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脱ホワイトカラーで出生率反転

Axiosというアメリカのニュースサイトを見ていたら、こんな記事があった。

題は「技術職がZ世代の間で復活」とある。配管、溶接、建設といった技術職界隈で、人手不足を埋めるため、ますます多くのZ世代が雇用として吸収されているといった趣旨の記事です。

背景には、えげつなく高額な大学の学費や、奨学金返済問題、さらには「大学を出たところで」まともな職にありつけるとは限らないといった状況がある。記事によると、実際に、高校の職業訓練プログラムへの入学者数が増加しているのとは対照的に、四年制大学やコミュニティカレッジへの入学者数は減少しているらしい。Z世代は、高卒でも資格やスキルがちゃんと身についていれば高収入で安定した仕事が得られると前向きであり、さらに、昨今、台頭めざましいAIについても、手に職のある技術職の方がホワイトカラーよりも影響を受けづらいと考えているようです。

現代ではサービス業が主流になり、みんなと差をつけて付加価値を生むために、大学だ大学院だ博士号だと高学歴化が進んできたわけですが、

結局、みんなが進みたがる職種は競争が激しく消耗しまくりますし、

競争の挙句やっとありつけたと思った仕事もブルシットな風景が濃厚ですし、

また逆に、競争が激しいところでは仕事自体が縦割り的に分割されて、人の役に立っているのか立っていないのかわからない「器の小さい」仕事ばかりが労働市場の景色を埋めるようにもなってきた。

そこにきて、AIによる知識労働の自動化の波が(少なくとも集合的予感としては)リアルに押し寄せてきて、「おいおい、これ以上どんな付加価値を身につけたらいいというんだ?」と途方に暮れる状況になっている。サービス業の文脈では、もはや(謎の)人間力という強みしか残されてないっぽいので、どうしたら魅力的な人間になれるか、いかに好かれる人間になるか、いかに自分の個性を換金収益化するかみたいなグロテスクな感情労働の道が細く目の前に続いているかのようだ。

そういえば、この前ウーバーをしながら聴いていたあるPodcastでも、実業家の塩野誠さんが「リスキリングは脱ホワイトカラーの線で進んでいくこともありますよね」といった趣旨のことを発言されていた。働き方改革、AIによる自動化で労働市場の流動性が高まり、労働者が自分自身を「再教育」し、戦えるスキルを新たに身につけて再就職する先は、むしろ建設や土木といった技術職の方が有望なのかもしれない。スキルアップとかいうてスタバで胡散臭いテキストブックを勉強しとる場合じゃないのだ。

大卒ホワイトカラーから高卒ブルーカラーへ。アメリカでは、そういう風向きの変化が、にわかに像を結びつつあるようである。大学進学を諦めて、社会全体としても緩やかに低学歴化が進む。


この記事を読んで、こんなふうな考察をあれこれ巡らせていると、不意に「でも低学歴化って出生率の向上につながるのでは?」という題名の着想を思いつく。男女平等の普通教育が整備され、実際に社会も高学歴化が進むと、当たり前だが、「一人前になる」年齢がどんどん後ろにずれ込むことになるので、いわゆる晩婚化が進み、少子化も深刻化していく。社会の発展(産業の高度化)が極まってついに大卒高学歴人材が不要にされてしまうなら、それはそれで社会の持続可能性にとってはむしろ追い風となるかもしれない。「大学行っても無駄、そもそも学費が高すぎて大学に行けない」というボリュームが拡大すれば、同時に低学歴化=早婚化が促進され、少子化という先進国共通の趨勢に歯止めがかかるのではないかという希望的観測である。

というか、政策に政策を重ねても一向に改善しない少子化傾向に歯止めがかかる、そして反転することがあるとしたら、下からの突き上げあるいはムーヴとして、「オレ、フツーに高卒で土方っすわ」という自己紹介がより広範に市民権を得ることによってのみなんじゃないか、と考えたくもなるんですよね。

もちろん教育、とくに普通教育は大事で、万人に等しく教育機会をひらき、ドメスティックな搾取から子どもを守るという、ルソー的というか、近代的啓蒙の理念の意義は強調しすぎてもしすぎることはない。

ただ、普通教育が重要だということと、それをどこまでやれば十分かということとの間には、やはり懸隔があります。

近代化して、日本も普通教育という(国家)事業を100年以上やってきて、特に最近はずるずる学校に行く期間が延びてきたわけですが、そろそろ「もうここまでやれば十分(やりすぎて弊害すらある)」という国民的コンセンサスが形成されてもおかしくない地合いなのかなと。もちろん日本だけじゃなく、世界的に。


もしかすると、Z世代の次あたりが、なんとなくみんなと同じように大学行って、違和感を覚えつつもなんだかんだブルシットジョブ的なのに従事してくすぶっている上の世代をみて、「手に職つけてブルーカラーやる方がやりがいあるし人間的だし給料もよくね?」と一気に出し抜いて、労働市場の風景がガラッと変わる展開はあるかもしれません。上の世代をバカにしつつ、世代ごと(足並みを揃えて)社会の需要のエッジを掴みに行く。高卒がマジョリティの世界へ。

そうすると、若くして仕事以外でやることがなくなるので、全体としては個人主義や多様性を基調としつつも、「そろそろ結婚するか」という人が相当数出てくる。少子化の流れにブレーキがかかり、あわよくば反転するとしたら、こうしたシナリオに期待するのも一つかもです。

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