春はねむたい
ねむたいと思ったときに、眠れることを幸せと思うか、怠惰と思うかは、そのときによって違う。
やることがなければ幸せと思えるが、やることがあるのに眠ろうとするならば、怠惰、ということになるのだろう。
昨日(2024年2月15日)は、まだ二月も半ばだというのに、桜がびっくりして咲き出しそうなほどに暖かかった。
つい先日、雪が降ったことが嘘のようだ。
あの日は、最初のうちは粉のように細かい雪が降っていたが、時間が経つにつれ、水分をたっぷり含んだ重たい雪へと変わった。
雪国の雪に比べて、関東の雪はだらしない。ぼってり重たく、太っているように見える。雪が止んだ翌日、屋根に積もった雪がドスン!と落ちる音を聞いた。
私が屋根から落ちたら、あんな大きな音がするのかもしれない。そんなことを呑気に思っていたら、重たい雪は夫の愛車にドスンと落ちて、くにゅっと車体をへこませた。
雪害に遭ったことが嘘のような陽気に包まれていると、あの積雪は夢だったのかもしれない、と錯覚しそうになる。そんな妄想に期待を抱き、駐車場を覗いてみると、やはり雪の痕跡はしっかりと車体に残っている。
肩を落とし、唐突にやってきた春の陽気に抗うように、私はお汁粉を作った。
小豆を洗い、渋きりをしたら後は煮るだけ。小豆をつまんで簡単に潰れるくらい柔らかくなれば、あとは好みの甘さにすればいい。暮れに買った玄米餅がまだ冷凍庫に残っていたので、それを焼いて熱々の汁粉の中に入れたら、じゅ、と音がした。
知らないうちに、誰かが汁粉に睡眠薬でも入れたのだろうか。
食べて一時間もしないうちに、瞼が重くなってきた。
うとうとしながらも、スーパーのチラシで、お気に入りのお煎餅が特価になっていたのを思い出す。
あぁ、買い物行かなきゃ。
ドスン、と落ちた雪のように重い体を持ち上げて、スーパーに向かう。目当てのお煎餅を5袋買って帰宅するも、まだ眠い。本当に、汁粉に睡眠薬が入っていたのかもしれない、などと思う。
お煎餅をかじって小休止をし、夕飯を作りを始めたもののまだ眠い。食事を終え、食器を台所の流しに置くと、そのまま洗わずに居間に戻り、ドスンと座る。気がつけば、丸いちゃぶ台におでこをつけ、胡坐をかいたままうたた寝していた。限界は突如訪れるものだ。
よほど怠惰な姿だったのだろう。そんな妻を見た夫が、こう声を掛けてきた。
「おい、花丸恵!」
なぜか、ペンネームで呼ばれた。
私は丸いちゃぶ台におでこをつけたまま、微動だにせず、
「はいっ!」
声だけは元気に返事をする。私は普段、夫に呼ばれたら返事だけはよくしようと心掛けているのある。
だが、
「良い返事で誤魔化すんじゃない」
とかえって叱られる羽目になった。
しばらくすると、風呂場からシャワーの音が聞こえてきた。夫が先にお風呂に入ったらしい。ちゃぶ台を避けて、布団を敷き、しぶしぶ台所に行くと、食器はキレイに洗ってあった。ありがたい。神がいる。思わず、風呂場に向かって拝む。
夫の後の二番風呂をちょうだいし、ようやく布団で思う存分眠れると思ったのに、急に、なにか書きたくなって、こんなことを書き始めてしまった。
眠れないから、ねむたい。いつでも眠れるとなったら、今度は目が冴える。
そんな、幸せであり怠惰でもある一日。
厄介なものだと思いながら、結局、私は夜更かしする羽目になってしまった。
お読み頂き、本当に有難うございました!