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うつろい。


 バスに揺られてオフィスへ向かっていた。休日出勤というやつだ。市街地へ向かう日曜の朝は混雑もなく、静かな車内で心地よい振動を感じながら、イヤホンから流れてくる控えめな音量の音楽に耳を傾け、見るともなく外の景色を眺めていた。梅雨が明けたのか明けていないのかよくわからない天氣で、曇っているのに爽やかに晴れ渡る雲間から、一筋の光が降りてきて、足元だけが少し、あたたかい。


 大通りに差し掛かった時、バスの振動とは異なる振動を、膝に載せた鞄から感じ取った。振動の長さからして着信だと察するも、日曜のこんな時間に?誰だろう?まあどうせ、今は出られないし…と、鞄を漁ることもなく、ぼーっと外を眺め続ける。反対車線の向こうに目を向ければ、煉瓦調の図書館が見える。文字通りテラコッタ色をしたその建物の玄関には、開館前の行列ができていた。テスト期間の学生だろうか。遠目には学生なのかそうでないのかは、判別ができない。後方からイヤホン越しに『ママ、いっぱい並んでる』というあどけない子どもの声を、聴くともなしに、ぼんやり聴いた。程なく同じ停留所で降りたその子は、濃い水色のワンピースを着ていた。夏の空がそのまま地上に降り立ったような爽やかさで、初夏の緑に、よく似合っていた。


 停留所のベンチに腰掛けて、スマートフォンを確認する。スマートフォンがこれだけ普及しているのに、通話アプリのアイコンは、未だに受話器の形をしていて、なんだかおかしい。その傍らに『1』と添えられている。やはり着信だった。


 タップして履歴を確認すると、それは、登録のない番号からの着信だった。







 しかし、よく知っている番号だった。









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 『このままだと、子どもは産めないかもしれません』


 何の疑いもなくありきたりな未来が、この足元から続いていく道の途上にいつか現れると、思うともなく漠然と思っていた、20代前半のことだった。健康診断で再検査と申し渡され、受診した婦人科でそう告げられたとき、少なからず、たじろいだ。

 しかし、どことなく、嗚呼、そうかもしれないと、思うともなく感じていた、氣もする。


 大人になればなるほど、兄弟姉妹友人知人たちという身近な存在は子どもに恵まれ、時々とはいえ触れ合う機会があるものだ。その度に、子どもは宝物だな、愛おしいな、と思うのだが、当時は『子どもが好きか』と聞かれても、正直、よくわからなかった。


 結婚さえしていない。自分が親になるなんて想像もできなかった。だから、妊娠できないかもしれないと告げられたとき、それが何を意味しているのかよくわかっていなかったような氣もするし、『嗚呼、そうかもしれない』とやんわりとどこかで受け止めておくことで、事の理解が進んだときのショックを和らげていたような、氣もする。


 この出来事は、当時の恋愛に影を落とした。結婚を考えていた当時の恋人は、付き合い始める前から子どもが好きだと公言しており、実際、甥姪を溺愛していた。そして当然、将来は子どもを欲しがっていた。だから、出産できない可能性があると告げることは、私にとっても精神的に、楽なことではなかった。彼のことも、彼との未来も、愛していたのだ。懊悩の果てにとうとう打ち明けたとき、彼は理解を示してくれた。しかし、言葉にせずとも彼にとって重大なことであったことには、変わりなかったのであろう。その場で別れ話にはならなかったものの、私という存在はいつしか、腫れ物になってしまった。子どもや将来の話をすることは徐々になくなり、彼が描く未来に、いつしか私は存在しなくなった。


 最後には、『他に相手がいる』と打ち明け、別れを告げた彼から、子どもに関することを示唆されつつも理由をはっきり言われなかったことのほうが、今思えば悲しかったような氣もするし、言われなくてよかったような、氣もする。子どものいる家庭を望むことは素晴らしいことだ。善悪でジャッジするものでは決してない。ただ、私との未来より、私ではない誰かを選ぶ理由に、出産できない ”かもしれない” という、検査結果に基づく医師の曖昧な未来予測が否応なく持ち出されたのかと思うと、悲しくてやり切れなかった。


 若かった、と思う。誰も悪くないのに、ひたすら悲しかった。言わなければよかったのか?そんなことができただろうか?何が正解だった?何が間違いだった?いくつもの夜を泣き明かし、これが愛だと信じて疑わない時間をどんなに積み重ねても、それは結局、”条件付きの” 愛だったのだと、次第に理解した。ではそれは、そもそも愛だったのか?では愛とは果たして何たるか?という永久的な命題…つまり誰もが迷い込み得る迷宮を、脱出する氣もなくただただ、何かにぶつかったら右へ左へと当てもなく彷徨う日々が続いた。彼が選んだことを肯定できず、なぜ?なぜ?と繰り返し、仕事に没頭することでそのなぜ?を忘れ、いつしか忘却の彼方へ彼もろとも追いやった。彼の幸せを願えない自分も、こんなやり方でしか忘れられない自分も、当時は嫌で仕方がなかった。


 今は、『ただ縁がなかった』と、その一言で片付けられることを受け入れられるくらいには、大人になったと思っている。









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 適齢期を超えてしまって恋愛に興味が持てない女か、結婚を諦めて仕事に走る女か。周りにはそんなふうに思われているんだろうと自覚している。『言われているうちが華だよ』という枕詞を添えながら、私への親しみと愛を持って、全くの良心の下にいそいそと誰かを紹介しようと話を持ってきてくれる知人はいるが、それが、どんなに素晴らしい人でも、友だちはおろか知人以上の関係にはどうしてもなれず、ごまかしながら、のらりくらりしている。妊娠できる可能性が低い、というのは、今も変わらないらしい。何度かクリニックを変え、年に一度検査を受けるが、毎度、異常はない。もうずっと平行線だ。このことは、ごく一部の親しい間柄にしか打ち明けていない。


 相手によっては子どもを望まない人だって探せばいるのだろうが、そういう問題ではない。あの頃の私は未熟で、私を丸ごと、ただただ愛して欲しかったのだ。良いところも悪いところも、こうだから好きだとか、こうだから愛おしいとか、理由なんて欲しくなかったのだ。あの別れで、 ”条件付きの愛” が少なからず存在することを知り、それなりに傷ついた幼氣な女の子を、未だに飼い馴らしている。誰とでもそれなりの、良好な人間関係を作ることはできても、自ら恋に落ちることはなく、向けられた恋に応えることもできずに、時間ばかりが過ぎていき、最近になってようやく、とやかく言われることも少なくなって楽になった。『楽だと感じていることが問題だ』と指摘する友人もいるが、そうだろうか。正直、寂しくはないのだ。周りから愛されていると自覚しているし、恵まれている。孤独を感じることは少ない。ただ、なんとも言えない、虚しさがあることは、否定できない。その原因は、ある人に言われた言葉にある。


 『子どもがいない人は、どこまでいっても半人前』


 無責任な言葉だった。人が発する言葉というのは、案外そんなものだろうが、そうか、じゃあ私は、一生かけても半人前かもしれないのか…と、滅入ったのを憶えている。ある夜、ビール片手に親しい友人に打ち明けると、『それはマウントを取っているだけ。自由なお前のことが羨ましいだけ。氣にするな。昔はどうか知らないけれど、今はそういう時代じゃないから』と、慰められた。救われたことに違いはない。日ごろ氣にしてはいない。しかし、燻っているから、時々思い出すのだ。『たとえ半人前でも、半人前同士、条件なんてない愛で結ばれたなら、二人でやっとでも、一人前になれたりするのかな。そんな単純な足し算が、成り立てばいいのに』と呟くと、『あんたは大丈夫よ』と言われた。そんな、なんの根拠もない『大丈夫』が、ビールに混ざって、沁みた。


 別れて3年が経ったころ。同じように一度、着信があった。出ようと思えば出ることができたが、自分でも驚くほど動揺してしまい、結局出ないまま相手がコールをやめるまで固まっていた。あのときは、『なんで今更』とか、『絶対に出てやるものか』と、意固地になったような、氣もする。それから数日置きに何度か着信があったが無視し続けて、ようやく鳴らなくなった。その後共通の知人から、”結婚して、別れたらしい”  と、何かの折に聞いた。









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 完成した書類のチェックが終わってふと、休憩しようと手を止めて伸びをした頭に、今朝の着信が蘇る。あれからさらに、3年が経ったのか。随分と遠くへ来てしまったものだ。9階という高さから、窓の外を眺める。外は風が少し強いらしく、雲がどんどん形を変え、流れていく。梅雨明けの爽やかな青が勢力を増し、今やスピード感を持って移ろう空は、バスの中から見たそれとは、別物になっている。あの頃もしも、出産できていたらと、そんな虚しい夢想を、これまでに何度しただろうか。今朝の子どものように、ママと呼んでくれる存在がこの手を握る。お氣に入りのワンピースを着せて、こんな初夏の爽やかな空の下を、一緒に歩いただろうか。そんな虚しい夢想を、虚しいとわかっていながら何度、これまでに繰り広げただろうか。


 この命は、生まれる前にある程度のことを決めていて、環境や境遇もすべて自らの意思で決めている。そう、信じている。だからこの身に起こること、目の前で見せられるものすべて、自分事だ。身体的な特徴のそれも同じこと。宿命、運命として、受け入れたほうが良い。変に自分探しよろしく迷子になるより、よっぽど良い。この体も心もすべて、自分で選んで生まれてきたのだ。喜びも悲しみもすべて、それ故感じられるものだ。受容するほうが賢明である。だから与えられたこと、自分にできることをして、慎ましく生きていく。紆余曲折の果てに、そんなふうに受け止め、思うようになった。


 そう。そうなのだ。それなのに、そうやってやっと生きている私の平穏を、未だに多少なりとも揺るがす存在なのかと思うと情けなくて、一人きりの広すぎるオフィスに失笑が漏れた。それはまるで冬の吐息のように烟って、硝子一枚隔てた向こう側の初夏を求めるように、切なく溶けていった。


 記憶の中の君は歳をとらないから、あの頃のまま思い出される。共に歳を重ねていたら、君はどんな風に変わっていったのだろう。私はどんな風に変わっていったのだろう。私たちは、どんな人になっていたのだろう。今より幸せだろうか。否。比べられるものではない。これとて、虚しい、切ない夢想である。君は、今幸せなんだろうか。幸せならば、電話をかけてこないのではないか。仮定する。推測し。観測し。考察して。否、別の仮定。否。仮定。否。仮定…





 答え合わせのできない答えを求めてしまうのは、人の性か。それとも、私の愚かさ故か。





 愛していたの。だから、別れたのよ。





 愛されていたの。だから、言ってくれたんでしょ。






 『幸せになってね』と。









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 バスに揺られて帰宅していた。日曜の夕暮れ時は混雑もなく、静かな車内で心地よい振動と眠氣を感じながら、イヤホンから流れてくる控えめな音量の音楽に耳を傾け、見るともなく外の景色を眺めていた。梅雨が明けたのか明けていないのかよくわからない天氣だったが、曇っているのに爽やかに晴れ渡る雲間からはオレンジ色の空が見えて、なんとなく落ち着く。


 大通りを走ると真横に現れる図書館はすでに閉館していて、昼間の活氣をもう忘れてしまったかのように、テラコッタ色の外観も、ゆっくり影を纏っていく。イヤホン越しに運転手が、次の停留所の名を口にしたのを、聴くともなしに、ぼんやり聴いた。程なくして私一人だけ降りた停留所の目の前を、風に膨らんだシャツを連れて、大学生くらいの男の子が自転車で走り去っていった。初夏の緑によく似合う、彼が好きだった、真っ白なシャツだった。



 



 手にしたスマートフォンの着信履歴に目をやる。画面に浮かび上がるのは、スマートフォンや通話アプリがまだ、当たり前じゃなかった頃。毎日のように目にしていた、忘れていなかった、電話番号。




 『私ね、幸せよ』



 停留所のベンチに座って、そう独り言ちた。顔を上げると、生垣に紫陽花が咲いていた。”移り氣” なんて花言葉をもらった花君たちは、その移ろいを、今は深い藍色に留めている。明日は何色になるの?と、心の中で問いかけた。この電話番号の持ち主も、明日にはまた別の色を少しだけ纏って、私だけの、記憶の中の君から、遠ざかっていくだろう。





 立ち上がり、紫陽花に向かって『その色、好きよ』と囁いた。数メートル先の横断歩道で立ち止まる。


 間もなく信号が変わる、大通り。


 行き交う車がスピードを落とす。


 刹那、停止する街。

 氣怠い静寂がこの手を撫でて、着信履歴を真っ白にしたとき、信号は、青になった。





 先頭の車が、停止線を超えていく。後続車の走行音で、静寂が解かれる、交差点。







 横断歩道の白線を踏みながら、私は君の、手の届かないところへ。









 移ろいながら、歩いていく。











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#2021年夏の創作
テーマ:せつない夏
コンテスト参加作品


夏の創作にぜひ。




flag *** hana


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