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そんな簡単には変わらない

ナルシストとか

そこまでいかずとも、自己の意志とやらを過信している人とか

そういう輩とは議論なんてできやしない

結局、自分は何者で、何ができて、何を成し遂げた(成し遂げつつある)か、、、というような、自分に都合の良い”自分”なる領域を区切ってしか物事を論じないし、それで正しいと思い込んでいるのだから

”自分”なる領域が「都合がいい」ということにも

全く気付いてはいないだろう

正義を語りつつ、同じ刀で大した罪なんて犯してもいない人間を、「努力が足りない」だの「知能の働きが鈍い」だの言ってばっさばっさと切り捨てる

矛盾があるのは明らか

その矛盾というものは、別に「しゃーない」ってわけではない

ただシンプルに論理を積み重ねれば行き着く答えなわけだから

相当気合いを入れても

陥ってしまうことは避けられない

つまり

「しゃーない」のは矛盾することではなくて

矛盾を放ったらかしにすることぐらいしか対処策を思いつかないわたしたち人間だ

矛盾なるものから

わたしたち人間が完全にフリーになれるわけはないのだから

放ったらかしは問題だろう

そいつらをべったり身に纏って生きていながら

「わたしの生きざまに矛盾などない」などという主張

滑稽

そうとしか形容のしようがない

力のある者の方から

「人生どうせ短いんだし、適当にウソついて生きて死んで行こうぜ!」

と奨励しまくる世界

美しくなるわけがない

人間なんて弱いものだけど

だからクソもミソも関係ねーってわけではない

味噌はうまいが、見てくれが似ているからといってクソはさすがに食えん

そもそも臭いで判るしね。。。

そんなクソみたいなもん

他人様に出せやしない

その程度の分別ぐらいは持っていそうなものだけど

後付けの敬意がはびこる現代

そうでもないんだ

という現実

とりあえず受け止める必要はあるんだろうな。。。

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