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口の紙幣、再利用の風船、茶碗大のピーナツ

ウルグアイ出身の青年、ニコラスくんと時々話をします。彼はコーヒーを作ったり、カクテルを作ったりする人です。バリスタと呼ぶのかバーテンダーと呼ぶのか、私には彼の正式な肩書きはわからないのですが、10年近くこの仕事をしていると言い、英語が話せる若者で、テキパキと手を動かしながら雑談に付き合ってくれます。

私は現地語が話せるようにならねばと意識だけはしていますが、会話のキャッチボールが成立するには程遠いので、時に自分がまともにしゃべれないことを気にせず言葉を発したいと思うとき、彼が働くバーカウンターをのぞきに行きます。

ある平日の夕方にコーヒーを飲みに行った時、私は「先週の日曜日、あなたがいるかと思って来たんだけど、いなくて。しかも閉店間際だったから、他のところでコーヒー飲もうと思ってね、すぐそばの中国人がやってるカフェテリアに行ったのよ。わかるでしょ?すぐ近くの階段をくだったところにある」とニコラスくんに話しました。

「うん、わかる、角にあるところだね」と彼は答えます。

「そしたら、あそこいつも日曜開いてるのにさ、その日は閉まっててね、ホリデーの張り紙が貼ってあったんだよ。中国人の店ってずっと開いてるじゃん、普通。全然閉めないじゃない、だから、珍しいよね長期休暇とるなんて。スペイン流にしてるんだね」と私は言いました。

スペインの店は、特にこの島は、飲食店であっても日曜日に容赦なく閉まるのが普通で(ツーリスティックな店は開いている)、日曜日にカフェを探すのは一苦労です。しかし通常、中国人が運営している飲食店は開いています。

ニコラスくんは、「中国人がホリデーとって数週間閉めてるのって珍しいね、いいことだよね、国に帰ってるのかもしれないし。たしかに典型的じゃないけど。でも、ぼくも典型的なウルグアイ人じゃないって言われるから、わかるよ。 

 きみが来てくれた日曜の夜にね、友人の誕生日パーティーがあったんだ、だからいつもより早く仕事を上がってたんだ。そのパーティーでね、バルーンがたくさんあったんだよ、飾りにね。それでパーティの終わりにこの風船をみんなで割るんだよね、ラティーノ(ラテンアメリカの人)の習慣で。割って捨てるんだけど。

 ぼくは割らずにまた使えばいい、って言ったんだよね。だって風船が毎回、新品である必要はないと思うから。ぼくは一度使われたものだろうが気にしないんだ。その時ちょっと使うだけで、また他の場面でも飾りつけるなら、それをとっておいてまた使えばいいって思うんだ。そしたら、友達たちに、お前はウルグアイ人らしくない、典型的なラティーノじゃないって言われたんだよね」と話しました。

同郷の友人たちにからかわれたのかもしれませんが、ニコラスくんは、とても堅実な青年なのです。フィアンセとの結婚パーティーを友達をたくさん呼んで盛大にしたいから、お金を貯めてるんだと、以前に教えてくれたことがありました。地道に、誠実に貯金をしているのだと私は想像します。

ニコラスくんは、仕事の傍ら音楽活動をしていて、彼はラップシンガーでもあり、褐色の肌にはタトゥー、耳の大きな穴のピアスが印象的な、タフでクールな若者です。 

彼の堅実に生きている話を聞くと、話すまで人はわからないものだなとつくづく思い知ります。

彼は幼少の頃に家族とこの島に移住してきたので、人生の大半をここで育った青年です。「定期的に親族とかに会いに国に帰るの?」と聞いてみると、「ウルグアイには8年前に帰ってからもう行っていない」と言います。

「外を歩いている時に、バイクが止まって背後から誰かが近づいてきて、生まれて初めて、後頭部に銃口を感じたんだ。こわかった。だからもう行きたくないんだ。ここは(スペイン)安全だし、そんな心配をして生きなくていいから。」

彼の父親は、祖母に会いにウルグアイに帰ることがあるのだが、「一緒に行こうと誘われても、仕事があるから、と断って、行かなかった」と言います。ニコラスくんは家族や親族をとても大切にするタイプの人です。

母国を遠く離れて育ち、幼少期ぶりに生まれた国へ帰省した時に感じた、後頭部の硬く冷たい銃口。

「リアリティが違うんだよ」と以前に私の相方が言ったことがあったのですが、まさに、本当に、そこには別の現実が存在しているのだなと。

「あなたが一度行っただけでそんな危険な目に遭うなんて、あなたのおばあちゃんはどうやって生きてるの?」と私が訊くと、「おばあちゃんは、ずっと同じ町で暮らして、そこから出ないんだ。みんなが知り合いの中で生活してるから大丈夫なんだ」と答えた。

つまり、皆があの子はどこどこの家の子だ、と周知していれば、危ない目に遭わずに生きていける可能性は高いけど、よそ者、新参者は、その加護を得ることはできないのだろうと想像しました。

「ウルグアイでは、銃は合法なの?」と私は聞いてみました。ニコラスくんは「自衛のために銃を持ち使用することは合法だよ。米国と同じだよね。前から撃つのは自衛になるんだ。だけど後ろから撃つのはダメだ、刑務所行きだね。」

正面から撃つのは自衛、背後からは違法。知っておかないと、その後の人生に天と地の結果をもたらしかねない違いです。

「それでね、マフィア絡みの死体には、口の中か、首もとの襟の中に、お札が見えるように入っているんだ。紙幣だよ。それは、この人が、借金を払わなかったとか、何かしらのシグナルなんだ。見せしめだよね。そんな世界なんだ。だからもう行きたくないんだ」とニコラスくんは言います。

彼は私に「ラテンアメリカどこかいったことある?」と訊きました。

「行ったことない。美しいところだ、食べ物も美味しい、と聞くけど、私が知るラティーノたちはみんなソフトでフレンドリーだし、大好きだけど…」と私が口ごもると、ニコラスくんは「いいんだよ、言っても。言いなよ」と促すので、「ギャングとかマフィアとか危険だと聞くから、実際に行きたいと思ったことは、まだない」と言うと「そうだよね、その通りだよ。人はいいんだけどね」と彼も同意した。

私のとても狭い範囲の経験から知る限りのことだけれど、ラテンアメリカの人たちは、とても優しくて親切で、初対面でもすぐに親密になる傾向があり、とてもスイートな人たちという印象があります。彼らの母国の混迷する政治や経済の話を聞くと気の毒に感じるとともに、それがどうしようもない現実なのだなとも思い知ります。

「リアリティが違うんだよ」という相方の言葉が、私の頭の中で繰り返されます。

口から紙幣がのぞく死体。風船は再利用したらいいいじゃない、と言う青年。後頭部に感じた銃口の恐怖。ホリデーで数週間閉める中国人のカフェテリア。どれも同時に存在する現実なのだな、映画の中で展開されるパラレルワールドのようだけど。

などと考えながら、私はコーヒーをずいぶん前に飲み終わっていたので、グラスワインを注文して、ニコラスくんが出してくれたピーナツを食べながら(小皿でくれるのかと思ったら茶碗くらいの大きさで出てきた)、一杯飲んでいたのでした。

▼こちらにもニコラスくん


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