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フルーツさんのお洗濯 #短編小説

 舞うイチゴを見た。
 風に飛ばされ、舞い上がっていたそれに手を伸ばし、パッと掴むと、
「すみませーん!」
 上空から声が聞こえてきた。
「こっちです! こっち!」
 声のする方に、顔を向けると、青い空を背にした二階建ての木造アパートが見えた。その二階のベランダに、乗り出すように大きく手を振る、女の人がいる。

「今、取りに行きます! 待ってて下さい!」
 そう言うと、女の人は素早く部屋に戻り、窓を閉めた。私は手に持っているものを広げてみる。それは、黒地に大ぶりのイチゴが全面にプリントさせているシャツだった。
 私なら、絶対に選ばない柄だわ。
 そう思って眺めていると、つっかけたサンダルで、パタパタ走る音が聞こえてきた。

 「お待たせしました!」
 息急き切ってやってきたその人は、サクランボ柄のTシャツを着ていた。
 イチゴにサクランボ。
 果物が好きな人らしい。その顔には、どこかあどけなさが残っている。近くに大学があるので、もしかしたら、そこの学生さんかもしれない。

「乾いたから、取り込もうと思ったら、風に煽られちゃって! 飛ばされて遠くに行ったらどうしようかと思っちゃった! これお気に入りなんです! 本当に助かりました!」
 ひと息にそう言う彼女の若々しさに、私は圧倒された。全身から明るさが滲み出ている。こういう人だから、大柄のイチゴシャツも着こなせるのだろう。

 私が、精一杯に口角を上げ、手に持っていたシャツを「どうぞ」と差し出すと、彼女は弾けるような笑顔でそれを受け取り、
「ありがとうございました!」
 音が鳴りそうな早さでバサッと頭を下げると、丸っこいナチュラルボブの髪が跳ねあがるように揺れた。そうして顔を上げると、太陽のようにニコッと笑い、彼女はシャツを煽った風のように去って行った。

 その頃私は、新年度の移動のゴタゴタで、仕事が立て込んでいた。人間関係も思わしくなく、あらゆる出来事に、自分の気が吸い取られていくような疲労を感じていた。いつもなら、思いがけず出会った彼女の明るさに、嫉妬にも似た苛立ちを覚えたかもしれない。
 でも、このとき私は、彼女の乱暴なまでの若々しさと、鮮烈なイチゴの色に、生気をもらったような気がしたのだ。ひねくれ者の私が、そんな感情に素直に浸れたことが、自分でも不思議だった。

 それからというもの、私は生気を求めるように、彼女の部屋のベランダを見上げるようになった。

 彼女の部屋の洗濯物はいつも色鮮やかで、目を凝らしてみると、イチゴ以外にも、バナナ柄やスイカ柄のフルーツが揺れている。彼女のベランダは、まるで果樹園のように華やかだ。
 相当、フルーツが好きなんだろうなぁ。
 そう思うと、固まっていた頬が緩んだ。私はいつしか、名前も知らない彼女のことを、フルーツさん、と呼ぶようになった。

「あ、フルーツさん」
 思わず、心の中でそう呼び掛けた。
 仕事帰りに立ち寄ったファミレスに、彼女がいたのだ。黒地に大ぶりのイチゴ柄。丸っこいナチュラルボブのヘアスタイル。フルーツさんに間違いない。
 ただ、その表情にあの弾けるような明るさはなかった。彼女と向かい合っているのは男性のようだ。

 彼氏かな?
 なんて思いながら、私は二人の様子を窺える席に座る。我ながら悪趣味だと思ったが、フルーツさんの沈んだ表情が、気になってしかたなかったのだ。

「だから、何でもないって言ってるだろ」
「でも……」
「おまえは、友達の言うことと俺の言うこと、どっちを信じるんだよ」

 おまえ、だと?
 私の目尻がヒクヒク動く。フルーツさんは、随分と俺様な男と付き合っているようだ。バレないように目を凝らして、男の顔を見てみる。小奇麗な顔をしているが、女は片手では足りないといった、ふしだらさを感じさせる男だった。

 私は注文を済ませ、やはり悪趣味だと思いながらも、二人のやり取りに聞き耳を立てる。話の様子から察するに、フルーツさんのお友達が、俺様男おれさまおとこの浮気現場を目撃し、それをフルーツさんに密告した、といった状況らしい。それを問い詰めている現場に、私は居合わせてしまったわけだ。

「もういいよ。信じてもらえないなら、一緒に居ても意味無いし」

 そう言って立ち上がると、俺様男はスタスタと去っていく。よせばいいのに、フルーツさんはヤツを追いかけたが、すぐに慌てて戻ってきた。伝票を素早く抜き取り、泣きそうな顔で財布を取り出し、レジで支払いをしている。
「ありがとうございました」
 店員の声を背に、フルーツさんは、既に店を出てしまった俺様男を目で探しながら、足早に去って行った。

 二人と入れ違いに、注文していたビール、ほうれん草とベーコンのソテーがテーブルに運ばれてきた。腹立ちまぎれに、私はジョッキをグイッと煽る。ジュワッと喉を通り過ぎたビールは、いつもより少し、苦い味がした。

 それからというもの、フルーツさんの部屋のベランダには、くすんだ色の服ばかりが揺れるようになった。一週間、二週間、ひと月経っても、雲がかかったようにベランダが薄暗い。
「これでも食べて、あんな男のことなんか忘れてしまいなさい!」
 そう言って、カゴ一杯のフルーツを差し入れたいような気持ちになる。
 俺様男に振り回され、明るい笑顔が消えてしまったフルーツさんを思うと、たまらない気持ちになった。


 梅雨寒が続いた晴れの日のこと。私は思わず
「あっ」
 と、声を上げた。
 フルーツさんの部屋のベランダに、あのイチゴ柄シャツが揺れていたのだ。少しは元気を取り戻したのだろうか。そんなことを思いながら、私は久々のイチゴシャツに、目を細めた。嬉しいことに、その日から少しずつフルーツ柄の洗濯物が増え始め、夏になる頃には、かつてのような鮮やかな色彩が、ベランダに戻ってきた。

 アスファルトが揺らめくような暑い日。
 私は歩く途中で耐え切れず、コンビニに入ってソーダ味のアイスを買った。それをかじりながら、フルーツさんのアパートを横切る。
 バサッバサッ!
 はためくような音がして見上げると、フルーツさんが、洗濯物を取り込んでいるところだった。

 フルーツさんが、アイスを食べている私に気づく。そして、
「あ、アイス食べてる」
 という顔をした。フルーツさんは、イチゴ柄のタンクトップを着ている。
 どこの店で、フルーツ柄の服を見つけてくるのだろう。
 そう思っていると、彼女はアイスをかじる私を見て、ニッコリ笑って会釈した。私もそれにつられて、ペコリと頭を下げる。

 部屋に戻っていくフルーツさんの後姿には、ほんのり大人の気配が漂い、弾けるような明るさは、まろやかな明るさに変わっていた。気圧されるくらい若々しい彼女も素敵だったが、今の彼女の方が素敵だと私は思う。
 失恋して立ち直ると、人は美しくなるもんだなぁ。
 そんなことを思いながら、私は溶けて崩れそうなアイスを、口いっぱいに頬張った。

 




 


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