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カレーは救世主

 救いの手を差し伸べるのは、何も神だけではない。
「もう今日は何も作りたくない」
「何を作ったらいいかわからない」
 家庭で調理を担当する者は、幾度となく、そういった困難に見舞われるものだ。
 そんなとき、ふと、こんな言葉が思い浮かぶ。

「カレーでいいか」

 夕飯作りに窮したとき、カレーに救われてきた人は多いはずだ。ありがたいことに、カレーが嫌いな人は少ない。
「また、カレー?」
 最初はそう文句を言っていた家族も、食べ進めると何となくおかわりをしてしまい、気が付けば、なぜかお腹いっぱいになっている。
 カレーとは、そういう食べ物だ。

 カレーのスパイスには、きっとインド人にしかわからないような、摩訶不思議な魔法がかけられているのかもしれない。

 何となくだが、男性はそんなカレーの魔法にかかりやすい気質があるように思う。
 ちょっと料理でもやってみようかな。カレーなら作れるかな?
 そう思ってキッチンに立ったら最後、急に凝り始めてあれやこれやとスパイスを買いそろえてしまう。

 実際私は、一人暮らしの男性宅で、キッチンカウンターを数十種類のスパイスが占拠していたのを見たことがある。しかし、そのスパイスは一度使ったきりで再登板はなかったらしい。小さな瓶の蓋の頭は埃をかぶり、中身も湿気てくすんだ色をしていた。

 カレー作りに魅了され、意気込んでスパイスを調達しても、一度作ると大概の人はそれで満足してしまうようだ。インドの魔法はかかりやすく溶けやすい。逆に魔法を操れるようになったらなったで、
 カレーにうるさい人
 などと思われてしまうのだから、カレーとの付き合い方は何とも難しい。

 カレーは付き合い方ばかりでなく、扱いも難しい食べ物だ。

 ここに銀婚式を迎えた夫婦がいるとする。
 料理好きの妻が、お祝いの夕飯をこしらえ、ちょっといいお酒で乾杯となる。腕によりをかけた料理を目の前にして、妻は思う。
(あぁ、私も結婚してから、随分たくさんの料理を作ってきたわ…)
 そんな感慨に浸りながら、妻は夫に訊く。

「ねぇ、今まで私が作ってきた料理の中で一番おいしかったものって何?」

 このとき、妻の頭の中には、三日間かけて作ったビーフシチューや、手に臭いをしみ込ませながら仕込んだらっきょう漬けなどが頭に浮かんでいる。それなのに、ここで夫が、

「カレー」

 などと呑気に答えようものなら、大変だ。
「えー! もっといろいろ作ったじゃない!」
 妻から反感を買い、その場に不穏な空気が流れはじめる。私の25年はなんだったのかと妻は嘆き、その様子に夫は狼狽え、もはや祝宴どころではない。

 カレーは家庭において数多の窮地を救ってきたが、こういう場においては、足元をすくわれかねないメニューでもある。

 とはいうものの、私自身、これまで様々なカレーを作ってきた。

 何としてもカレールーは使わないと意気込み、カレー粉からカレーを作った二十代。

 北海道で食べたスープカレーのスープをたんまり飲みたいあまり、スパイスを買ってスープカレーを作った三十代。

 タイカレーペーストを買って、グリーンカレーに挑戦したこともあるし、インド風チキンカレーを作って、ナンを手作りしたことだってある。

 私もカレーにうるさい人になりかけたたぐいの人間であった。

 そんな日々を辿って来て、四十も半ばに差し掛かった今にして思うことは、カレーというものは、それほどまでに気合を入れて作る食べ物なのだろうか。と、いうことである。

 今は夫婦共働きが当たり前で、子供がいれば育児もあり、自分の時間など雀の涙ほどしかない人も多い。懸命に毎日の食卓をやりくりする中で、レトルトカレーやカレールーの買い置きさえあれば、急場をしのぐことができる。

 簡単美味しいレトルトカレーに目玉焼きをのせて、後ろめたさを薄めてみたり、残った豚汁にカレールーを入れて、一食をやり過ごしたり、それを更にお湯で延ばしてうどんにしたり。

 毎食、毎食、自他ともに満足のいく食事を、家族に提供するのは難しい。でもカレーなら、それをまるごとルーが包み込み、何とかしてくれる。

 カレーには、愛情がたっぷり入っていればそれでいいのだ。

 インドの摩訶不思議な魔法は、日本の家族を助けてくれる魔法でもある。今までも、そしてこれからも、家庭料理の救世主カレーに、救いを求め続けていきたい。






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