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雨。


窓越しの世界が、直線で切られていく。


アスファルト。コンクリートの壁。電柱。路駐された車。傘。人間が創ったものすべてを叩きつけて跳ね返る飛沫は、この乾いたインナーバルコニーにも侵入した。あれよあれよという間に、竿に雨雫が連なって、ぽたぽたと滴り落ちて染みをつくっていく。


不穏な音が聴こえる。
“ゴロゴロ” と表記するには可愛すぎるそれは、肚の底を刺激して日ごろ窘めている恐れの目を覚まし、あるいは遥か昔、とっくに捨てたはずの幼子のような怯えを呼び戻しながら、だんだんと近づいてくる。


遠雷が連れてくる瞬く間の通り雨。向かいの住宅のバルコニーに干された洗濯物は、一瞬にして触れるものすべてを、吸い込んだ。きっと帰宅した家主の憂いをも、吸い込むに違いない。


家主がどう感じるのかなど、わかるはずもない。自らの経験という物差しにあてがって、おそらくこうだろうと予想をするのが、人間は好きだ。黙っていても、わかることもあるし、この目で見ていたとて、わからないことも、あるのに。
















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あの日。
君は、絵を描いた。


畳んだ傘の先から伝う雨で、歩きながら絵を描いた。乾いたコンクリートに、一筆書きで。


それは、花の絵だった。


こどものような行為だが、上手く描画されていた。だが、私には何の花かわからなかった。


色をつけられたらいいのに、と。
確か君は、言った。


花言葉は色で変わるんだから、と。
確かに君は、言った。


最後に私の名と、君の名を、添えて。











あの日、どれくらいそこにいただろうか。傘では凌ぎきれないほど降ってきたために、雨宿りに飛び込んだ、バス停で。互いに、交わす言葉もなく。乾いて消えていく花の絵と互いの名を見つめながら、この通り雨が過ぎ去るのを、待っていた。


いや。このまま、と。
思っていたのかもしれない。


同じものを見て、同じものを聴き、同じ時をどれだけ過ごしても。私と君は深遠に異なる存在なのだと、氣づかされるばかりだった。


私は、雷雨が嫌いだった。君は、こんな急襲の雨すら、愛することができる人だった。憎むことなど何もないと。花を、描いてみせられるほどに。ここにいるよと、互いの名を軽やかに記すことが、できるほどに。











乾いて消えていくことも、知らずに。














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小雨になり、次第に窓越しの世界が明るくなっていく。あれよあれよという間に竿に連なった雨雫は、滴り落ちるのをやめて太陽の光を反射させている。君が見たらきっと、喜んだのだろう。今ならば、教えてやることもできるのに。


離れてわかったこともあるが、この目で見ていたとて、きっと今でもわからないことばかりだったろう。君にこの、雨雫の美しさを説いたとて、今頃氣づいたの、とでも言われればまだ良いが、虚しい夢想が雨のように記憶の君に降り注ぎ、実態も温度ももう此処にはないことを知らしめるかのように、君というホログラムを通過してぽたぽたと染みをつくる、だけ。


向かいの住宅のバルコニー。洗濯物は、干されたまま。このまま家主が帰宅する前に、何事もなかったかのように、乾いてしまえばいいと思う。


あの花と、ふたつの名のように。
通り雨のように。
何事もなかったかのように。















こんなふうに足掻いても、君の名は忘れられない。あの花の名は、ずっと、わからない。花の名を知ったとて、コンクリートの色をした花では、君が伝えたかったことは、わからなかっただろう。


それでも。
今、あの花の名を、知りたいと思う。確かに君だけが知っていた、あの花の名を。あの日に戻れなくても、伝えたかったことを受け取りたいと、今更に願っている。











自己満足だ。答え合わせがしたいのだ。











きっと、私はわかっていた。
わかっていたのだ。


窓越しの世界をまっすぐに切っていく、通り雨のように慄然と。遠雷に立ち向かう瞬間、この生に氣づきを与えていく。


渇いた私の心を潤していた。


君の、透明な愛を。







flag *** hana



今日もありがとうございます♡


















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