基本姿勢の違いも。そして、基本姿勢ってのがどんだけ大事なことかも。

生きるための基本姿勢なんて自分たちはどっちかというと基本だからまさかできていないなんて思わない。実際どうか?なんて関係なしに生きていけるから。しかも社会的にはどちらかというと高い(地位や名誉ある)立場にいられる。それこそが「できている証拠」とでも思っているようだ。

自己振り返りは大事だ。

でも「自己」ってものがここまでスカスカなら、「自らの立ち居振る舞いを見直せ」なんて言ったって、ほぼ言われていることの意味は分からないだろう。。。おかしーなー。「他人の振り見て我がふり直せ」って慣用句じゃなかったっけか???

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