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目に入れても痛くない。 そんな表現がある。 近頃、SNSなどの影響なのか、 「一生食べていられる」 「神ってる」 「秒でバレた」 などなど、やたら大袈裟な表現が目立つようになった。 オーバーな言い回しをするほうが、テンションも上がって、会話が楽しいのだろう。 先程、冒頭で記した 目に入れても痛くない。 は、そんな過剰表現の元祖のような気もする。 常識的に考えて、どんなに小さくとも、幼子をぐりぐり目に入れたら痛いに決まっている。しかし、 その常識すら吹
ねむたいと思ったときに、眠れることを幸せと思うか、怠惰と思うかは、そのときによって違う。 やることがなければ幸せと思えるが、やることがあるのに眠ろうとするならば、怠惰、ということになるのだろう。 昨日(2024年2月15日)は、まだ二月も半ばだというのに、桜がびっくりして咲き出しそうなほどに暖かかった。 つい先日、雪が降ったことが嘘のようだ。 あの日は、最初のうちは粉のように細かい雪が降っていたが、時間が経つにつれ、水分をたっぷり含んだ重たい雪へと変わった。
私の母は、自分の洋服はバーゲンで買った、ノーブランドでも平気なくせに、子供が持つ道具には、ちょっとしたこだわりを見せた。 五つ上の姉が小学校に上がるときには、あれこれ選ぶ余裕もなく、無難なものを買いそろえたらしい。母にとってはそれが不満だったのか、私の入学時には、センスの光る粋な道具をそろえたいという願望があったようだ。 元々、私はクレヨンや鉛筆、画用紙、消しゴムなどが大好きな子供だった。私にとって文房具売り場はオアシスで、スーパーマーケットで新しいらくがき帳を買っ
「なにしてんのよ」 結婚のお祝いに駆け付けてくれた友人が、そう言ったときの顔を、今でも憶えている。呆れているような、イライラしているような、様々な感情が入り混じった表情をしていた。 私の結婚は世間でいうところの謂わば地味婚で、結婚披露宴もなし。ウェディングフォトすら残さなかった。だが、友人知人には、結婚したことと、転居したことを伝えなければならない。 しかしだからといって、 「結婚しましたー!」 と浮かれた感じで報告するのも性に合わない。 考えた結果、私は友人
疑り深い質である。 化粧品の通信販売の番組などで、モデルさんの使用前使用後の顔を見せられても、 「いやいや、使用前のほうはライトが暗すぎるわ」 「使用前使用後も同じ表情にしてくれなきゃわかんないよ」 などとブツブツ言いながら、その美容効果を疑っている。 ドキュメンタリーを見ていて、唐突に青汁が登場すると、それまで語られていた苦労話は、もしや脚本ではないかと疑心暗鬼になる。 疑り深いことこの上ない。 10月に入り、世間ではようやく涼しくなってきた……なんて話を耳に
そのとき、私はクッキーを食べていた。 昔からあるクッキーで、商品名を言えば多くの人が「ああ」と思い浮かべることのできるロングセラー商品だ。 大袋の中に個包装のクッキーが入っている。パッケージを見ていると、若い頃、このクッキーを頬張ったときの記憶がよみがえってくるようだ。 大袋を開け、個包装のクッキーをひとつ取り出す。 そうそう、これこれ。 そう思いながらも、私は僅かばかりの違和感を覚えた。個包装の袋を破ると、目の前に現れたのは、記憶よりも一回り以上小さくなった
メモを後になって見返したとき、何のために書き残したのだろう、と首をかしげることはありませんか? なぜ、そんな問いを投げかけているのかというと、自分のnoteの記事一覧に、 「 あたまがもうろうとしている」 というタイトルの下書きを見つけ、ギョッとしていたからだ。 全てがひらがなで書かれてあるタイトルのひとマス目には、無意味なスペースがあいている。 そこが何とも不気味である。 改めて見返してみても、このタイトルで何を書こうとしたのか、全く思い出せない。 まる
殺人的な暑さである。 もはや《暑い》なんて言葉は、この灼熱の太陽に焼かれ、その辺のアスファルトの上で焦げついてカピカピになっているのではないだろうか。 この暑さはもはや《暑い》ではない。ここまでくれば、例え誤用であっても《熱い》と書いたほうが、正解ではないか。 そう思ってしまう。 現在、我が家のキッチンの温度計は36℃を指している。 築古賃貸マンションの角部屋の、更に角にある我が家のキッチンは、朝からたっぷりと日差しを浴びる。まさに、太陽に愛されていることを
まるで探検隊みたいだと思いながら、私は部屋の出入り口につるされた洗濯物をかき分けていた。 窓から差し込む陽光を目にしながら、洗濯物を外に干せない葛藤が胸の内に巻き起こる。本来であれば、最高の外干し日和。最高の布団干し日和のはずなのに、私は部屋のあちこちにつるしてある洗濯物を避けながら、部屋を移動している。 理不尽な気がしてならない。 だが、車のボディを見れば、黄色く微細な粉がまとわりついている。ベランダの桟にも、粉っぽいものが蓄積され、黄色く汚れている。 清
私が初めて映画館に連れて行ってもらったのは、4歳のときだ。 母からすれば、映画の途中で我が子が、 「おしっこ!」 なんて大きな声を出しはしないか、気が気でなかっただろう。実際、映画に行く日の朝、母は私に様々なことを言って聞かせた。 「おしゃべりしたらダメよ」 「前の座席を蹴ったらダメよ」 「足をぶらぶらさせたらダメよ」 「モゾモゾ動いたらダメよ」 「キョロキョロしたらダメよ」」 私はそれらの「ダメよ」を聞きながら、一つでも破れば、後からドカンと大きな雷を落とされる
実況というものは面白い。 リアルタイムで繰り出される言葉の中には、名言と呼ばれるものがある。 例えば、オリンピックのアテネ大会。 体操男子団体で金メダルを獲ったとき、NHKの刈屋富士雄アナウンサーが放った 「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」 は、冨田洋之選手がピタッと着地を決めた瞬間が、自ずと頭に浮かんでくる実況の名言だ。 こういった名場面にふさわしい一言は、素人になかなか言えるものではない。 だが、今や世界中の人々が、実況中継さながらに
私は結婚して23年になるが、未だ賃貸暮らしである。風来坊で宙ぶらりん。「ここに骨を埋めるぞ!」なんて覚悟もなく、これまで暮らしてきた。 「北海道で暮らしたい!」 「沖縄で暮らしたい!」 私はそういった夢を持ったことがない。 旅先で好きになった町はたくさんある。でも、訪ね歩く魅力と、住んで感じる魅力は、やはり異なるものだ。 どこで、どうやって暮らそうか。 そういうことを考え始めると、私は途端にしんどくなってしまう。家を買い、マンションを買い、暮らす場所を決めること
私は奈良が好きだ。 もう5年近く足を運んでいないが、目を閉じれば、大好きな飛鳥寺や春日大社の様子をありありと思い浮べることができる。 現地に行かずして、奈良を体感できる術を身につけ始めている今日この頃ではあるが、やはり、できることなら目を閉じずとも、奈良の光景を楽しみたい。 関東民の私が奈良に行く際は、新幹線と近鉄が主な交通手段になる。 乗り込む新幹線は東海道新幹線。 青いシートに身を沈めたとき、必ず耳にするのが車内チャイムで流れるTOKIOのAMBITI
私が小学生の頃、男の子たちの間でピンポンダッシュが流行っていた。 ピンポンダッシュとは、よそのお宅の呼び鈴を鳴らし、家主が、 「はーい」 と出てくる前にダッシュして逃げるという、迷惑極まりない行為だ。 時は平成になったばかり。 カメラ付きのインターホンなど、今のように普及していない。呼び鈴を鳴らしても逃げ切れさえすれば、記録に残ることもなかった。 しかし、相手は大人だ。どこの小学校に通う悪ガキかは見当がついているので、学校に通報される。そうなると、朝礼などで、