遊亀

哲学者/投資家/京都

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    労働や資本主義についての記事をまとめました

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最近の記事

脱ホワイトカラーで出生率反転

Axiosというアメリカのニュースサイトを見ていたら、こんな記事があった。 題は「技術職がZ世代の間で復活」とある。配管、溶接、建設といった技術職界隈で、人手不足を埋めるため、ますます多くのZ世代が雇用として吸収されているといった趣旨の記事です。 背景には、えげつなく高額な大学の学費や、奨学金返済問題、さらには「大学を出たところで」まともな職にありつけるとは限らないといった状況がある。記事によると、実際に、高校の職業訓練プログラムへの入学者数が増加しているのとは対照的に、

    • 医療は過大評価されすぎ?

      平野克己さんの『人口革命』という本を読んでいたら、20世紀の人口爆発(15億→80億)は、なんといっても農業生産性の向上がデカいということが指摘されていました。 農業革命が最初に起こったのは18世紀のイギリスですが、19世紀にはドイツの化学者が大気中の窒素からアンモニアを生成することに成功し、それを原料に大量の窒素肥料が農業生産の現場に用いられるようになった。20世紀にはこうした肥料技術がアジア・中南米など途上国にも広がり、世界の農業生産力は爆発的に向上していったわけです。

      • 書店の減少や資本主義の持続可能性についてあれこれ

        書店の減少というニュースをあちこちで聞きますが、この流れについて、どう考えますかね。 ある意味、資本主義が成功している証拠でもあるのかなと。 需要が飽和した「高原社会」(山口周)では、認知資本主義みたいな動きが強まる。認知的格差こそは差異を生み、したがってカネを生むわけです。 産業の高度化が極まると、知的格差が付加価値の源泉になる。そういうところでしか「稼げない」ようになる。 資本主義の持続可能性という点では、したがって、本の文化は衰退した方がいいし、というか現に、出

        • 枚方と京阪帝国

          久しぶりに枚方に行く。用事があったわけではない。ふだんとちょっと景色を変えて、街のフィールドワークをしてみたくなったのだ。 三条から京阪で向かう。30分ほどで着く。枚方市駅は木目のフロアになっていて穏やかな気持ちになる。改札を出ると惣菜屋やパンの出店、無印良品があり、お腹も空いていたのでメロンパンを一個買った。 駅を出ると、東側にひときわ高いビルが聳え立っている。前来たときはなかったが、周囲に高いビルがない分、存在感は抜群だ。 ビルは、枚方駅再開発の一環として、商業施設

        脱ホワイトカラーで出生率反転

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        記事

          生産性の低さは「問題」か?

          日経新聞で「生産性停滞、要因と対策 『豊かさ』への新たな戦略探れ」という記事があった。いろいろと考えさせられるところがあったので、少し書いておきたいと思います。 記事はまず、日本の労働生産性の低さを指摘しています。各国と比べ、特にここ 10 年ぐらいで大きく順位を落としているんですが、この間、政府はアベノミクスに代表される、財政・金融政策頼みの経済運営に終始してきた結果、生産性向上のための構造改革が看過されてしまったのではないかとの問題提起は鋭いです。しかし、だからといって

          生産性の低さは「問題」か?

          カーボンリサイクルとプチ復習

          日経新聞を読んでいたら、「三菱ガス化学、工業地帯CO2を資源に 水島で地産地消へ」という記事があった。 ほうほうと興味をひかれながら読んでみると、脱炭素の文脈で、工場で排出される二酸化炭素を回収してメタノールへ生成し、医薬品や燃料として再び利用しようという試みだそうだ。 炭素を回収して循環させていく。これを「カーボンリサイクル」と云うそうで、経産省の資源エネルギー庁も、近年この概念を打ち出して脱炭素なSDGs社会に向けて動き出している。 「CO2の地産地消」とは呼び慣れ

          カーボンリサイクルとプチ復習

          「働かざるもの食うべからず」を考える

          SNSのXでこんなポストがあった。 労働は、今日において最もホットな問題の一つだ。みんな、労働のことで悩んでいる。ちゃんと就職できるだろうか、正規職員に無事昇格するだろうか、そもそもこの仕事に意味はあるのだろうか、人を救う体でそれより多くの人を傷つけていないだろうか、AIに奪われない仕事とは何だろうか、なぜ自分より働いていないアイツが高給取りなのだろうか。 現代人は働きすぎだとよく言われる。「一日8時間・週5日」というのは、昔に比べるとマシになった方なのかもしれないが、や

          「働かざるもの食うべからず」を考える

          西田幾多郎を読む

          最近、にわかに日本思想への関心が芽生え、西田幾多郎の『善の研究』を読んでいる。 『善の研究』は西田の主著とされるが、その大部分は郷里の金沢で高校教師をしていた頃に書かれたものである。1910年に京大に招聘され、翌年の1911年に本書を上梓している。 1910年ごろといえば、ちょうど元号が明治から大正に変わる時分、銀座でカフェーパウリスタが開業し、三越が呉服屋から百貨店に転換する頃合いである。産業革命を経て都市が発展し、喫茶店や百貨店を中心に、日本史上初めて、都市大衆文化な

          西田幾多郎を読む

          斎藤幸平の「語り方」について

          1月7日の朝日新聞朝刊を読んでいたら、「気候危機と人類の今後」と題した対談記事があった。東京大学の斎藤幸平氏と、社会理論家のジェレミー・リフキン氏のリモート対談だ。 記事のリードにはこうある。 「人類の持続可能性」というテーマは、最近、私もよく考える。この二人とは少し違う角度からだが、斎藤幸平氏が指摘するように、地球の天然資源の収奪は深刻であり、環境という観点から人類の未来を考えることの重要性は否定しようもない。 一方で、この記事を読んでいると、いろいろと違和感を抱く物

          斎藤幸平の「語り方」について

          選挙イヤーと年頭所感

          新春、あけましておめでとうございます。 毎年神社でひくおみくじで久しぶりに「吉」が出たので、気候も暖かいし、ちょっと良い正月かなという気持ちで過ごしている。子どもの頃はしょっちゅう大吉を当てていたけど・・。しかし、そんな微温的な正月の感触も束の間、いきなり年初から衝撃的な痛ましい災害そして事故が起きた。遠くからですが、犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。 年初のそういった「事件」のことも受け止めながら、今回は、2024年に世界で予定されている数々の選挙について、概観的

          選挙イヤーと年頭所感

          森の生活

          鷲田清一の本を読んでいたら、ふいに「ことばの森」という表現に出くわして、しばし唸ってしまった。 しっくりとくるものがある。 僕がふだん本を読んでいるときも、じつは紙の上でことばの森を歩いているような体験をしているのだろう。森に入り、大地を踏みしめながら一歩一歩前に進んでいく最中にも、足裏感覚で森の肌理を確かめている。木々のにおいで生命の濃さ薄さを半意識的に捉えている。森を歩くとは、毛穴をいっぱいに開いて元素の加速度に身をさらすこと。そうして、環境に臨する神経を育て、鍛える

          森の生活

          AI時代、人間力で勝負? しかし、謎の人間力なるものをシコシコ換金させられている時点で負けが込んでいる。ではベーシックインカムはというと、それでますます人間は暇と退屈を持て余してしまう。幸福でいることが難しい時代になりそうだ。

          AI時代、人間力で勝負? しかし、謎の人間力なるものをシコシコ換金させられている時点で負けが込んでいる。ではベーシックインカムはというと、それでますます人間は暇と退屈を持て余してしまう。幸福でいることが難しい時代になりそうだ。

          エッセンシャルワークは本当に「エッセンシャル」か?

          という場合によっては不謹慎ともいえる問いを、改めて検討してみる。 昨今、そこかしこで「社会を支えている、彼らなしでは社会が立ちゆかないエッセンシャルワーカーたちの賃金があまりに低い」という声を耳にする。 「賃金があまりに低い」という感慨には、その逆の「本当は要らない仕事なのに、そういう仕事に限って謎に高収入である」という事態が暗に念頭に置かれている。そういうのは今日「ブルシット・ジョブ」(クソみたいな仕事)という便利で的確な言葉をあてがわれたりもする。 職業に貴賎はない

          エッセンシャルワークは本当に「エッセンシャル」か?

          山極寿一『共感革命』を読む

          山極壽一著『共感革命』を読んだ。 山極氏は霊長類学者でとくにゴリラ研究の世界的権威とされる人物だ。2014年から2021年まで京大総長を務めた。 僕自身も、山極先生が総長に選ばれる直前、一般教養の授業をいちどだけ受けたことがある。教科書を説明するだけの講義だったので、先生自身もつまらなさそうに授業されていた記憶がある。自分の仕事場はこんな狭苦しい教室じゃなくてゴリラのいるフィールドなんだと言わんばかりの何かが伝わってきて、逆になんか京大らしくていいなと好感を抱いたのを覚え

          山極寿一『共感革命』を読む

          二条駅界隈

          だいぶ冷え込んできた。 夕方、近所のスーパーに向かう道中、冬の到来を肌で感じる。 二条城に隣接する中京中学校。運動場には大きく "Everything is practice!" と掲げられている。シンプルながら含蓄のあるフレーズだ。 日本語は便利なので、「すべてが練習だ」と訳せば、日常の一挙手一投足、そのすべてを本番のための練習としてフルに活かしていこうというストイックなニュアンスになる。一方で「すべては練習だ」と訳せば、結局は本番の試合だって普段の練習の延長線上にあ

          二条駅界隈

          ある一日

          今日は16時から脱毛の予約があるので四条烏丸方面に歩く。 ラクエのスタバがいっぱいだったので、SUINA室町のアンドコーヒーで休憩。しばし読書をする。前方の客のパソコンの壁紙が、胸元を強調した女性キャラの性的な画像。席を外していた客がやがて戻ってくると、着飾った若い女性。たしかに、男ならあそこまで堂々とあんな画面を放置できない。にしてもどんな趣味なのだ? 脱毛を終え、四条通を西に歩く。西洞院の八百屋でトマトやピーマンなどを買い、次はさらに歩いて二条駅のライフへ。休業中のコ

          ある一日