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花丸恵の掌編小説集

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自作の掌編小説(ショートショート)を集めました。
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記事一覧

春と風林火山号に乗って #短編小説

1  とうとうこの日がやってきた。  直紀は抑えきれぬ想いを胸に、帳面駅バス停に到着した。駅前の掲示板に貼られた一枚のポスターに目をやる。    春と風林火山号に乗って新宿に行こう!  弾けるような文字が躍り、そこにはバス乗務員の制服を着た女の子のキャラクターが描かれていた。何度見ても、溌剌とした明るい笑顔が可愛いらしい。  直紀はこれまで、こういった萌え系のキャラクターには全く興味がなかった。それなのに、この女の子には一瞬でグッと心を掴まれてしまった。  このポスターを

フォークソング野郎 #短編小説

 「初夏を聴くと、思い出すんだよなぁ」 「あ?」  人を呼び出しておきながら、航平がまたおかしなことを言い出した。 「何だよ、初夏って」  俺が訊くと、航平は公園のベンチに背中を預けながら、大げさに溜息をついた。 「ふきのとうだろうがよぉ」  意味がわからない。  初夏とは5月初旬から6月初旬までの、ちょうど今くらいの時期のことだ。ふきのとうは春の山菜。季節がバラバラじゃないか。 「ふきのとう? 何だよ。天ぷらかよ」  そろそろ17になろうというのに、俺は未だにふきのとうが

時短と平和 #短編小説

 平和とは……。  突然、妻がそう呟いた気がして目をやると、スマホの画面を食い入るように見つめ、考え込んでいた。  今は夏。終戦記念日も近い。 「やっぱり夏って、そういうことを考えちゃうよね」  夏休みの登校日に見せられた、戦争映画を思い出しながら僕が言うと、 「うーん、暑いから時短もしたいし、やっぱり必要かなって思ってねぇ」  妻はふぅと息をつきながら、スマホをスクロールした。 「時短?」  時短と平和に関わりなどないように思えるが、令和の今、平和よりも、タイムパフォーマ

夜食の相談 #短編小説

 「食べる夜食を、おにぎり、うどん、ラーメンの三種類から選べるようにしてみたんです! それでも、いらないって遠慮するんですよ。どうしてかなぁ」 「はぁ……」  由海は、隣にいる男の《相談》に耳を傾けながらも、そりゃあそうだろうな、と思っていた。  話は五分ほど前に遡る。  由海は、勤めている病院の中庭で昼食をとろうとしていた。  きれいな花壇や、家族に車いすを引かれて笑顔を見せる患者さんを眺めながら、いつものベンチに座り、ほっと息をついたところだった。  本日のメニュー

スクーターブルース #短編小説

 消えた鍵を探し続けて、早一時間。  オレは燃えカスのようになっていた。思い当たる場所はすべて探し尽くした。これ以上、どこを探せと言うんだ。  約束の時間まであと50分。最低でも、40分後には家を出ないと、間に合わない。  いつもオレの家には誰かしら家族がいて、普段は鍵を掛けなくても出掛けられる。父親は週の半分はリモートワーク、母親のパートも週三回、示し合わせているのか、二人の外出が重なることはない。ゲーム好きの弟は土日は家にいてゲーム三昧だし、ばあちゃんも、病院以外は家に

私の日 #短編小説

 「私の日……?」  莉子はリビングの壁に掛けられたカレンダーを見ながら呟いた。  8月25日に大きく赤い丸がしており、大きな字で《私の日》と書かれている。莉子が叔母の柊子のマンションに来てからすでに3週間が経つ。来たばかりのとき、カレンダーにこんなことが書かれてあっただろうか。そう首をかしげていると、柊子が頭をバスタオルで拭きながら、風呂から上がってきた。 「莉子も早く入っちゃいなよー」  柊子はそう言うと、冷蔵庫からチューハイを取り出す。 「また飲むの?」  莉子が驚く

喫茶・街クジラの閉店 #短編小説

 「街クジラ?」  涼太が闇雲に街を歩いていると、おかしな名前の喫茶店に辿り着いた。年季の入った看板を見上げると、やはりそこには《喫茶・街クジラ》の文字がある。  恋人の真里菜にフラれてヤケになり、歩き続けて、そろそろ二時間。休憩がてらコーヒーでも飲もうと思った涼太は、重そうな木の扉に手をかけた。  カランコロン。ドアベルの優しい音が鳴る。  店に入ると、殺風景で飾り物がほとんどない。違和感を覚えながら、店内を見回していると、奥から店主らしき白髪頭の男がやってきた。 「

妖怪の娘 #短編小説

 「海砂糖をご存じですか?」  うみざとう。  その言葉は、耕造の白髪頭の中で《海砂糖》という漢字に変換されて聞こえていた。  耕造に声を掛けてきたのは、中学生くらいの女の子だった。  憤懣やるかたない思いで、堤防釣りをしていた彼の目に、濃い藍色のジーンズに、スカイブルーのTシャツ姿が眩しく映る。黒くて長い髪をきゅっと後ろで束ねた少女は、折りたためる小さなイスを手に、じっと耕造を見つめていた。この辺では見ない顔だ。竿は持っていないので、釣りに来たわけではないらしい。 「海

ガラスの手 #短編小説

 ガラスの手だな……。  長考後の一手を指したとき、野上充裕はそう思った。決して、筋のいい手ではない。だが、こういう手が、相手を惑わせることがあるのを、彼は知っている。  将棋用語では、嘘手、などと呼ばれているが、充裕は密かにこういった手を、ガラスの手と呼んでいた。脆く割れることも多いが、相手の出方次第では、光を含んだガラス玉みたいに輝くこともある。ダイヤモンドや水晶のような値打ちはない。だが、こんなガラス玉のような手に、充裕はこれまで何度も救われてきた。  今日、充裕は

猫かぶりの術 #短編小説

 恋は猫をかぶらないと、成就し得ないものなのだろうか。  彫刻刀で掘ったような深い皺を眉間に刻み、小田切昌子は腕組みしながら考え込んでいた。  社員食堂の端の席でたぬきそばを食べ終えたとき、先日の合コンでの光景がまざまざとまぶたの裏に浮かんできたのだ。あのときも、昌子は店の奥の右端の席に座っていた。  小田切昌子は、鼻の穴を大きく膨らませ「むーん」とも「ふーん」ともつかぬ曖昧な音の溜息をついた。その様子はまるで、三日煮込んだこだわりのスープが自慢の、ラーメン屋の主人のよう

かぐや姫ごっこ #短編小説

 「月の耳……とか言ってたかな? 確かそんな名前だった」  夜になって突然部屋にやってきた彼が、「これ、何?」と訊いてきたので、私は、曖昧な記憶を頼りにそう答えた。  テーブルの上に置かれた、小さな鉢植え。  ウサギの耳に似た肉厚の葉は、ふわふわと起毛している。 「これって多肉植物ってやつだよな」  彼が独り言を言いながら、スマホで文字を打っている。  きっと《多肉植物 月の耳》そんな検索ワードを入力しているのだろう。彼は気になることがあると、すぐスマホで調べるくせがある

フルーツさんのお洗濯 #短編小説

 舞うイチゴを見た。  風に飛ばされ、舞い上がっていたそれに手を伸ばし、パッと掴むと、 「すみませーん!」  上空から声が聞こえてきた。 「こっちです! こっち!」  声のする方に、顔を向けると、青い空を背にした二階建ての木造アパートが見えた。その二階のベランダに、乗り出すように大きく手を振る、女の人がいる。 「今、取りに行きます! 待ってて下さい!」  そう言うと、女の人は素早く部屋に戻り、窓を閉めた。私は手に持っているものを広げてみる。それは、黒地に大ぶりのイチゴが全面

咳をしても金魚 #短編小説

 咳をしても金魚。  金魚鉢に浮かぶ黒い金魚は、腹を水面に向け、口をパクパクさせている。その様子はまるで、咳をしているようだった。口が動く度に、空気と水が吐き出されたり、飲み込まれたりしている。早打ちする心臓のように、べろりべろりとエラが動く。  金魚すくいをして捕まえた金魚が元気だったのは一日ほどで、ここ二日ばかり、金魚はずっと、ひっくり返ったまま、水面に浮かんでいる。ぼくの心みたいに、ぷかぷかと。  夏祭りになんて、行かなければよかった。  ひと月ほど前に付き合い始

ネコクインテット #毎週ショートショートnote

 「おい、何してるんだよ!」  学校近くの公園で、匠が猫を追いかけ回していた。  幼馴染の匠は変わり者だ。付き合いの長い俺は慣れているが、学校の皆はヤツの変人ぶりをまだ知らない。こんなところを誰かに見られたら大変だ。 「モーツァルトの弦楽五重奏曲を猫の声で再現したいんだ!」  匠はクラシックを愛する中一男子だ。特にモーツァルトがお気に入りで、ヤツの家に行くと、俺はいつも弦楽五重奏曲第四番を聞かされた。 「弦の音が猫の鳴き声みたいだと思った瞬間、ピーンときたんだ!」