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シュレッダーな思考。



朝の打ち合わせの時間が変更になり、夜オンラインで行うことになった。特段他に予定を立てていたわけではないので、問題ない。計画があったとてその通り達成することに特段の喜びを覚えないわたしは、『かしこまりましたー』で対応できる人間です。偉いっしょ。


というわけで、時間ができた。


何しよっかな。仕事をする時間は欲しいけど、切羽詰まってるわけでもないし、だったらちょっと他事しようかな。今日も絶好調に花粉が飛んでそうだなー…はい、出かけたくない。あ、出かけないんだったら、鞄。使わないじゃん。洗お。洗っちゃいましょう。はい、次。積読本が目に入る…氣になるけど一先ず片付けましょう。きっと今日も読まないよ。残念だ。崩そ。積読、崩しちゃいましょう。あ、マウントレーニアのさくらラテ、買ったんだった。あんまりこういうの普段は買わないんだけど、『さくら味って何味?』というやりとりが最近あって、つい買ってしまったんだった。飲も。飲んでみましょう。んー。うん。こんなもんかな、いや美味しいですよ、普通には。普通って何。でもさくら味を求めるなら、やっぱ桜餅がいいけどね。食べたいなー。


さて、お次は?








あら。







書類BOXと、目が合ってしまった。











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引っ越しの回数が多い。小さいころから、結構している。だから、物は少ないほうだと思っている。定期的に捨てざるを得ないからだ。


大局的な見方をするならば、『死んだとき持っていけないし』っていう価値観があるし、身軽でいたいという願望があるせいか、基本的に所有欲もあまりない。どうせ、何にだって未来永劫はない。移り変わっていってしまうなら、ここで堰き止めておく理由がない。


とはいえ、社会に出たらそうもいかない物がある。


そう。そのほとんどが真っ当に読まれることのない葬列のような文字列を抱く書類たちよ。何かの契約書や公的な通知の数々よ。そのほとんどが、読みたくなくなるように印字しているのだと言っても過言ではないほど、死んでいく言葉たちが並んでいる。中には、『〇年は保存しておいてちょ♡』って簡単に謳われている輩たちもいるけれど、場所を取るのよ。紙って結構重いから、定期的に見返さないとあとが大変なのよ。


”小音設計” と謳ってあるのにまあまあうるさい、A4で5枚までしか重ねて処理できない古いシュレッダーに少しずつ書類をかけながら、『もういいでしょ、捨てても』と思うものを片っ端から分けていく。そう、シュレッダーをかけながら、書類を分けていくのが鉄則。どうせすぐ、熱を持って止まるんだから。


あ。ほら、止まった。







そして分け終わったから、こうして合間合間に note を書く。













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前職のときの雇用契約書、給与明細なんてものが出てきた。『嗚呼、わたし、会社員だったんだな』と、とても他人事のような目で、今は紙切れとなした書類の束を眺めてしまう。繁忙期の残業時間、それに伴い支払われる残業代。嗚呼、よく働いたんだな。


賞与の査定結果が記された通知も出てきた。直属の上司、そのまた上司、社長の印鑑が押印され、技能、積極性、協調性、倫理観…等々、数多あるさまざまな項目に点数がつけられ評価され、賞与が決まる。


同じ土俵に並べることなんてできない人間を無理矢理同じ土俵に立たせ、同じ物差しで評価すること、されることが、嫌いだ。控えめに言って嫌いだ。はっきり言って嫌いだ。人それぞれの能力を見抜けず、上手く部下を扱えない上司たちのほうが無能だと思っていたし、そっちが評価するならこっちにも評価させてよと本氣で思っていた。かなり辛口採点になったことだろう。


今でも変わらない思考、価値観はある。でも、わたしも変わったな、と思うこともある。


こんな方法じゃないと、評価したくてもできなかったんだな、残念だけど。評価したくても、ではなく評価しなければならない、と表現したほうが社会的体裁としては正しいだろう。何も言わなくても思った通りに働いてほしい、それが本音だったろう。本音と建前が違うことくらい誰だってわかっている。社員もバカじゃないんだ。組織の中で公平性をどう実現するかって、今の社会システムじゃほとほと難しいと思う。早く壊れてしまえばいいのにと、自由になった今でも、いや、だからこそ思うのかもしれない。


ほんっとに生意氣な社員だったと思うけれど、それでも賞与をくださってありがとうございましたと、今なら言えるなあ。わたしもそれなりに頑張っていたし、会社も応えてくれたことはあったと思う。上司からのコメント欄に、『〇〇さん(わたし)の担当案件は精度が良く、お客様からの評価も高い。非常に助かっています』と書いてあった。当時はそのコメントを見て、きっと素直に喜んだりしていなかった。今は、『ありがたいなーそうだったらいいなー』と、なんとも穏やかに眺められる。変わったもんだ。


整理する書類の中には、退職した際に各種書類を送ってくれた本社総務の方の名前があって、あるやりとりを思い出した。


『話しにくいこともあると思うんですけど、どうして辞めることになったんですか?今後のために、会社としても改善できることはしていきたいので、よければ教えてください』


そんなことを電話で言われたんだった。


『お察しの通りです。言うわけないでしょ』と言いたかったけど、あのときは飲み込んだ。『他にしたいことができたので』とか適当にお茶を濁して通話を切った。







不自由な安定が、合わなかったんですよ。
だから、自由な不安定を選びます。







もし今同じことを聞かれたら、そう答える。実際やってみたら、楽しいし。仕事を辞めるときは不安もあったけれど、今はまったく後悔していない。お金じゃないところに豊かさがあることを実感しているし、好きなことで誰かの役に立てることを、会社を辞めていなければ知ることはできなかった。貨幣経済というアホらしい社会の中で生きていくにはお金は必要だけれど、イコール幸せには決してならない。







みんなどうしてるかな。幸せならいいけど。







書類を見つけなかったら思い出さなかった、会ったこともない本社総務の偉い人とのやりとり。時に過去は、現状を知る物差しになる。関わってくださった方々。ありがとうございました。もしご縁があったら、また会うだろう。まあ業界が全然違うし、ほぼないんだろうけど。そうして申し訳ないけれど、わたしはこの人たちのことを、どんどん忘れていくだろう。そうしてわたしも、忘れられていく。それでいいんだ。







あ。シュレッダー復活。
急に動かないでよ、びっくりしたじゃん。







こんな他愛ない思考も、感謝の氣持ちとともに。







全部まとめて、シュレッダー。








flag *** hana



今日もありがとうございます♡









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