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カフェでお釣りが増えた瞬間

平日の朝にコーヒーを飲みにいく近所のカフェがあります。早朝から営業していて、労働者が休憩に朝ご飯を食べに来るような、スペインでよくある昔ながらの食堂といった雰囲気ののお店です。

テラス席もあるので、夏になれば観光中のツーリストが外でビールを飲んだりしているけど、お店としては観光客を積極的に呼び入れる気はさらさらないようで、英語のメニューも全く用意していない。夕方には閉まるし、土日は閉店、カレンダー通りにのみ営業する、地元の人たちの生活に密着したカフェです。

家族経営のお店は、お父さんとお母さん、その息子、もう1人女性(たぶんお父さんの妹かな)の4人が働いていますが、1日にお店に立つのは2人だけで、全員を同時に見ることはありません。お父さんは「私はもう引退したはずなんだ」と言いながら、しばしば店頭に立っています。

お客さんたちはお店の人たちと顔見知りなので、時々(たびたび)、キッチンの中にいるお母さんに話かけに、ズカズカと喋りながら厨房に入っていく人もいます。お店が忙しければ、客が食器を下げたり、手伝う人の姿もあります。

ここのコーヒーは、特に豆にこだわってるとか、おしゃれなカップに出てくるとか、そういうのはありません。決して高くない、庶民の(労働者の)飲むコーヒーです。水を飲むみたいなコップに入って出てきます。でも、ひたむきに毎日着実に働くこのカフェの家族を見ていると、日々を誠実に生きるってこういうことだな、なんて感じて、また、そんなにおいしいわけじゃないけど、熱くて染みるコーヒーを飲みに、毎週足が向かうのです。

この日のレジ係はお母さんでした。厨房にはもう1人の女性(たぶんお父さんの妹)が働いています。このお母さんは、同じく店で働く息子(20代後半か30代の青年)の母親ですから、おそらく60代前後だと思われますが、ブロンドに染めたカーリーな長髪をポニーテールにして、お化粧が映える華やかな顔立ちで、いつも笑顔で明るい素敵な方です。美しくて、一生懸命働いて、魅力的な女性だな、と、見るたびに感心してしまいます。

このカフェで私と相方は、コーヒー2杯を注文するので、支払いは3ユーロくらいです。普段はカードで支払いを済ませるのですが、この日は小銭をつくりたかったので、私が5ユーロ札を出して払いました。

3ユーロの精算に5ユーロですから、お釣りは2ユーロ返ってくるはずです。しかし、お母さんが手渡してくれたお釣りは、5ユーロ札の上に2ユーロコインが乗って、7ユーロでした。まさかの増額です。レジのやり取りで間違いはこの国では時々あるので珍しいことではありませんが、このお釣りの増額っぷりは派手です。

「お金が増えたよ。寛大すぎるよ」と私が驚いた顔で言うと、お母さんは、「あら!そう?やだ、私、興奮しちゃって」と、赤らんだ笑顔で話し始めました。「息子に赤ちゃんができたのよね。今朝、病院に行ったから、連絡待ってて、さっき知らせがあって。」と、携帯を握りしめて、「私おばあちゃんになったの!」と、私たちに説明してくれました。

高揚した顔、幸せに満ちた瞬間、とはこのことだな、と、お母さんの笑顔に衝撃を受けつつ、私は増えたお釣りの5ユーロを返して、「おめでとうございます」と言い、カフェを出ました。お母さんは、心底、嬉しそうで、美しかった。

息子さんのプライベートなニュースが、本人がいないところで、速報で、カフェ中に知れ渡る。もし、私の親が自分の知らないところで私のことを他人に話していたら、私は間違いなく怒り狂うだろうけど、家族経営のお店で、地元密着で、この環境で育った息子さんにとってはおそらくごく自然なことなんでしょう(じゃないと話の趣きが変わってきますが)。

お母さんは喜びを隠さず、友達でも親族でもない、ただそこにいつもいるカフェの常連たちに伝える。たぶん、息子さんは、これから店に立つたびに、おめでとう、おめでとう、お父さんになったんだね、とお客さんたちから声をかけられるんでしょう。私たちも、次に顔を見たら、きっと言うように。


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