3.池袋深夜2時を強かに

夏の暑さが少しだけ和らいだ9月の金曜深夜。池袋駅前の喫煙所での出来事だった。上司が「もう辛い……。家族に会いたい」と煙と一緒に吐き出した。そりゃあないよ……が私の正直な感想だった。

プロジェクトの佳境で水曜日から金曜の仕事が終わるまでに私も上司も計4時間も寝ていない。家にも帰れていない。金曜にやっとの思いでひと段落した瞬間には会議室で抱き合うでもなく、胸を撫で下ろした記憶は辛うじてある。しかし、次の瞬間には社長から「まぁ、こんなもんだよね……」という心無い言葉。
続けて「これ土日はどうすんの?」なんて言う始末。上司の顔がみるみる真っ赤になり大の大人が爆発する瞬間を初めて見た。なんてことがあったあとの池袋駅前喫煙所、ちなみに東口。

"仕事"がしんどいや辛いではない。彼はただ家族に会いたかっただけだ。心底家族を愛する人だった。紫煙を燻らせながら上司の泣き言を聞いていた。
電話口から「もう早く帰ってきてよ」という妻らしき人の声。「ぱぱー」という幼子の声。とめどなく溢れる涙。
私はそんな声を聞きながらくしゃくしゃになったセブンスターにまた火を着けた。上司は優秀なプロデューサーだった。実績もあった。それは私が知っているくらいに有名どころで有名なものを作っていたぐらいだった。年収は1000万を超えていた。

そんな人間の泣き崩れて、情けない声を上げている姿を私はこれから先見ることはないだろうとなぜかその時確信した。
簡単な話だ。上司にとって仕事よりも家族が大切だった。それだけだ。
でもそれに気づかせたのは社長の心無い一言でもあったように思う。結局仕事は人間と人間の繋がりでできている、一方がそれをないがしろにした瞬間に崩れて消えてしまう。

そんな金曜日を過ごして泥のように眠った土日が終わり、月曜日に出社すると5歳くらい老けたのではないかと思うほどの表情をした上司に会った。
土日に家族サービスで出かけたところドライブ中に居眠りしそうになり事故を起こしたのだという。家族に怖い思いをさせてしまったことを酷く気にしていた。

その次の週に上司は会社を辞めた。
私は取り残された。鬱や適応障害、体の悲鳴、コロナ全部が一気にやってきた。大義という栓が抜けて、限界の濁流に巻き込まれた。どこまでも人間らしかった上司がいなくなって、私は人間を見失ってしまったのだと思った。冷えピタを張ったとき、その人間らしさの病熱に苦しめられているんだと悟った。

池袋駅前喫煙所、ちなみに東口。上司が目を腫らしながら涙を溢れさせる。情けない声を上げて電話で会話する。私はそれを見ながら煙草の煙をくゆらせて『嗚呼、この人はなんて幸せなんだろう』と思った。この人と私の間には煙だけを通す薄い膜でもあるんじゃないか。巨大なスクリーン広告の光に照らされて『今ここで私も一緒に泣ければ私も幸せだったんだろう』とも思った。

あの時の私は、池袋深夜2時に精一杯強がった。

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